第5話 友引

 2月、東京都八王子市内某公園。ここには夜ごと地元のギャングやダンスをする若者たちなどが集まっている。この日も深夜三時を回って静まり返った公園に数人の若者が入っていった。


「おい、見ろよ!オッサンがベンチで寝てるぞ」


 公園の隅にあるベンチに男が、トランクスに上半身裸の格好で背中を向けて寝ている姿があった。その姿はこの季節にとても不自然だった。


「スゲェー!!パンツ一丁なんて超気合入ってんじゃん!」


「ちょっと、あいさつするべ!」


 若者たちはニヤニヤしながら遠回りをして男が寝ているベンチの後ろへ回り込むと、目で合図をして、ベンチを強く蹴ってから一斉に男の前に飛び出した。


「起きろジジイ!!」


 しかし、その威嚇に動じない男の異様な姿に皆が驚愕した。


「あ、うあああー!?」


「く、首が・・・無い!!」


 男はベンチで寝ていたのではなく、死んでいたのだった。しかも腹には何ヵ所も刺されたような傷があり、首と左手薬指が切り落とされた状態でベンチに遺棄されていた。さっきまでいい気分で酔っていた若者たちの酔いが一気に引いていく。そして目の前にある恐怖から腰を抜かして泣き叫び、嘔吐する者もいた。


 この出来事は深夜の公園で起きた死体遺棄事件として数週間もメディアをにぎわせた。しかし、被害者の身元がなかなか判明できず、また少ない手がかりのせいで犯人も特定できないでいた。そして事件は混迷を極めていく。


 茨城県牛久市、吉岡靖の葬儀は日曜日の夜に行われたこともあって多くの人が参列した。参列者は親族や吉岡産業の社員以外の他に同業者や取引先、地元政治家などが参列した。それは吉岡靖の人望や幅広い交流をうかがわせる。吉岡家の一人息子の真一は喪主として、今夜の大役を一生懸命に務めていた。

 参列者は焼香を上げると遺族へ頭を下げてその場をあとにする。その一人ひとりに真一は深く頭を下げて礼を払った。

 こうして吉岡の葬儀はその日、このあたりでは最も盛大なものとなった。おかげで真一も真一の母も疲れ切っていた。葬儀を終えて親族との挨拶を済ませた二人はセレモニーホールを出て、駐車場に向かった。そして車に乗り込もうとしていたときに、後ろから何者かに声をかけられた。


「吉岡さん、どうも本日はご苦労様でした」


 その言葉に二人が振り返ると白髪で熊のように大きな体格をした男が立っていた。その人は葬儀に参列した人だとはわかったが、真一には名前も吉岡靖との関係もわからなかった。


「ありがとうございます・・・あのう、どちら様でしょうか?」


「ご挨拶が遅れました。私は今木戸と申します。あなたのお父さんとは一緒にお仕事をさせていただいておりました。このたびは・・・何て言ったら良いか・・・吉岡さんの突然の不幸に・・・え~、ご心痛を・・・察します」


 今木戸と名乗る男は慣れない言葉を使っているせいかぎこちなく話す。しかし、大柄な体格に加えて、低く地の底から響いてくるような声に真一は何とも言えない威圧を感じていた。


「そうだったのですね。父がお世話になりました」


 真一は深くお辞儀をした。そしてちらっと母の表情を伺ったが、母は今木戸と初対面のようだった。人見知りで普段から人前に出ることを嫌がる母はぎこちない愛想笑いをしながら今木戸の話を聞いていた。


「今度、お父さんの件でお話があるのですが、お時間をいただけますか?」


「どのような件でしょう?」


「仕事の話ですよ。生前、吉岡さんから頼まれていたことなんです」


「わかりました。後日改めて連絡致します」


 そう言って真一は今木戸に名刺を渡した。それに対して今木戸も真一に名刺を渡した。そこには“株式会社サンクチュアリ 代表取締役 今木戸次郎”と書いてあった。


「今夜はとてもお疲れだと思います。ゆっくり休んでください」


 低くて太い今木戸の声が真一の心臓に響く。今木戸は軽く頭を下げると去っていった。真一はその背中を少しの間見ていたが、気にも留めずに車に乗ってセレモニーホールをあとにした。


 数日後、黒塗りの高級外車が吉岡産業の門を入っていった。メルセデスの最高級クラスだ。それが駐車場に止まると、中から黒いダブルのブランド・スーツを着た今木戸と細身の中年男性が降りてきた。二人の身なりからは仕事が潤っているという印象を与える。

 吉岡産業には業者の営業車が多く来るうえに、亡くなった吉岡靖や先代の社長が会社に高級車で来るようなことを善としていなかったので、社員にとっては今木戸の車が違和感に思えてならない。


 今木戸たちが事務所に入ると、明美が二人の応対をした。


「今木戸と言いますが、吉岡専務とのお約束で参りました」


「かしこまりました。それではこちらへどうぞ」


 そう言って、二人を受付の隣にある応接室に案内した。

 数分後、作業着を着た真一と加藤が、二人が待つ応接室に入ってきた。


「お待たせしました。先日は父の葬儀にご参列くださってありがとうございます」


 真一はソファーから立ち上がった二人に挨拶をした。


「こちらこそお忙しい中、ご都合くださりありがとうございます。今日は私の右腕を連れてきました。彼は村上と言って、元銀行員で会計士の資格を持っているんですよ」


 村上は今木戸に促されて真一たちと名刺交換をした。そして四人は挨拶を終えるとソファーに腰を落とした。今木戸は加藤から受け取った名刺を眺めていた。


「加藤常務は営業の責任者をされているのですか?」


「はい。加藤はウチの会社で最も古い社員で、先代の祖父が会社を創業した頃からいるんです。それにこの業界に影響力を持っていて頼れる社員なんですよ」


 真一が自慢げに語る。その間、加藤は今木戸の目をじっと見ていた。


「営業の責任者が今日の話し合いに参加しなければならんのですか?」


 今木戸はゆっくりと丁寧に話しているのだが、言葉には威圧感がある。


「はい、彼はこの場に必要です」


 60歳近い大柄の男の言葉にも臆することなく30歳手前の真一はきっぱりと言った。今木戸は真一の目をじっと見つめた。真一もじっと今木戸の目を見つめ返した。少しの間だったろうが、緊迫した空気が部屋を包み込み一秒一秒が長く感じられた。沈黙に耐えられなかったのか、村上が背中を丸くして俯いた。そのとき、今木戸が大声で笑い出した。


「ワハハハッ!!気に入った!やはり芯の強さは親父さん譲りだね。君は若いのに大したもんだよ」


 今木戸が顔をクシャクシャにして笑っているのを見て、他の三人も笑い出した。そして張り詰めていた空気が一気に和んだ。


「加藤常務、改めてよろしくお願いします」


 今木戸は笑いながら加藤に頭を下げた。加藤も今木戸に頭を下げた。そして胸ポケットから煙草を取り出すと、一本を抜き取って口にくわえた。そのついでに今木戸にも煙草を差し出す。今木戸は加藤の行為に甘えて煙草を受け取った。

 二人が煙草をふかしている間、四人は吉岡靖のことで談笑をしていた。その会話から今木戸と吉岡靖の付き合いがここ数年の付き合いではないことを知った。

 加藤からもらった煙草を吸い終えると、今木戸は吸殻を揉み消しながら静かに本題を切り出した。


「実は吉岡さんから生前に、自分に万が一のことがあったら息子の真一君が一人前の社長になるまで面倒を見てくれと頼まれたんです。そして吉岡産業の株式の一部を私に預けてきたのです」


 そう言うと村上に目で合図をした。村上はそれに応じてアタッシュケースから吉岡産業の株式と一通の委任状を取り出して、テーブルの上に置いた。


「こちらが吉岡さんより預かりました株式四百株と委任状です」


「ええ!?そんな話は聞いてないですよ!!」


 加藤は予想だにしなかった話に驚いた。真一も同様に驚き、テーブルに置かれた書類をじっくりとチェックした。委任状は確かに株式を今木戸に預けることと吉岡が死んだ場合、経営を今木戸に任せると書かれてあり、吉岡靖の署名と実印が押されてある。


 真一の心臓の鼓動が一気に激しくなっていく。


「本当だ・・・株も委任状も間違いがない。本物だ・・・」


 加藤は真一から委任状を受け取ると必死になって内容を読み漁った。そして株式が本物か確認をしたが、まぎれもない本物の吉岡産業株式会社の株式だった。


「これはウチの40%に当たる。これを今木戸さんは社長から譲り受けたということですか?あなたの目的は何なんですか!?」


 加藤はやや感情的になって身を乗り出し、語気を強めて言った。


「安心してください。私は吉岡さんとの長年にわたる友情に応えたいだけなんです。吉岡さんは生前に言ってました。吉岡産業を業界一の会社にしたい。そして社員が誇りに思えるような会社にしたい。そのためなら自分は何にだって挑戦すると・・・」


 今木戸の目から次第に大粒の涙が溢れてきた。そしておろおろと泣き出した。その隣で村上はうつむき、今にも泣き出しそうな顔をしている。


「吉岡さんが亡くなられたという報せを聞いて私はとても辛かった。そしてこの前の葬儀で喪主としての責務を全うしている真一君を見て、私は決心したんです。吉岡さんとの約束を果たしてやるんだ、って・・・私はこの会社を業界一の会社にして、真一君を一人前の社長に育て上げたい、ただそのことだけしか考えておりません。そしてこれを果たしたら預かっている株をあなた方にお戻しします」


 今木戸はハンカチで涙を拭いてから、キツネのように釣りあがった目に力を込めて真一を見た。真一は横目で加藤の方を見たが、加藤は動揺の色が隠せないでいるようだった。


「まあ、このような話は一度役員会で話し合わないと・・・今は何とも言えない」


 加藤の発言を聞いた村上が突然話を遮った。


「加藤常務、私たちは今ここで何かを決めろと言っているわけではありません。それにこういう場合は株主総会をやるべきです。私どもは臨時の株主総会の開催を提案します。そちらもちょうど吉岡社長の後任人事で株主総会の開催準備をしていた頃ですよね。代表取締役は株主総会によって選任されることになっていますから、それに合わせてもらって構いませんよ。それともまさか御社は社長の後任人事を一部の役員のみで片付けようとしているのですか?」


 加藤は黙り込んでしまった。吉岡産業は完全なるオーナー会社だったから、人事に関わる決定はほとんど社長の意思決定で済ませていたし、株主総会なんて形式的なものでしか行われていなかった。だから、今回も真一と彼の母親と加藤の三人で後任人事を決めて、その場でオーナーの吉岡真一の承認を得れば良いと思っていた。

しかし、今回については今木戸が吉岡産業の株式の40%を保有している。それではいつものようなやり方で決定することはできない。そして今木戸には株主提案権だけでなく拒否権も持っている。


「どのような提案をしようと考えているのですか?」


 真一は緊張した口調で尋ねた。おかげで声が震えて聞き取りづらい。


「私は、社長を真一君が就任することを提案します。そして私どもは後見人の立場をいただきたいと考えているんです」


 村上の鋭い口調と対称にし、今木戸は優しく丁寧に伝えた。


「それはつまり・・・どういうことですか?」


 加藤の声が少し震えているようだった。


「私は代表権の無い会長につきます。それで社長の真一君に私がこれまで培った経営ノウハウや人脈を提供しようと思うんです。そしてウチの村上には副社長兼財務担当責任者に就いてもらおうと思うんです。彼は銀行員時代に審査部にいたんで会社の与信管理や資金調達で抜群の能力を発揮しますよ。御社は経理部が存在しているけれど、財務部がない。会社の経営戦略に沿った財務戦略を立案することが、経営には最も重要なんです。だから村上には御社が財務の観点で競争力がつくまでの間、出向させようと思うんです」


 今木戸の声は地の底から心臓に向かってビリビリと響いてくるような感覚を受ける。それが威厳を感じさせるものだが、合わせて包容力も感じる。

真一は今木戸の話を聞いて心が揺れた。彼の提案から何ひとつ不満や疑問を感じなかった。いや、むしろ魅力的な提案に感じた。


「も、目的はいったい何なんだ!?そんな虫が良い話を簡単に飲み込むほど世の中甘くないでしょ!?」


 加藤は必死になって食い下がった。しかし加藤自身も内心この提案が会社にとって良い提案なのではないかと思った。


「加藤常務、それについては先程今木戸が申し上げたように、これは今木戸と吉岡社長お二人の友情からくるものです。だから実を言うと私はこの提案に反対をしているんです。会社を大きくするのも真一専務を一人前の社長に育て上げるのも、長い時間と根気とお金がかかるものなんです。もしかしたら途中で挫折してしまうかもしれないという大きなリスクが伴っているんです。それなのに事業が上手くいって、会社が上場し、私たちが預かっている株をそちらにお返ししたとしても、今のような景気ならば期待以上の金額にならない。いや、むしろ赤字です。目的達成までに費やした労力やリスクを考えると絶対に損だと言っているんです。しかし、今木戸はビジネスに義理と人情を失ってはいけないからと、私の説得には耳を貸してくれないんです」


 村上はやれやれといった仕草をしてため息をついた。


「おい村上、ここではそんな話をするな!すみません村上が余計なことを言いました。村上がそちらに出向いている間、報酬の半分は私が持ちます。あと私は毎日こちらに出向くことは出来ませんので、交通費等の諸経費を負担してもらうだけで構いませんよ」


 ここまで言われてしまうと、真一も加藤にはもはや返す言葉が無かった。真一は今木戸の株主提案権を受け入れ、会社は1ヵ月後に臨時株主総会をすることで話がまとまった。

 

1ヵ月後、吉岡産業の臨時株主総会で今木戸の提案が受け入れられた。

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