第7話 パラダイム・シフト

 吉岡靖が死んでから間もなく半年になろうとしていた。福田は相変わらず仕事の合間を見ては、吉岡の周囲の人物を取材していた。それは会社内でもちょっとした話題になっていて、一部の社員からは冷ややかな目で見られていた。けれど、福田はそんな人たちの心無い言葉や態度なんか一切気にしていない。それよりも事故の真相を知りたいという情熱が先行していた。けれど、相変わらず核心に迫る情報にたどり着けていない。


 福田は喫煙室に入ると煙草を吸い始めた。そしていつものように真一の携帯電話に連絡をした。しかし、何回かコールした後に留守番電話に切り替わってしまった。


「またか・・・」


 

福田は小さく舌打ちをした。そしていつものようにメッセージを残した。


「もしもし、商談社の福田と申します。何度も連絡してすいません。お預かりしている日記帳をそろそろお返ししようと思うのですが、ご都合いただけないでしょうか?・・・あぁ、それとついでにその後の状況など教えていただきたいと思います。留守番電話を聞きましたらご連絡ください。よろしくお願いいたします」


 メッセージを入れ終えると電話を切って煙草を吸った。もうこのような状態が1ヶ月以上も続いている。そしてまたいつものように吉岡産業に電話をかけた。


「お電話ありがとうございます。吉岡産業の松原です」


「お世話になってます。商談社の福田と申します」


「あっ!福田さんだぁ!もしかして社長ですよね」


「今日もやっぱり居ないッスか?」


「本当にいつもすみません。電話があったことはメモに残しているんですけど、社長は本当に忙しいようで・・・私たちも社長の顔を滅多に見ていないんです」


 明美は申し訳なさそうに言った。


「じゃあ、また連絡しますね」


「あっ!ちょっと待って!!」


 福田は電話を切ろうとしたとき、明美の叫び声が聞こえてきた。


「えっ!?」


「あのぅ・・・ちょっとお話したいことがあるんですが、近々お時間をいただけますか?」


明美は妙に小さな声で言った。


「あっ!はい、わかりました。いつごろが良いですか?」


「えっと・・・じゃあ、突然ですが、今夜などはいかがですか?私、近くまでいきますから」


「大丈夫ですよ。それじゃあ七時に柏駅なんてどうでしょう?」


「わかりました。柏駅に行きます」


 福田は明美との約束をして電話を切った。終始小声で話す明美に違和感を覚えた。それは明美に会ってから確認をしよう。とりあえず今は目の前にある仕事をダッシュで片付けなければならない。福田は気合いを入れて仕事に取り掛かった。


 夜七時、福田は柏駅にぎりぎりで到着した。そして改札口を出て明美を見ようとあたりをキョロキョロしていたが、人混みが邪魔をしてなかなか見つけることができない。


「福田さん!」


 近くで明美の声がした。振り向くと明美が立っていた。半年前に会ったときと違って日焼けした彼女は可愛く感じた。


「お久しぶりです。あれ?明美さんは日焼けしました?」


「ええ、私、サーフィンをしてるんです」


「どおりで!明美さんのスタイルの良さはそこから来てるんですね!」


「何それ?意味わからないですぅ」


 明美は笑った。二人は簡単な挨拶を終えると、駅から少し歩いた商店街を少し歩いたところにある喫茶店に入った。店内は暗く、狭い間隔で席が設けられていて、客同士が気を使い合うように座っていた。


「何だか落ち着かない所だね。お店を変えようか?」


「いえ、大丈夫ですよ。私はこういう所でも気にならないから」


 そう言って店員にカフェモカを注文した。福田もとっさにブレンドコーヒーを注文した。


 二人の前に注文の品が届くと、明美はニコニコしながらカフェモカを飲み始めた。カフェモカを飲む仕草がとても可愛い。福田は平然を装ってブレンドコーヒーを一口するが、内心では明美の色気にドキドキしていた。小さな身体の肩から茶色がかった髪の毛がこぼれている。福田は何をしにここに来たのかを忘れて、明美に見惚れていた。


「どうしました?」


「へっ?」


 明美に声をかけられて我に返ったが、見惚れていたなんて言えない。福田は平静を装って話しはじめた。


「よ、吉岡社長はなかなか忙しそうですね」


「真一君は会社が新体制になったし、お父さんのお友達が手伝ってくれているから張り切っているんだと思います」


「真一君って・・・明美さんはもしかして・・・!?」


「い、いやだぁ、福田さんはもしかして私と真一君が付き合っていると思ったでしょ?それは違うから!私と真一君は会社の同期なんです。私が高校を卒業して入ったときに、真一君が中途で入社してきたんです。私たち唯一の同期だから、真一君がタメ口で良いよって言ってくれたからそうしているんです。でももう彼は社長だから、なるべく吉岡社長って呼ぶようにしているんですけど、どうしてもいつもの癖で言っちゃうんです」


「そうなんだ。アハハハッ!」


 福田には美香という彼女がいるのだから、真一と明美が付き合っていてもどうだっていい話だ。けれど真一と明美に恋愛関係がないと知って、福田は心底安心した。おかげで笑い方がアホみたいに浮かれてしまった。


「福田さんって面白い!」


 福田の笑いに合わせて明美も笑い出した。吉岡靖の死について福田はこれまでいろいろな人に会ってきたが、明美への取材は一番楽しい。


「吉岡社長が頑張ってるおかげで会社は順調なんじゃないですか?」


 福田は笑いを交えて明美に本音をうかがおうとした。しかし、明美の顔が次第に陰り出した。


「ええ、確かに新しい会長さんは真一君にお客さんを紹介してくれたり、アイデアを出してくれたりしてくれるし、それと副社長が数字に強い人だから、おかげで会社は良くなってるなって感じるんです」


「そうなんだ。この前、吉岡社長とお話をしたときに、会長たちが亡くなった吉岡さんの夢をかなえるために来たと言っていたけど、その夢も本当にかなっちゃうのかな?」


「う~ん、どうだろう・・・会社は前よりもにぎやかになりましたね。営業の人たちも売上が良くなったから楽しそうだし・・・この前、朝礼で真一君が、経営改革がこの調子でいくなら年内にもみんなの給料を上げるって言ってました。そう考えるとウチの会社は順調なんですね」


 明美は抱いていた疑問を解決させることができたようだが、それを素直には喜んでいない様子だった。言葉に反して表情が不安をうかがわせている。そして再びカフェモカを口にした。


「・・・カフェモカ美味しい!」


明美の表情が一転し笑顔になっていく。福田は明美の純粋な性格に心を奪われそうだった。


「もし良かったらおかわりしていいよ」


「おかわりするなら他のがいいなぁ・・・」


(何て無邪気なんだ!!)男はこういう女に弱い。福田は思い切って明美を口説きたい気持ちにかられていた。しかし、明美とは仕事で会っている。そして何よりも美香と付き合っている。


「我慢だ・・・」


 歯を食いしばり、拳を強く握りしめて言った。


「何をですか?」


 福田の心の声が思わず口からこぼれてしまったようだ。


「えっ!?い、いや・・・そうだ!あれですよ・・・ダイエットしているところだから僕はおかわりを我慢しようかって・・・そういう意味だったんだと思うんですよ!!」


 福田は必死になって言い訳をする。そのせいでときおり声がうわずってしまった。

「そうなんですかぁ?福田さんにダイエットの必要があるようにも思えないんだけどなぁ!」


 明美は笑って言った。何とか言い訳が通用してホッとした。そして、まだ冷めてないコーヒーを一気に飲み干した。


「明美さんは会社のことで何か引っかかるの?」


「・・・そうなんです。私、頭が悪いから経営とかそういうものはよくわからないんですけど、何か不安で・・・・・・それに・・・」


 明美の表情が再び曇る。


「あのう・・・本人からは絶対に言うなと言われているんですけど・・・」


 明美は福田に伝えるのを躊躇っている様子だった。

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