第二話 世の中は他者犠牲
田畑の間に建物がまばらに建物が並ぶ、程良く都会で程良く田舎な郊外。
爽やかな青空の下、『信頼と安心の
いずれも使い込まれ装甲には無数の傷やヘコみ、塗装の剥げや染みがあった。砲塔でタオルが干されているためか、随分と所帯じみて見える。
ブラインドから入る外の日射しは、その顔を縞模様に照らしている。無精ひげが少し残る顔は精悍そうだが、覇気のなさと寝癖が全てを台無しにしていた。
「放棄区画の巡回パト、お疲れ様でした。報告書を頂いちゃいますね」
言ったのは事務員の桃沢だ。
大きめの地味な眼鏡をかけた顔は愛嬌があり、のんびりとした雰囲気を漂わせる。少しとぼけたような態度で、美人と言うよりは可愛い部類だ。
彼女は古城軍事会社の紅一点で、書類関係の事務を一手に引き受けている。社長が倒れても会社は大丈夫だが、桃沢が三日休めば会社が危ない。そんな冗談が出るほど有能だ。
「これ若干の手直しがありますね。勝手に直しちゃっても良いですか?」
その問いに埴泰はありがたく手を合わせた。
「お願いしたい。どうも書類は苦手なんで」
「いいですよ、モモさんにお任せ下さい。昨日は徹夜で巡視でしたもの。でも、無事で何よりです。他の区画だと、火事があったらしいので」
人懐っこい顔で桃沢が頷く。事務方とはいえ、軍事関係の会社勤務しているとは到底思えないのんびりとした様子だ。
「そうらしいですね。こちらは何もなくて暇なぐらいだったけど」
埴泰は提出した書類に記載した異常なし、といった内容に合わせ言った。
廃ビル内に存在した研究施設、人体実験、警備兵との戦闘、サラマンドラといった存在については書類上は何も記していない。
「でもあれですよ、暇が一番ですって。さてさてっ、あとは古城社長に印鑑を押して貰うだけなのですが……社長?」
桃沢は視線を転じた。
そこには暇そうに雑誌を読む年配の者がいた。その相手は無造作に机の上を指さす。
「うん? 印鑑はそこにあるやら。好きに押しといてくれや」
襟あり白シャツはボタンを二つ開けたノーネクタイ。短めの髪は軽く刈り上げたもので白髪混じり。眠そうに欠伸をする様子は、だらけたオッサンとしか言い様がない。
これが埴泰が所属する軍事会社の社長であった。その
「そんな事を言われましても、このモモさんにどうしろと? 好きに社屋を改造しちゃって良いとでも?」
「いいねえ、我が社のお姫様のご希望はどうでしょうか?」
「えー、お姫様なんて言われたら困っちゃいますね」
桃沢はたちまち頬を抑え、にやけ顔となった。
「そうですね。運動用のトレーニングルームと、広いお風呂でジャグジーがあって……とまあ、冗談はそこまでにして、社長が怠けてますと本当にやっちゃいますからね」
「モモ様のやる気が出るなら、俺は構わんけど」
「はいはい。冗談はそこまでにして下さい。私はこれを片付けてきますので」
真面目な顔になった桃沢は、パタパタした足取りで部屋を出て行った。
随分と切り替えが早い。
足音が遠ざかったところで、埴泰は壁際に置かれたパイプ椅子を机の前に持って来ると腰を下ろした。防弾ガラス越しに差し込む日射しに暖められた室内は、空調を作動させるか迷うぐらいの暖かさだ。
古城は雑誌を投げだし顔をあげた。
「昨夜は、お疲れさんやったな。どない塩梅やった?」
「警備兵はともかく、サラマンドラが出て燃えるビルからの大脱出。最後は書類偽装で辻褄合わせ。とっても忙しい夜でしたよ」
言って埴泰は肩を竦めてみせた。
昨夜の施設調査は、会社の中でも一部の者しか知らない事案なのだ。故に報告書も二通り作成せねばならず、手間も二倍というわけだった。
「まあいいとして、サラマンドラはどうなりました?」
「それなあ、調べさせたけど見つからんかった。あの辺り、何の痕跡もあらへんかったで」
「でも実際に……」
「ついでに言うとくと、あの近辺で『幻想生物』の出現兆候ちゅうのも確認されとらんのや」
幻想生物とはドラゴン、ミノタウロス、オーガ、ゴブリン、ハーピー。そんな伝承や創作の中で過去より語られた想像上の存在である。
しかし、今や現実の存在となった。
それらが出現したのは、三度目の世界大戦の最中という。
各地から報告が寄せられるも、当初は冗談としか受け止められなかった……だが、次々と連絡が途絶える都市や国。押し寄せる移民や難民の群れ。調査のため派遣された部隊の全滅。
侵略的な幻想生物の存在が現実のものとして認識された時には、もう既に遅きに失し人類という種そのものが滅びかねない状況にまでなっていたのだ。
そして世界は大戦を終結させ手を取り合い立ち向かい……滅びへの速度は緩やかになった。
「俺は乃南ちゃんの言葉を疑うつもりは、これっぽちも無い。奴らは神出鬼没な面があるんでな。煙のように消えちまっても不思議にゃ思わんよ」
「…………」
「何にせよおらんものは、おらん。とりあえず、あの辺りを警戒しとくよう組合に伝えとくしかないわな」
口調はともかくとして、古城は達観した表情だ。幻想生物との戦いを数えきれぬ程生き延び、幾多の死を見届けてきた男ならではの顔だ。
その表情が怠惰なものへと変じる。理由は廊下から聞こえる足音のせいだ。
ドアが開く。
「とりあえず、お茶にしましょう。貰い物ですけど、お菓子持って来ましたよ」
両手に盆を持った桃沢は器用に、けれど行儀悪く足で扉を閉めてみせた。
これには、古城と埴泰は苦笑するしかない。
「さあテレビでも点けちゃって休憩なのです。ええっと……」
「操作用のリモコンかい? それならここやでぇ」
「そろそろ、AI搭載のテレビに買い換えましょうよ。対話式で、お勧め番組とか選んでくれるんですから。無精な社長には、ぴったりじゃないですか」
「俺なぁ、そういうの嫌いや。なーんか機械に監視されとる気がするやろ?」
「わがままですねえ」
そんなやり取りをしながら、桃沢はテレビモニターを起動させる。ザッピングしていきながら、結局はニュースに落ち着く。
古城は頬杖を突き茶をすすり、埴泰もそれに
各地の戦況が報じられるが、それらは概ねにして優勢のようだ。かつての大本営発表のような愚は犯さず、ほぼ正確な情報であろう。
画面に初々しい女子アナと、ヨボヨボの老人が現れた。
『それでは、今回の戦闘で大活躍をなされた
ライブ中継の事実を忘れたような様子だ。
『儂の親が付けた名前じゃでなぁ。おかげで昔っから苦労したわい』
『そ、そうなんですか。苦労されたんですねぇ。え、何です? 本番中……そうだった!』
新人らしい女子アナがあたふたしながら画面の外とやりとりをしている。それから取り繕おうと咳払いをしてみせたが、今更感が強い。
『失礼しました。米受美男子さんは、なんと八十八歳にして、勇敢にも幻想生物を十二体も倒したそう事です。それでは米受さんに感想を伺ってみたいと思います。米受さん、いかがでしょうか』
『米受美男子、八十八歳です! お国のため頑張りました。こんな感じで言ったらどうやな?』
『そうじゃなくって、普通に感想を言って下さい」
『じゃけど、そう言った方が偉い人の受けがええじゃろ』
『お爺ちゃん本音出過ぎーっ!』
新手のコントかというようなやりとりだ。
埴泰はお茶をすする。
色つきお茶風味のお湯といったものだが、それは桃沢がケチだからではない。物資欠乏のご時世のため、これが普通になっているのだった。
「それにしても、これは酷い番組だな。このアナウンサー、大丈夫かな」
「あれ、乃南さん知りません? この人ってば、毎回やらかすから人気なんですよね。何もないと、むしろ苦情が来るぐらいなんだとか」
「それはそれで、どうかと思うが……」
「仕方ない事かと。こうやって軽い雰囲気でないと、徴兵率とか下がりまくりですから」
桃沢が呟けば、横で古城が雑誌を丸め、大きな伸びをしてみせた。
「かくて時代は老人を召集し、パワードスーツを着せ戦場へと送り込む……なんとまあ、嫌な時代になったもんやて」
「でも、大幅に浮いた社会保障費が軍事費に回されてますから。仕方ないですよ」
「大勢の戦死者と引き替えにっちゅう事やけどな」
「社長、今更それを言うのは無しですよ。日本が幻想生物との戦いで生き残れているのは、犠牲があるからこそなわけで。他に手はあるかもですけど、それを探す時間もありませんよね」
煎餅を囓る桃沢だが、その顔は暗さを帯びている。
彼女がザッピングの中からニュースを選び、コントのようなインタビューを眺めるのは、そうした犠牲が存在する事を再認識するためだったのかもしれない。
重苦しくなってしまった雰囲気の中で埴泰は黙り込んだままだ。
――正直に言えば、どうだっていい。
自分が生き抜く事こそが至上なのだ。誰がどれだけ死のうと、自分の給与が血に濡れていようと構わない。どうして二人が思い悩むのかが理解し難かった。
ただし、それを口にしないだけの分別はある。
「実は最近ネコを――」
話題を振って、なんとかネコを引き取って貰おうとした埴泰の腰で小型情報端末が振動しだした。
なぜか重々しい響きの曲が設定され、まるで特別な相手であるかのようだ。
実際に即座に顔が引き締まり、流れるような動作でワンコールで耳元に当てる。
「はい乃南です。はい、はい……今からですか? 構いません。指定の時間に伺います」
着信音と雰囲気で相手が分かった古城は目だけで天井を見やり肩を竦めてみせた。だが、事情の分からぬ桃沢は煎餅をくわえながら、キョトンとしている。
「クライアントからの呼びだしです。今から来て欲しいそうなので行ってきますが、そのまま直帰していいです?」
そんな確認に古城は肩をすくめ頷いた。
「乃南ちゃん、お疲れさんや。あまり無理せんといてな」
「打合せが長引いたら言って下さいよう。このモモさんが、上手いこと書類を弄りまして残業代が付くようにしますから」
桃沢は社長の前で言うべき言葉でない事を言っている。だが、そんな雰囲気の会社だ。これこそアットホームな明るい職場というものであった。
「それは、ありがたい」
言って埴泰は早足で部屋を出た。
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