第六話 お手々繋いで歩いて

 日射し眩しく爽やかな風の中、小径の向こうに鉄筋コンクリート製の建物がそびえ立つ。他にも幾つかの施設が存在し、敷地はかなり広い。

 傍らにある門柱に嵌め込まれたのは『清駿学園』と記されたブロンズ製プレートであった。ここは教育課程として後期中等教育段階、つまりは高等学校だ。

 一般人生徒の『普通科』とセカンド生徒の『特殊科』の二科が設置され、幻想生物と戦う者の育成を目的とした教育と訓練が行われる施設でもある。

 白シャツに、襟ありジャケット姿の埴泰は、どうにも落ち着かなかった。

「まさか学び舎に通う日が来ようとは……」

 埴泰はにやすは感慨深げに呟く。

 知らない場所にずかずかと入っていける性格ではないのだ。しかも、理由あって学校には通う事ができず生きてきた。それだけに、どうにも学園という場所に憧れを持ちつつも、得たいのしれぬ場所にも思えている。

 敷地内からは風に乗って賑やかな声が聞こえた。窓をみれば走り回る生徒の姿が見える。

 平和な光景に圧倒され、足を踏み入れる事も出来ず立ち尽くしていると、甲高めの声が投げかけられた。

「ねえ、どうしたの。うちの学園に何か用?」

「っ!」

 埴泰はびくりと肩を震わせてしまった。

 いくら感傷に浸っていたとはいえ、誰かの接近に気付かないとは迂闊であった。完全な不意打ち。そして気付くのは、こんな場所に立っていた自分はまるで不審者のように見えるという事だ。

「すいませんね。大した用ではなく、今日からここで……っ!」

 振り向けば、二度目の不意打ち。そこにいたのは――護衛対象の堅香子かたかご九凛くりんであった。

 小柄な少女はポニーテールを揺らし、小首を傾げながら見上げてくるではないか。

「ん? どーしたのって……ああああっ、あの時に助けてくれたおじさんだっ!」

 無慈悲な言葉が埴泰の胸を刺すが、言った本人は少しも気にした様子がない。

「お礼を言おうと思って探してたの。ここで会えるなんて良かった。もしかして、あたしたちを探しに来たとか?」

 小柄な九凛はよく喋る。

 埴泰は不意を突かれた事もあって戸惑うしかない。そもそも、気付かれぬ様に護衛する予定であった相手と、いきなり遭遇してしまうのは完全に想定外。

 それだけに動揺が隠せない。

「いやそうでなくてだな……」

「違うんだ。だったらどうしてこんな場所で立ってるの。悪いけれど、少し怪しく見えちゃってるんだけど」

 歯に衣着せない追及に埴泰はたじたじだ。おかげで、あの金色の髪をした少女が現れた時は救いの神に見えてしまった。

「九凛ってば、どうしました?」

「ほら、ユミナってば。お礼を言わなきゃ、あの時に助けてくれたおじさんだよ」

「……あっ、あの時の人」

 ユミナは両手を軽く打ち合わせた。

「会えて良かった。風紀委員のパトロールカーが通りかかって助けを求めたのですけど、もう姿がなかったので心配をしていました」

「そうそう、ユミナってばいきなりパトロールカーの前に飛び出しちゃって。なのに、おじさんって居ないんだもの。心配したんだから」

 埴泰は動揺を抑え込んでいく。

 いきなり会った相手が自分の護衛任務を受けているなんて誰が思うだろうか。思うはずない。つまり目的はばれてない。で、あれば護衛任務に支障なし。

「それは悪い事をした。実はあの後で、大急ぎで逃げてしまったわけだよ」

「無事で良かった。ところで、どうしてここにいるの?」

 君の護衛です、などとは言えるはずがない。

「ここで派遣講師として雇われたわけで、実は今日が初出勤なんだ。でも、どこへ行ったら良いのか迷っていたわけなんだ」

 埴泰の言葉に九凛が目を丸くして驚いた。

「ええ、そうなんだ。そういえば、戦闘指導で新しい講師の人が来るとか聞いたような覚えがちょっとあったかも」

「九凛はいつも人の話を聞いてませんから」

「聞いてるよ、覚えてないだけだもん」

 目の前で楽しげなやり取りがなされる。

 活き活きとして楽しげで、いかにも光の当たる世界の住人と行った様子だ。まるで自分とは違う。こうした相手を不幸にしてやりたいと思った段階も通り過ぎ、今はただ憧れ眺めるだけだ。

「なるほど、行く場所が分かんないんだね。分かった、あたしに任せて! 職員室まで案内しちゃうんだから」

 言うなり九凛は埴泰の手を取った。

 驚く間もなく引っ張られてしまう。小柄な少女の力など大した事ないのだが、何故か埴泰は逆らう事ができない。子供の相手で大弱りする大型犬のように、なすすべもなく手を引かれていく。

 門をあっさりと通り抜けた。

 あの躊躇いがなんだったのかというほど、簡単に通過してしまう。もっとも、それは九凛という少女に手を引かれていたからこそだろうが。

 ユミナも横に並び、揃って進んでいく。

 三棟ある校舎は互い違いに建てられ、それらの中心で小さめの建物が連結されている。その玄関口で九凛は足を止めた。

「ここが職員室のある管理棟なんだよ」

 建物に入ると外が明るすぎたせいか、妙に薄暗く感じてしまう。静まり返った中で床を踏みしめると、靴底がきゅっと響く。

階段をあがる時でも手を引かれたままだ。どうやら到着するまで放すつもりはないらしい。

 なんと言うか、男の手とは根本からして違う。滑らかで柔らかく繊細な感じだ。

 その小ぶりな手など力を込めれば簡単に砕けそうに思える。だが、埴泰はゴツゴツした手を緊張で強張らせてしまい少しも動かせない。

「すいません、九凛ってば強引ですから」

「強引って何よ」

 空いている方の手を振り回し怒る九凛だが、見る限り本気ではない。コンビニで見たときから分かっていたが、この二人は並以上の仲良しのようだ。


 廊下を大股で元気よく歩く九凛は、職員室と記された扉の前で止まった。手を離すと万歳のようなポーズをしてみせる。

「はい、とーちゃくっ! 職員室だよ」

「ここが……」

 古城などから事前に仕入れた情報では、職員室とは士官室のような位置づけの部屋だという。学園の中枢にして司令塔という事なのだが、それにしては一般生徒が容易に近づく事ができる上に歩哨の一人も立っていない事が不思議だ。

「すまない、おかげで助かった」

「どういたしまして。じゃあ、これでお相子だよね」

「あーもうっ、九凛ってば失礼に次ぐ失礼を」

 胸を張り小威張りする少女と手を合わせ拝んでくる少女。なんと言うか……まあ、護衛任務に多少の張り合いが出てきた。

「確かに、これでお相子としよう」

「うん。それじゃあ、あたしたちは行くから。じゃあね」

「失礼します。これからの講義でお世話になるかもしれませんので、よろしくお願いします」

 大小コンビは揃って一礼した。

 金色の髪がサラサラ流れ、黒髪のポニーテールがピョコンと跳ねる。スカートから伸びる健康的な色つやの足を動かし去って行った。

 思わぬ遭遇で驚かされ緊張させられたが、悪い気分ではない。最初はどうかと思ったが、なかなかに幸先の良いスタートだ。

「さて……」

 埴泰は気分を切り替え視線を扉に向ける。

 まずはここで生活していくため、しっかりと挨拶をせねばならない。軽く二度のノックの後に入室。声を張り上げた。

「失礼します。乃南埴泰、着任しました!」

 一歩入ったところで踵を揃え背筋を伸ばし報告。

 湿度と温度が少し高い蒸し暑めの部屋にコーヒーのにおいが漂う。スチールデスクが幾つも並ぶが、その上はファイル束が半分以上の面積を占め紙や本などが積まれている。椅子の背には上着が掛けられ、足元には中身の詰まった段ボールが幾つもあった。

 想像とは違う乱雑さだ。

 教師たちは背広姿が大半だが、ラフなジャージ姿も何人かいる。どうやら指定の制服はないらしい。

 その中から一人の男が突進して来た。

「乃南さんですか、学園長の伊谷見です。えらい大声出しなさって、しかもそんな睨んで。随分とまあ元気の、あり余った事ですね」

「ありがとうございます」

 礼を言う必要はなさそうだが、言っておけば角が立たない。しかし、伊谷見学園長は何故か鼻白んだ様子となった。さらに教員たちは、何が面白いのか抑えた声で笑っている。

 伊谷見学園長は取り繕った様子でわざとらしい咳払いをした。

「こほんっ、まあ良いとしましょう。ですが、あなたは今日から端くれとはいえ生徒を指導する立場ですよね。大人として相応しい落ち着きを持ちなさい」

「はあ……」

 この伊谷見学園長の性格を端的に言えば、戦場に出れば背後から弾が飛んでくるタイプだろう。それも集中砲火でだ。とはいえ、今は我慢だ。堅香子九凛が卒業するまでは学園で働かねばならない。

 こうした我慢が勤め人の苦労というものに違いなかった。

「くれぐれもセカンドの皆様に失礼がないよう心がけて下さい」

「了解しました。ところで、皆さんにご挨拶したいのですが」

「不要です。あなたは派遣講師ですから、そんな挨拶なんて必要ありません」

「そうですか」

 かちんと来る。

 思ったより扱いは悪いらしい。だが、考えてみれば目立たずいられるなら、それはそれで動きやすいだろう。

「宿舎の場所をお知らせしますが、その前に何か質問があれば伺いましょう」

「質問はあいませんが、意見であれば。よろしいでしょうか」

「ええ、もちろん意見でも構わんですよ」

「でしたら……セキュリティ面について言わせて貰います。全くダメですね。これなら武装した一個小隊で学園を制圧もしくは殲滅が可能かと。簡単な改善点としては、各通路に監視カメラの設置。窓は防弾製として窓枠も固定。歩哨と巡回が必要ですが、コスト面を考えると生徒に行わせるのが良いかと思います」

 その場で思いついた事を簡単に述べる。とりあえず現実路線で出来そうな提案のつもりだが……返事はない。

 見れば学園長も教師も、目を瞬かせ呆けたままだ。

 何か変な事を言っただろうかと、埴泰は訝しんでしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る