第八話 分かり合えない関係

「よいですか、生徒さんには失礼ないように。くれぐれもですよ」

 生徒への顔見せという事で、埴泰はにやすは学園長の伊谷見に連れられ教室に入った。

 数十人の生徒たちは全員揃いの白色調の制服で、等間隔に並んだ席についていた。そして興味津々の顔で探るように見つめてくる。

 その中で目立つのは金色の髪であった。

 あのユミナ・シューベルだ。隣には護衛対象となる堅香子かたかご九凛くりんの姿があった。どうやら、教室でも仲良く隣同士らしい。なにやら小さく手を振ってくれるが、どうしろと言うのか。

 フレンドリーに手を振り替えすべきか悩んだ末、埴泰は無反応で視線を逸らす事にした。

「皆さん静かに願います。お願いですから、静かに」

 教室内はざわつき、学園長である伊谷見が丁寧に言って静めようとする。

 だが、生徒たちは無秩序な生物のまま大人の言葉に従おうとはしない。担任教師も協力し、頼み込むように騒動を収めようとしている。

 当分時間がかかりそうだ。

 その間に、埴泰は教室内を観察する事にした。

 狭い部屋に大量の机と椅子。背後には荷物置きらしい棚と金属製の縦長ロッカーが一つ。壁面には連絡事項らしい紙が貼られ、一方で大きな電子掲示板も設置されている。

 これまで見てきた兵士の詰め所とも、職場の仕事部屋とも違う。なんとも独特なユニークな場所であった。

 何より奇妙な事は、生徒たちに規律意識というものが欠如している事だろうか。組織で言えば上官となる教師にも、指揮官にあたる学園長の伊谷見に対しても反抗的で従う様子は皆無。

 それに対する伊谷見たちときたら、生徒に営倉入りを命じるわけでもなく、優しい猫なで声でお願いのような注意をするばかり。

――良く分らん関係だ。

 埴泰が待ちくたびれた頃になって、ようやく全員が静かになる。

 疲れた顔の伊谷見は手を叩き言った。

「新しい講師の方を紹介します。ギックリ腰で休職された輿板講師に代わる、乃南講師です。軍事会社に勤めておられ、つい先日まで幻想生物と戦闘されていた方です。きっと皆さんが得るものも多い事でしょう。講義方針はいずれとして、今日は顔見せでの自己紹介をして貰います」

 言って伊谷見は埴泰の顔を見つめた。言えという事らしい。

「なぬ?」

 顔見せという言葉を素直に受け取っていた埴泰は、大いに戸惑った。

「自己紹介ですか? しかし今の説明以外に何か必要な情報が?」

「趣味でも、仕事にあたっての抱負でも得意な事でも言うことはあるでしょう、早くなさい」

「はあ……」

 伊谷見は小声で言っているつもりらしいが、生徒たちには丸聞こえらしい。しかも、それによって埴泰への評価が定まりつつある。既に何人かがニヤニヤ笑いだしていた。

 とはいえ、ここで気の利いた事が言えるほど饒舌ではない。

「乃南埴泰。古城軍事会社に所属、役職は主にアタッカーを行ってました。もちろん他のポジションも一通り対応可能です」

 さっそく検索を行ったらしい誰かが情報端末を片手に声をあげる。

「古城軍事会社。ええっと……うわっ、すっげぇ下位ランクの会社じゃん」

「なんでそんなのが、派遣講師で来るんですかー。もっと上位ランクの人を呼んで下さいよー」

「静粛に、静粛に! 文句を言わない。どんな相手でも学ぶべき点はあります」

 伊谷見がフォローとも思えない事を言っている。もちろん教室内の笑い声を収める効果はない。

――やれやれ、これだから。

 小さく嘆息する。

 確かに軍事会社格付けランキングで、古城軍事会社は下位にある。ただしそれは、第三者が契約金額の多寡だけで勝手にランキングしただけのものだ。それで実力を反映しているとは言いがたかろう。

 実のところ、古城軍事会社はランキングで評価されない下請けに入る事が多い。軍や企業と直接契約するのではなく、他社と契約し戦力を貸し出すのだ。

 それは戦場という生死を賭けた場所で、共に戦う仲間に選ばれるという意味である。つまり信頼と実績と実力を有しているという事に他ならない。

 全て少し調べれば分かる事だ。

「他に質問は?」

 伊谷見の声に誰かが応えた。

「はいはい! 幻想生物のキルスコアは何体ですかー?」

「公式記録上では十五体になります」

「うわっ、しょぼぉっ!」

「トキヤ酷ぇ、あんま可愛そうな事言うなよ」

 教室内に爆笑が広がった。

 しかし公式撃破数なんてものは、いい加減だ。そもそも戦場でいちいち倒した敵を数えているほど暇ではないのだ。さらに、自社の戦力を隠すため公式記録は操作されている。これまた、少しでも調べれば分かる事だ。

 伊谷見が声を張り上げた。

「静粛に! 静粛に! 失礼な事を言ってはいけませんよ、いくらスコアが低くかろうと……まあ、人にはいろいろと理由があるのですから」

 恐らくきっと伊谷見が一番失礼に違いない。

「乃南くん、後は君から得意な分野についてお伝えなさい」

「得意な分野ですか……そうですね、逃げる事でしょうか」

 この回答で、再び爆笑が起こった。

 生徒たちの顔は完全に馬鹿にしたものとなっていた。手を叩き足を踏みならし、机を叩いてまで笑う者がいる。

――やれやれ、馬鹿かこいつらは。

 埴泰は小さく鼻で笑った。

 逃げる為には地形から戦況まで、全てを知る把握力。引き際のタイミングを見定める洞察力。実行に移す決断力と行動力。さらには、追いすがる敵の相手をする戦闘力と臨機応変さがなければならない。

 逃げるとは、それだけ難しい事であった。

 考えなしに突撃するだけなら馬鹿だって出来るだろう。

 笑い声をあげる生徒たちに埴泰は呆れた。こんな事で大丈夫なのかと不安になるぐらいだ。しかし、何人かは笑わずに真面目な顔をしている事に気づいた。

 どうやら多少は『分かる』者いるらしい。そして、その中に九凛とユミナという少女も含まれていた。


◆◆◆


 廊下に出ると伊谷見が言った。

「次はもう少し上手くやりなさい」

「……次ですか?」

 面倒事が終了し安堵した気分でいた埴泰は戸惑った。

「何を言ってますか、あなたは。一期生だけでもクラスが三つ。もちろん二期と三期もありますからね」

「え、そんなに?」

「この程度の下調べもしてないのですか? これから働く場所なのに?」

「むっ……」

 責めて問い詰める口調は反発したくなるものだが、確かに言われる通りであった。戦闘であれば事前に地形や気象条件、出現する敵の種類や規模を把握しておく事は当然。

 護衛対象に関する情報しか収集していなかった事は完全にミスだった。

 静まり返った廊下を伊谷見と並んで歩きながら、埴泰は頭を下げる。

「申し訳ありません。至急把握しておきます」

「よろしい。それから週末にはセカンド生徒の皆さんを集め集会を行います。自分の教育方針などは、その時に発表し説明して下さい」

 寝耳に水という話だ。

「……え? なんですかそれ」

「なんですか、それも知らないのですか!? もしかすると、講義システムも?」

「ええ」

 説明されてない事は知るはずもない。

 学園内のシステムなど部外者にとっては知りようもない情報だ。それであれば、事前に資料なりを渡し通知しておく事が筋だろう。責められるべきは、それを怠った学園側であって埴泰ではないはず。

 しかし、ここでそれを言い募り、誰の責任かを追及したところで見苦しいだけだ。

「不勉強で申し訳ありません」

「仕方ありませんね。簡単に説明しておきますが、講義自体は必修科目ですが、どの講師に付いて学ぶかは生徒さんの自主判断に任せています」

「はあ、それまたどうして?」

「もちろん生徒さんの自主性を考えてですよ。指導を受けるなら、自分の気に入った講師の自分に合った方針で学んでいきたいのですよ」

「…………」

 思わず伊谷見の顔を見てしまうのは、本気かどうか確認するためだ。そして、どうやら本気らしいと分かって呆れかえる。

 何を甘いことを言っているのだろうかと思う。

自分で選択できるなら、誰だって楽な方に流れるに決まっている。むしろ、全員に同じ事をさせ能力の優劣を明確にさせ競わせてこその訓練ではないか。

 呆れていると伊谷見が言った。

「週末の講義方針説明で頑張って、生徒様の気を引くようなアピールをなさい」

「アピールですか。まあ無理に行う必要はないような……」

 誰も来なければ、むしろ堅香子九凛の護衛に専念できるではないか。

 しかし――。

「言っておきますが、受け持ち生徒数が少なければ減給です。そして受講生がいない状態が一ヶ月続けば、そこで解雇される規定になっております」

「解雇されては困るのですが」

 それでは九凛の護衛が出来なくなってしまう。ほぼ任務失敗と言える状態だ。

「困るのでしたら、説明会で頑張ってアピールしなさい。まあ、これまでに受講生が誰も来ないなんて事はありませんでしたがね」

 護衛を続けるためには、アピールを行い生徒を勧誘せねばならない。さりとて、生徒が集まってしまえば護衛が疎かとなる。そうかと言って、何もしなければ学園から解雇されてしまう。痛し痒しというやつだ。

――護衛に専念させてくれよ。

 埴泰はうんざりした。

 こんな気分は雲霞うんかの如く押し寄せる幻想生物を前にした時以来であった。

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