第三十話 憧れは眩しすぎて

 廊下を歩く埴泰はにやすは、外から聞こえる賑やかしい声に足を止めた。

 そのまま三階の窓から外を眺めれば、少し離れたグラウンドには生徒たちの姿があった。半袖シャツにハーフパンツで、どうやら体育の授業らしい。

 埴泰は窓枠に腕を置き、そのまま見つめる。視線の先には、日に煌めく金色の髪の少女と、勢いよく走る小柄な少女の姿があった。

「あいつら元気そうだな……」

 ぽつりと呟く

 他の生徒よりも小柄な九凛くりんは、明るく活力に満ちた存在。細身でシャープな身体が活き活きと動き、それはまるで元気の塊のようだ。

 そしてユミナの体操着姿は、同い年の男子にとっては目の毒に違いない。シャツを押し上げる胸元もだが、思わず触れてみたくなる体つきであった。

 二人は生徒たちの中で楽しげだ。

 周りに集まるのは女子だけでなく男子もいる。何かを話したり、ふざけて笑ってみたりと楽しげだ。そこには生徒たちのコミュニティが存在しており――埴泰という存在が関われない世界があった。

「…………」

 自分にとっては特別な二人でも、逆は違うのだと気付いてしまう。

 九凛とユミナからすれば、乃南埴泰という存在はその他大勢。人生の途中で僅かに関係しただけの存在でしかないだろう。

 誰かの特別になってみたい埴泰だが、それは叶いそうにない。

 ふと思う。

 自分は本当であれば、どんな人生はどんなだったのだろうか。

 普通に家族に囲まれ普通に進学し、普通に友人をつくり普通に恋人をつくり、人生を賭けて守れる家族を得て、明るく楽しく笑えていただろうか。

 だが、現実は違う。

 暗く苦しい実験室に囚われ周囲は敵ばかり。嫌な薬品や試験に苦しめられ、死にそうな思いをして全てを奪われ、その後も何も得られず生きている。

「…………」

 楽しそうな少年少女たちの姿。あんな風に過ごしてみたかった。

 少年となった自分が、あの輪の中に入って皆を笑わせる冗談を言う。それに九凛とユミナが笑い、それに対し埴泰も笑顔をみせ――。

「どうしました」

 声をかけられ我に返った。

 他人の接近を許した自分を心の中で叱咤しつつ振り向く。そこには暗く陰気な白髪の男がいた。線のか細い神経質そうな眼鏡をかけている。

「松田先生でしたか」

 アンニュイな気分の埴泰は、そっけなくともとれる口調で呟いた。しかし、それでも松田は笑顔を見せる。妙に嬉しそうで、考えてみれば相手が誰かに話しかけている事自体が珍しかった。

「なにやら外を見られて、どうされました?」

「いえ……生徒たちの様子を見ていると、何とも言えない気でして」

「なるほど。その気持ち理解できる気がしますね。他人にお膳立てして貰った中で生きてるくせに、感謝など少しもしない。腹が立つ連中ってもんです」

 松田は笑いながら顔をゆがめた。こんな表情をする人だっただろうか。僅かな付き合いであるが、そんな疑問を抱いてしまう。

「やあ、何とも無駄な元気でしょう」

 横に並んだ松田はグラウンドを見やり皮肉げに笑った。

 明るい日射しの中で生徒たちはマラソンをしている。疾走する九凛は元気よく他の追随を許さない。楽しげな姿は躍動感があって生き生きとした眩しさがあった。

 それは挫折も苦悩も知らず、今日より明日が素晴らしいと無意識に未来を信じている姿だ。今の埴泰は好ましく思う反面、反発する心も少しある。

 それを察したのか松田はニタリと笑った。

「まあ私はもう、気にもしませんが。乃南講師は頑張って下さい」

「はあ……」

 励ましているようには思えないが、励ましているのだろうか。なんだか引っかかるような物言いだ。

 その疑念は辺りに鳴り響いた電子音の鐘がかき消してしまう。途端にあちこちから声が聞こえだし、校舎の中に賑やかな喧噪が満ちだした。

「これから職員会議ですけど、参りましょうか」

「そうですね……」

 埴泰は松田に促され窓辺を離れた。

 しかし足取りは重い。自分の悩みに松田の暗さが加算されたようで、気怠く陰々滅々とした気分であった。


◆◆◆


 雑然とした職員室。

 教員たちは自身の席に座り、埴泰たち講師はパイプの丸椅子を持ちより会議に参加している。普段であれば簡単な通知だけで終わるはずだが、今回は違った。

「今回行う一年生の定期考査ですけど、イエロー1区域で行うよう提案します」

 その声をあげたのは松田だ。

 普段は全く何も言わない男の、突然の提案に職員室は響めきに満たされた。しかし勢揃いした教師たちは付和雷同に呟きあうばかりで、誰も表立った意見を言おうとはしない。

 そんな中で、明確に反論の声をあげるのが伊谷見だけであった。机に手を突き立ち上がらんばかりの勢いだ。

「お言葉ですがね、それはいささか危険すぎやしませんかね」

「おや、学園長は反対でしょうか」

「当たり前です。生徒の安全を考えれば当然でしょうが。いくら幻防法で一番安全とされた区域でも、危険が全く存在しないわけではありませんよ。生徒に何かあったらどうします」

 幻防法――正式にはそれは、『幻想生物警戒区域における生物災害防止対策の推進に関する法律』の略だ。

 国民の生命財産を守るための対策が盛り込まれた法律で、幻想生物との遭遇危険区域の指定や周知、警戒避難態勢の整備などを行う為の法的根拠とされている。

 そして幻想生物の出現可能性を定義づけており、イエロー1区域は無指定区域の次に位置する段階を示している。

「確かにその懸念はあるでしょう」

「でしたら――」

「しかし私は思うのです」

 言い募ろうとした伊谷見を遮り松田は続けた。皆が驚くのは、いつも殆ど喋らず、自分の意見を明確にしない男が主張するためだ。

「生徒さんには、少しでも早く戦いの感触を肌で感じて貰いたい。それが最終的には生徒自身のためになるとは思いませんか? 成績ばかり良くとも実践力が伴わねば何の意味がありません」

「しかし流石にそれはねぇ。それに一年生ではまだ未熟でしょうが。何かあっては……」

 渋る伊谷見に松田は言葉を重ねる。

「我々の目が届く時だけ安全であれば良いのでしょうか? 卒業と同時に生徒たちは否応なく戦場へと立たされます。突然に危険の中へ放り出されるのであれば、多少でも危険に慣れておく事が生徒のためではありませんか」

「そりゃそうでしょうがね……」

「ちなみに教育委員会の方からも良い返事を頂いています」

「あなた勝手に何を。だったらやるしかないじゃないですか」

 伊谷見はぶつくさ言いながら椅子に座り直す。ふて腐れたように不機嫌な顔をするのは、松田にしてやられてしまったからかもしれない。

 それでも往生際悪く声をあげるのは、さすがだ。

「私が反対を述べた点を承知頂ければ、もうこの件については何も言いませんよ。ただ、一つだけ言わせて頂ければ。何かあれば、あなたと教育委員会で責任を取って下さいよ」

「分かりました。全責任は私が取ります……もちろん安全には充分に配慮したいと思ってまして。私案ですが、軍事会社に護衛を依頼するのはどうでしょうか」

 その言葉に誰も何も言わない。

 教師たちは黙り込むばかりで静かなものだ。代表して伊谷見が小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「あのね、あなたはご存じないかもしれませんが裁量予算の枠ってものがあるんですよ。もちろん、そんな軍事会社に依頼できるほど潤沢じゃありませんがね」

「もちろん、それについても考えが……乃南講師」

 暇そうにしていた埴泰は突然の指名にビクッとなる。寝ていたわけではないが、早く終わらないかと時計を眺めていたのだ。

 そんな所に松田からの声を向けられ驚いてしまう。

「えっと、なんでしょうか?」

「あなたの勤めてらした軍事会社に依頼すれば、多少なり割引きありませんかね?」

「……どうでしょうか」

 いきなりの提案にしては図々しすぎる。

 割引きは継続的な顧客を確保し利益を増加させるため実施するものであって、単発的な依頼で割引きをすれば利益は下がるだけ。つまり、今後の依頼が期待出来るなら兎も角、現状では何の旨味もない事である。

 それを古城に話すとどうなるか。

 性格的には二つ返事で了承するに違いないが、会社の利益が減ずれば、他の者は話を持ち込んだ埴泰を良くは思うまい。

「でも……なんとかなると思います」

 それでも了承したのは、護衛任務の延長としてである。

 イエロー区域とはいえど、危険である事に変わりはない。そうであれば、何かあった時に保険ぐらいはかけておきたかった。

「会社さんと契約金額が折り合えば学園長も構いませんでしょう?」

「乃南講師の勤めていた会社です? 社名は忘れましたが、弱小会社でしたよね。まあ、安上がりですむのなら、それはそれで構いやしませんが」

 伊谷見という人間は、呼吸するように失礼な事を言うらしい。

 そんな様子はさておき、埴泰は決めた。

 一つは、割引きの補填を伽耶乃に出させる事だ。あの親バカぶりを考えれば、九凛の安全をちらつかせさえすれば問題なかろう。むしろ喜んで資金を拠出してくれるに違いない。

 もう一つは、定期考査を最後にして護衛を終了させるという事だ。

 最後の仕事には相応しい気がした。

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