第35話 父親

 がなり立てる男はスーツ姿で眼鏡を掛け、ワックスで整えた髪にピッカリと光る革靴。スーツの袖口からは銀色の光沢をもつ腕時計がちらりと見えた。顔は凛々しく、男らしくある。

 その後ろには、その男を引き留めようとして振り払われた若い警官がいた。


「お、お父様! どうして!」


「旦那さま! な、なぜここに⁉」


 棗ちゃんと久他里さんは怒鳴り上げた男を見て、驚愕の表情を浮かべている。

 署長も何が起きたの分からないらしく、おろおろしていた。

 自分の顔は見ることは出来ないが、たぶんアホ面晒しているところだ。俺自身も相当、驚いていた。

 そして、俺はこの男を良く知っている。

 

 名前は、嘉志屋かしや剛毅ごうき

 確か、年齢は三〇代後半から四〇代半ばだったはずだ。

 『KASIYA』という世界に名を轟かせる日本の大企業のCEO。

 祖父から引き継いだ、造船会社を大きくし、造船会社であったことを生かし車産業、運送業、ネット販売、果てはIT事業に加えて携帯会社との業務提携などなど幅広く手を広げていた。

 彼の行った事業を上げればキリはない。

 この人が書くビジネス書はバカ売れするほどだ。

 まさか棗ちゃんの父親だとは。

 となれば、嘉志屋はビジネスネームなのか。


「やっぱりか。ここにいたのか棗! 今すぐ、家に戻るぞっ! 話はその後だ! 久他里! 先に車に戻って帰る準備をして来い!」


「で、ですが、旦那様」


「いいから、早くしてくれ!」


「畏まりました」


 きつく言われた久他里さんは署長に向かってお辞儀をした後、部屋から出て行った。


「ほら行くぞ!」


「ちょっ! 待って下さい!」


 ドスドスと歩いてきた剛毅は棗ちゃんの腕を強く掴み、部屋から連れ出そうとする。

 それに対して彼女は強く抵抗した。


「なんだ?」


「ここは署長室です。そこへ急に入ってきて、ご迷惑をかけています。半田署長に謝罪が先なのではありませんか⁉」


「ふむ、確かに道理はある。分かった。加川警察署署長半田殿、突然のご無礼を許して頂きたい。誠に申し訳ない」


「い、いや。剛毅君と私の仲だからな。今のことは不問にしよう。しかし、理由をしっかり話して頂きたい」


 棗ちゃんの言うことを聞いて、剛毅は丁寧な口調と腰を九〇度折って、謝罪した。

 それを見た署長は先ほどあたふたしていたのが嘘みたく、冷静にことを収めようとしている。

 口ぶりからして署長と剛毅は深い仲のようだ。


「ええ、わかりました。実は、この大バカ娘が私の言いつけを守らず、遊びにうつつを抜かしていたからです。そうして、連れ戻しに来たのです。こうでもしないと、これは言うことを聞かんのです」

 

 やっぱりそういう理由だったのか。剛毅の話を聞いて納得した。

 ついに外で遊んでいることがばれてしまったらしい。


「そうだったのか。確かにそれは親として、正しいことだ。しかし、こうやって無理やり入ってくるのは昔から君の悪いとこだ。次からは気をつけなさい」


 署長は先ほど棗ちゃんの不謹慎発言を窘めたように剛毅を注意した。

 こうしてみると、祖父、息子、孫みたいな構図だった。


「それでは、失礼したい。行くぞ、棗!」


「待って下さい!」


「まだ、何か?」


 引き留める棗ちゃんを見て、剛毅は怪訝そうな眼をした。


「ここにもう一人、しっかりと話をしないといけない方がいらっしゃいます。そこにおられる、羽寝崎湊様です」


「そういえば、そうだったな。そこの君っ」


「は、はい」


 強い視線を受けて、俺はひるんでしまった。


「君は確か、棗と一緒に動画投稿サイトに配信していた少年だな?」


 それもバレていたのか。

 するとやっかいだ。剛毅のような大企業の責任者があの動画を見てどう思うか。

 絶対に良い思いはしないだろう。

 そこを突かれたら俺も反論は出来ん。


「ええ、そうです」


「君が何をしようと構わんが、これからはこのバカと、そこにいる私の使用人と一緒に動画を投稿するのはやめてもらいたい。もし、それで不都合や損害が生じるのであれば責任をもって私が補償しよう。それでいいかな?」


 要するに、剛毅の言いたいことは金は払うから娘に近づくなということらしい。

 娘を変な事に巻き込みやがって! と罵られるくらいは覚悟していたが案外あっさりとしていて、逆に怖いくらいだ。


「お金はいりません。むしろ、棗ちゃん達と動画を撮ることによって、収入がありましたから」


「そうか。ならば、これでこの件は終わりだ。娘が迷惑をかけた。さぁ、棗。これでいいだろう? すべての用事が済んだんだ。帰る支度をしなさい」


「そ、そんな、待ってください」


 棗ちゃんは帰りたくないのか、剛毅に促されても従おうとはしなかった。

 もう泣きそうなくらいだ。


「用事は済んだ!」


「いいえ、終わってませんよ」


 また、彼女の手を引っ張っていた剛毅の腕を掴んで、今度は俺が睨んで彼を引き留める。


「今度は何だ?」


 腕を掴まれた剛毅は落ち着いた様子ではあるものの、ものすごく不快そうである。

 剛毅の目がより鋭くなって、視線だけで俺を射殺すつもりみたく強烈だった。


「彼女が嫌がっているんですよ? それを言うことが聞かないからと言って、無理やり連れて帰るなんて親のすることなんですか?」


「これは、私と娘の問題であって、君には関係のないことだ。それに子供がいないであろう君に分かるはずがない。親というものは子供を正しく導く存在。子が道を踏み外そうとしたらそれを引き戻してやるものだろう?」


「そうですね。全くの正論です。踏み外す道が悪いモノなら、それでいいと思います。ですが、自分から望んだ道で、それも世間から後ろ指を指されるような道じゃないならば親が干渉する事じゃないでしょう。棗ちゃんが踏み外す道とはあなたにとって都合の悪い道の事じゃないんですか?」


 互いに睨み合う中、俺は怯むことなくきっぱり堂々と気持ち良いくらいに言ってった。

 どうだ!


「言いたいことはそれだけか? では、私達は帰らせていただく」


 剛毅の右腕を掴んだ俺の手を彼は反対の左手を使い、捻るようにして振り払う。

 おそらく武道経験者だ。

 俺も小学生の頃、僅かに武道の経験があるからわかる。

 振り払う時の動作が滑らかで綺麗だし、やられた俺は物凄く痛い。

 わざとそうしていて、かつ怪我をさせない絶妙な力加減だった。


「ってぇ!」


「そ、そんな。お父様! なんてひどいことを!」


「怪我はしないようにした。早く来なさい!」


「あ、湊様っ!」


「おいっ! 待てよ!」


 連れて行かれる棗ちゃんは俺の名を呼ぶ。もうほとんど泣いていた。

 そんなものを見て冷静でいられなかった俺は拳を振り上げ声を荒げ、追いかけようとする。


「待ちなさい。ここで大きな揉め事をしては駄目だ。よく周りをみなさい」


 走り出そうとした俺の肩を掴んで、制止させたのは署長。

 彼の言葉に耳を貸して、言う通りに周囲を見渡すと、さっき帰ったはずの記者たちが居た。

 騒ぎを聞き、駆け付けたのだ。彼らが退出したのと剛毅が入って来たタイミングは少し違うだけだ。大声を上げれば気付かれるのは当然だった。


「分かりました。すみません」


 これ以上騒げばどちらにも不利だ。

 もしかすると、剛毅はこうなることが分かっていたのかもしれない。

 棗ちゃんに何もしてやれなかった悔しさと腹立たしさで、この日の俺は何も考えられなかった。


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