第五話 厄介でない依頼のはずないでないない

 その部屋には殆ど物がなかった。

 だが、質素さを意味するのではない。

 ティーセットはテーブルも含め歴史に名を残した芸術家の作品であるし、照明器具や絨毯は美術工芸品。壁に飾られた小さな絵画に至っては、美術館に収納され保護されて然るべき品。

 見るものが見れば驚嘆する品々に囲まれ、日本有数の財閥の役員である赤嶺伽耶乃かやのは寛ぎきっていた。

 アンティーク調の椅子に腰掛ける姿は優雅なもので、白磁のカップを口元に運ぶ仕草には非の打ち所がない。着ている服はシンプルなものだが、むしろその自然さこそが彼女の魅力を引き立てているのだろう。

「伽耶乃様、お客様がお見えになったそうです」

 壁際に控えた老齢の執事が静かに告げた。白髪に白シャツ、黒スーツ。襟元には黒の蝶ネクタイ、黒の革靴。頭から足先まで神経が行き届いた老人。その姿には周囲の名品に通じる品格があった。

 しばらく間を置き、ノックの音が響くと現れたメイドが静かに一礼してみせた。

「失礼致します。乃南様をお連れしました」

「お邪魔させて貰います」

 埴泰はにやすは見事な絨毯を踏みつけ入室した。気にした様子がないのは、その価値を知らないだけだ。そうでなければ、泥と血で汚れた靴で歩こうなどとは思わないだろう。とはいえ、この部屋でそれを気にしているのはメイドぐらいのものだが。

「あら、ようやく来たのね。私を待たせるなんて、あなたぐらいよ」

「赤嶺財閥の役員様をお待たせしまして、どうもすみません。途中で野暮用があったもので」

「その返り血が関係しているのかしら?」

 ほっそりとした指がシャツに付いた染みを指さす。

「身嗜みは整えたつもりが、これは失礼」

 頭を掻いた埴泰に伽耶乃が口元を押さえコロコロと笑う。

 そんな様子にメイドがちらりと不服そうな顔をした。自らの使える主に対する埴泰の雑な態度を怒っているのか、それとも安っぽい背広を小バカにしているのかは分からない。

 なんにせよ、埴泰はそれを目敏く気づいた。

 不快に思った瞬間、老執事がメイドを下がらせ埴泰に目礼してみせる。単なる謝罪ではなく、いろいろな意味を含んでいるのだろう。例えば、今のメイドに対し処罰をするなど。

 埴泰は満足した。自分をバカにした相手を許せるほど心は広くないのだ。

「では失礼をして」

 埴泰は椅子へと腰掛けた。

 不安そうな顔をするのは、あまりに華奢な構造に壊れやしないかと心配したからで、もし価値を知れば即座に立ち上がったに違いない。

 老執事が清々しい香りと共に紅茶を運んで来た。やろうと思えば全くの無音で動けるはずだが、ほんの僅かに衣擦れの音をさせるのは、埴泰を驚かせぬようにといった気遣いに違いない。

「ダージリンのファーストフラッシュでございます」

 品の良いカップから湯気がくゆり、素晴らしい香りを鼻腔へと届けてくる。

「合成臭が全くない。まさか天然ものとか?」

「そうよ海外から直で輸送されたものよ」

「へえ、よくまあそんなものが手に入ったもんだ」

 最近は制海権は当然として、制空権も危うくなっているという。輸入の大半が途絶えた事で合成食品が主流となっているぐらいだ。

 天然の香りに埴泰の表情が和らぐが、すぐには口をつけはしない。猫舌なのだ。一方で伽耶乃は香りを楽しみながら、優雅な仕草でカップを口元に運ぶ。

「あちらの国から派遣された特使が手土産に持っててくれたのよ」

「なるほど、それは凄い。さすがは赤嶺家だ」

 窓の外には芝生が広がり松木が点在する広大な庭園。青空の下に美しく見事な景観が映え、遠く雑木林の向こうに山脈が見える。

 もっともそれは超高画質映像であった。必要とあれば海辺にも山麓でも、自由に風景が変わるだろう。

 この場所は赤嶺所有の高層ビル上層階。本来であれば、薄汚れ荒れた街並みが見えるだけだ。都会の真ん中にあるが、実際にはこの赤嶺家のビルを中心に街が出来たと表現する方が正しいだろう。

「自国民の受け入れ要請と、ご機嫌伺いよ。どこの国も大変よね」

 伽耶乃は芝生の景色に目を向け、軽く指を振る。それで映像が夕暮れ時の海辺に変わり、波や海鳥の声まで聞こえだす。

 大陸では雲霞うんかの如く押し寄せる幻想生物に核兵器まで使用し、自国を焼き払ってでも必死に抗った国すらあったという。だが、それでも侵略を留める事はできず、幾つもの国が滅んでいった。

 そうした中、歴史と血統の絶える事を恐れた国々が自国民を送り込む先の一つが日本であった。

「今の世界で日本以上に安全な場所はないわ」

「確かに。この国ならまだ十年は余裕かもしれない」

 日本でも幻想生物の侵攻は問題となっているが、周辺を海に囲まれた立地であるため大陸と比べ大規模な侵攻を受ける頻度はかなり少ない。そして何より――。

「なにせセカンドがいるから」

 通常の人間よりも肉体的に優れ、さらに魔法のように特殊な力を発現する事が可能な新たなる人類。幻想生物と生身で渡り合える力を持った強化兵士たち。

 人類の希望であるそれを人々は――『セカンド』と呼ぶ。

 その強化措置を開発し、技術を独占するのが赤嶺財閥であった。

 埴泰は伽耶乃の横顔を見つめた。

 赤嶺財閥の幹部として絶大な権力を持つ女性だ。しかし、それだけではない。彼女こそが最初に誕生した新人類、つまりはファーストセカンドと呼ばれる世界を変えた存在だ。

 そして埴泰にとっては、絶望の中から救い出してくれた人物でもある。

「昨夜の件の報告書は読まさせて貰ったわ。火竜サラマンドラは発見できてないけれど、引き続き捜索はさせているわよ。あれは放っておくと成長して厄介な存在になるもの」

「なるほど、早めに見つかると良いけれど」

「努力するわ。それより話は、あなたが回収してきたデータについてよ」

「何か面白いものでも出てきましたか」

「面白くもないものよ。あそこでは人体実験が行われていたみたいね。内容はいろいろ、その中には人間と幻想生物の融合についてもあったわ」

「…………」

 おおよそ理解していた埴泰は砂を噛むような顔をした。

「他にも施設があるらしい事も分かったわ。通信ログから場所を探させているところよ」

「なるほど、役に立てて良かった」

「赤嶺財閥としても看過できないと、全力で対応する事になったわ。実態としては、セカンドに関する研究があったからだけど」

 つまり赤嶺としては、自己の優位性を保つための行動という事だ。

 埴泰はさしたる興味もなく頷いた。

「呼んだのは、その件で協力しろという事かな」

「半分当たりよ」

 伽耶乃は笑顔をみせ、軽く手を打ち合わせた。

「実はあなたを呼んだのも、その件で護衛をお願いしたいのよ」

「護衛……?」

 それが伽耶乃の護衛でない事は間違いない。なにせ英雄とも呼ばれる程の戦闘能力を持ち、単独で幻想生物の群れを蹴散らす人物なのだ。護衛など必要ある筈がない。

「今回あなたが回収したデータを解析した結果、どうにも狙われている子がいると判明したのよ。というわけでその子の護衛をよろしくね」

「さらっと軽く言われても引き受けるとは……そもそも護衛ってのは、高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応せねばならないわけで。つまり、赤嶺で専門家を雇った方が良くないか?」

「駄目よ。赤嶺を使うと大事になってしまうもの」

 紅茶の二杯目を貰いつつ埴泰は悩んだ。

 なぜ狙われているかは聞かない。教えてくれるのなら最初から言っているのだから。つまり、いろいろと面倒そうな話であるという事だ。

 できれば、断りたいところだが……間違いなく断れない。さらに伽耶乃が報酬と貢献値をちらつかせ、やむなく引き受ける事とした。

「分かった、そのオーダーを了解しよう」

「ありがとう。園上、あれをちょうだい」

 その声に応え、老執事は即座に小型端末を手渡した。それをいつどこから取り出したのか。埴泰には全く分からなかった。

「順を追って説明するわ。まず護衛すべき対象は堅香子かたかご九凛くりん、出身は市内の孤児院。清駿学園の一年生として、それもセカンド生徒として所属しているわ」

 差し出された端末の画面。そこには、つい先程コンビニで見かけた小柄なポニーテール少女の明るい笑顔があった。埴泰は思わず片眉をあげてしまう。

「この子、さっきの子じゃないか」

「あら知っているの?」

「つい先程、ここに来る前にコンビニで少し会ったというか。関わった」

「それは奇遇ね。話を進めるわ。九凛は清駿学園の寮で生活をしているわ」

 画像を見ると改めて可愛い子だと思う。とはいえ、仔猫や子犬に感じる種類の可愛さだが。

「しかし寮生活か。ますます厄介だな」

「できれば赤嶺財閥には知られたくないわ。もちろん学園にもね。それから、九凛本人にも気付かれて欲しくはない。自分が狙われているだなんて、知らずにすむならその方が良いでしょ」

「またまた難しい事を……」

 埴泰は顔をしかめた。

 学園という閉鎖空間に侵入し、誰にも本人にさえ知られずに護衛するなど、ハードモードどころかルナティックモードに過ぎる。一体どうしろというのか。

「で、具体的にはどうしろと? 最近なんて、若い娘を見ただけで痴漢にされかねないらしい。データを偽造して血縁者のふりして近づくとか?」

「あら、その手も良いわね。でも、あなたに演技が出来るのかしら」

「……他の手を考えよう」

 埴泰の言葉に伽耶乃は笑って小さく舌を見せた。

 三十を越えてはいるはずだが、それを全く感じさせないほど瑞々しい。おまけに美人でスタイルも良い。大人の女性としての落ち着きと、芯の強さがありながら茶目っ気だってある。とても魅力的だ。

「実はね、もう手配は完了してあるの」

「それ、引き受けなかったらどうするつもりだった?」

「大丈夫よ。だって、あなたなら絶対に引き受けてくれると思っていたもの」

 伽耶乃は少しばかり得意そうなな顔で小威張りした。

 可憐な少女とまでは言い過ぎかもしれないが、本当にそう見えかねない。

「学園はセカンド生徒の学習の一環として、派遣講師を招いて戦闘講義を受けさせるのよ。そしてあなたは実戦経験豊富」

「それはつまり……」

 嫌な予感を覚えながら、しかし埴泰は尋ねるしかなかった。

「今日からよろしくね。乃南講師」

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