第13話 黒天使

11月、ここが日本であることを疑いたくなるような暑さと異常気象がやっと落ち着いたと思ったら、今度は寒い日と暑い日が混在していてこれもまた過ごしづらい。

 福田は新たな担当を掛け持つことになり、多忙な日々を過ごしていた。そしてそれをきっかけに吉岡靖の死について調べる機会がめっきり減った。おかげで恋人の美香は福田と休日を過ごす機会が増えて、このところすこぶる機嫌が良い。

 しかし福田は諦めたわけではなかった。実際はその逆である。ただ一度冷静になって事実を見つめる必要があるだろうと上司の小野に諭されたために、担当を掛け持ちして吉岡の件から距離をおくようにしていたのだった。


「福田さん、今朝の水戸タイムスの記事を読みました?吉岡産業が取り上げられてますよ!」

 

 福田が再提出になった原稿に目を通しているときに、後輩の杉吉が新聞に書かれた記事のコピーを持ってやってきた。それは大きなスペースをとっており、左上には吉岡真一の写真が掲載されてあった。福田は横目で記事を見たとき、真一の写真に目が止まった。


(初めて会ったときの彼じゃない!)


 それがこの記事の第一印象だった。


 福田は手を休めて杉吉から受け取り記事を走り読みした。

 記事には吉岡産業の子会社になった太陽光発電の販売・メンテナンス会社、株式会社新日本環境生活が新しく電力買い取りと電力販売事業を始めたことを伝えている。そして会社は業界大手の京浜電機の正規販売代理店という信用を持っていることや、今後の戦略として親会社の吉岡産業の顧客である茨城県内の酪農家や農家に営業を計画していてかなりの実績が見込まれると書かれてあった。


「これが電話で言っていたやつか!しかしなんかすごい歯の浮くような言葉が並んでるな・・・これは記事広告か?」


 記事を読めば誰もが吉岡産業という会社に良い印象を持つだろう。


「吉岡社長のインタビューを読んでみてください。この会社はいずれ投資会社にもなっちゃいそうですね」


 杉吉に促されて記事の後半に書かれてある真一のインタビュー記事を読んだ。そこには太陽光発電を設置した客が50万円の入会金を支払って会員になれば、余剰電力を通常よりも15%高く売ることができ、逆に電力を買うときには8%安く買うことができるという。また現在、自治体がソーラーパネルを設置するときにコストの一部を助成金で負担してくれており、入会金は助成金によって浮いた金額から支払っても充分おつりが出るという。そして退会時には入会金を全額返金することを約束している。そのうえこの事業で得た利益の一部を配当として会員に半年に一度還元することをあげて、お客にとってのメリットが大きいことを力説している。


「すごいな・・・こんなにメリットが多いんだったら、今頃問い合わせが殺到しているんじゃないか?」


 福田は記事を更に2度読み返した。何度読んでも記事が福田を心地よい気分にさせる。

 福田は記事の左上に載せられたインタビューを受けている真一の写真をじっと見つめていた。髪を伸ばしてそれを後ろに流し、優しい表情で笑みを浮かべた真一はどこか自信を感じさせている。それは福田が初めて会ったときの真一の印象とはまるで違った。高そうなスーツを着て、これまた高そうな腕時計がジャケットの袖よりわずかに顔をのぞかせている。その格好は吉岡産業の仕事とは不釣り合いに思えた。


「この人が吉岡さんの息子なんですね。何か凄い覇気があるじゃないですか!!この人が目の前にいたら僕はビビって道を開けちゃいますよ!」


「いやぁ、ぶっちゃけ俺も驚いているよ・・・人間ってたった数ヶ月で変われるもんなんだな」


 そして福田はまた新聞記事を読み返していた。やはり何度読んでも耳に心地よい文面が読者を疑わせることや考えさせることを忘れさせるように、サラサラと頭に流れ込んでくる。福田はこの記事を読んでうれしい反面、どこか不安を覚えた。


「コラッ!!お前らのどこに油を売る暇があるんだ!?」


 福田と杉吉が話し合っているところに小野がいきなり杉吉の背後に現れ、杉吉の頭上に空手チョップを喰らわせた。冗談が好きな小野は、いつも冗談で本気の一撃を喰らわせてくる。つまり少しサディストな一面を持っているのだ。


「で、デスク!?」


「杉吉!俺はお前の提出がないと帰れないんだぞ!」


「すんません!」


 杉吉は両手で頭を押さえながら逃げるように席を去っていった。そして小野は杉吉が座っていたイスに腰かけた。福田は自分も杉吉と同じように強烈な一撃を喰らいたくないから、とっさに仕事に取りかかろうとした。しかし、小野は福田の作業を遮って言った。


「あのさぁ、この前吉岡さんの日記に書かれてあった“闇”って文字なんだが、やっと思い出したぞ!」


「本当ッスか!?」


「ああ、2年くらい前に金融機関に怪文書がばらまかれたことがあったんだけど、その中にも“闇”という文字が書かれてあったんだ。もしそれが吉岡さんの日記に書かれた闇が同じものだったら、謎が解けるかも知れん」


「怪文書?何て書かれてあったんですか?」


 福田は予想外の話に興奮した。今までいろいろなところへ取材をして回ったが、その切り口は思いもしなかった。もしそこに接点があるのなら、吉岡靖の死の真相に一気に近づくかも知れない。小野は福田の期待通りのリアクションにニヤッと笑うと、持っていた紙を福田に見せた。


 ~光がより輝きを増すためには、闇はより深くなければならない

 誰が闇を創造するのか・・・強く輝き続ける者が本当の闇だ~


「何だこれは!?こんなんじゃ全く憶測すら立てられないッスね」


「そうだろ!だから金融機関もメディアもほとんどこの文書には取り合わなかったん

だ。けれどこれを送りつけた人は、元エリートのブンヤだと言ったら気になるんじゃねぇか?」


「えっ!?こんな意味不明な文書を送りつけた人がですか!?信じられないッス・・・」


 福田は小野の話を聞いて驚きを隠せないでいた。先入観を持たないで、この文書と向き合ったらたいがいの人はこの文書を送りつけた人物を精神異常ではないかと疑ってもおかしくないだろう。


「この文書を送ったのは諸角猛って言って、全日新聞で政治部の記者をやっていた奴なんだ」


「ええ?あの大手のブンヤで政治部なんて超エリートじゃないですか!!」


「そうなんだよ!彼は早いうちから頭角をあらわしていて、若手の中では出世コースを走っていたようなんだけどな、ある日突然会社を辞めてフリーの記者になっちまったんだ」


「そんな人がいたンスね。一流新聞社で花形記者をやっていたら、自分ならフリーなんてものになろうという発想すら起こらないですよ」


「だろうな!でもこの話で気になっているのが、諸角が怪文書を送った直後に首を吊ったということなんだよ・・・」


「ええっ!?自殺したんですか!?」


 福田は思わず大声で叫んでしまった。そのせいで周囲にいる人たちが作業を止めて、驚いた様子で福田を見た。その驚きと迷惑そうな表情から向けられる冷ややかな視線に福田は耐えられなくなり、「お騒がせしました。どうぞ続けてください・・・」と平謝りした。そして再び小野に声を潜めて質問をした。


「そ、そんなことがあったなんて全く知らなかったですよ・・・何でメディアは取り上げようとしなかったんですか?」


「まあその頃お前は芸能関係を追いかけていたから知らなかっただろうな。あのとき何人か不思議に思った奴はいただろうけどな・・・諸角の取材記録などが全然見つかっていなかったし、フリーの記者になってからは仕事が回らなくて貯金を崩しながら生活をしていたらしいんだ。それに死ぬ直前に離婚もしていたらしい。だから多くの人たちは彼の死を生活苦によるものと判断したようだ。そうしていつの間にかこの怪文書や諸角のことは世間から忘れ去られたって話だ」


 福田は少しの間、諸角の怪文書を見ながら考えていた。


「デスクは吉岡さんの件とこの諸角って人の死に何か気になっていることがあるンスか?」


 小野は頬杖をついて人差し指をリズムをとるようにトントンと叩いていた。福田はこの後小野の口から発せられる言葉がとても気になっていた。そして息を潜め、二人の間にはしっている沈黙に耐えていた。やがて小野の考えがまとまったのか、ゆっくりと前かがみに姿勢をとると福田へ小声で話しかけた。


「ニコチン入れに行かねえか?」


「えっ!?・・・あ、はい・・・行きましょう・・・」


 福田は期待をし過ぎたせいか拍子抜けしてしまった。二人は席を立ち上がり喫煙室へ向かった。

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