第2話 闇の入口

交通事故に遭遇した福田は救急車で横浜市内の病院に運ばれた。そして治療を終えて深夜の待合室で警察が戻ってくるのを待っていた。杉吉は警察に状況を話し終えると取材の資料を福田から預かって、先に帰社した。暗く静かな待合室でボーッとあのときの状況を思い返している。麻酔によって拳の痛みが抜けているけれど、かえってその感覚が気持ち悪い。


「やぁ、遅くまで付き合わせてすみません」

暗い通路の奥から警察が2人福田の方に向かってくる。福田は思わず立ち上がろうとした。


「いや、大丈夫です。そこに座っていてください」


警察は福田の容態を気遣った。


「私は厚木署の田辺と申します。そして隣は成田と言います。いやぁ、大変な事故に巻き込まれてしまいましたね。怪我の具合いはいかがですか?」


「それよりも、あの人はどうなりました?生きてるんですか?」


福田はずっと気になっていることを真っ先にたずねた。


「えぇ、残念ですが、こちらへ運ばれたときには既に亡くなられてました」


「な・・・亡くなった?」


福田の心臓の鼓動が荒くなっていく。絶句している福田に田辺が付け加えた。


「時速140㌔以上で走行されていたようですから、激突の衝撃も激しかったものだと思います。しかも、どうやら飲酒運転をしていたようで、衝突前のブレーキ痕もなかったんです。それにどうしてあんな運転をしたのか?」


「・・・」


福田は全身の力が抜けていく感覚に襲われた。そしてその場にへたり込んでしまいそうになる中、寸前のところで意識を取り戻した。


「身元はナンバープレートからわかりましたよ。名前は吉岡靖さん、茨城県牛久市で飼料問屋を経営しているようですね。自宅に連絡を入れたところ、3日前から家を留守にしていたようで、今ご家族が身元確認のためこちらに向かっているところなんです」


その言葉を聞いて福田は思い出した。そしてズボンのポケットから男の財布を取り出して田辺に渡した。


「これ、あの人が持っていたものです。助け出せなかったから、せめて身元がわかるものを、と思って・・・」


「ありがとうございます。それは助かりますよ」


成田は福田から財布を受け取ると、中身を取り出しはじめた。


「あぁ、田辺さん、これ、免許証がありますよ。確かに吉岡靖さんに間違いありませんね」


「あの・・・あの人の背中から大量の出血があったようなんですけど」


「出血?」


田辺が首をかしげながら聞いた。


「そうです」


「それはたぶん事故によるものなのかな?」


「・・・・・・・・・」


福田は何か考えるように押し黙った。


「それにしても今夜は大変でしたね。この後はどうされますか?」


「…タクシーで自宅に帰ります。」


福田は事故のショックからか、吉岡という男を救えなかった無念からなのか、力無く返答した。その後少しお互いの話をしてから、福田は書類にサインをして警察とわかれた。

帰り際、病院の入り口で中年の女性と若い男の2人組とすれ違った。福田は2人の憔悴しきり、そして動揺した表情がとても気になった。2人は病院の中に入ると田辺と成田のところへ行き、必死に何かを伺っている様子だった。しかし間もなく泣き崩れる女性の姿を見て、福田は彼らが吉岡の家族であることに気づいた。そして簡単な挨拶が終わると4人は病院の奥へと消えていった。福田はその背中を見届けてから、待ち合わせていたタクシーに乗り込んで帰路についた。


 タクシーの中で、福田は杉吉に電話を入れた。そして時計を確認するともう時刻は深夜2時を回っていた。


「あっ、先輩!大丈夫でした?」


「まあな、右手の人差し指と中指の間を5針縫った程度で済んだよ。それより、俺の仕事を任せちゃって悪いな」


「いえ、大丈夫ですよ。先輩の乗り気じゃない仕事は僕が片付けますから。それよか、デスクに報告したら、明日は休むように言ってましたよ」


「そうか、悪いな。でも、あの事故の件だけど・・・何か気にならないか?あれは事故というよりも、事件じゃねぇかと思うんだ」


「またぁ、何を言ってるんですか?僕も警察に確認したら事故だって言ってましたよ」


「そうだけどさぁ、何か不自然な感じがするんだよ」


「先輩、考え過ぎですよ。疲れているだろうから、今夜はゆっくりしてください」


「・・・まあ、いいや。今夜はお前に甘えるとするよ」


電話を終えると、福田はシートに深く座り直して、外の景色を見ながら浅い眠りに入った。



 翌日、目が覚めて、時計を確認すると11時半を過ぎていた。


「やべぇ、寝坊した!!」


そう言って福田は右手をついてベッドから飛び起きようとした。すると突然右手にズキッと激痛が走った。


「イテッ!」


福田は思わず、ベッドに転げた。右手を見ると包帯が幾重にも巻かれてある。それで福田は昨夜のことを思い出した。


「そうか・・・俺は昨日、事故に巻き込まれたんだった。そうだニュースでやってないかな?」


テレビを点けるとチャンネルをスキップさせる。するとその中に、上空から東名高速道路を映す映像があった。側道の壁に激突した白いワゴン車が、火災によって真っ黒に焼けている。昨夜は暗かったことや気が動転していたこともあってあまりよく全体を見ることが出来なかったが、上空からは杉吉がつけたブレーキ痕が生々しく映し出されている。


「えぇ、昨夜、東名高速道路の厚木インター手前で1台のワゴン車が暴走し、複数の車と接触した後に中央分離帯に乗り上げて横転、炎上する事故がありました。この事故で茨城県牛久市に住む会社経営者、吉岡靖さん54歳が亡くなりました。この事故について警察は、吉岡さんが大量のアルコールを飲んだことによる事故と断定しました」


 アナウンサーが昨夜の交通事故を単独事故と報道している。


「飲酒運転?あれは事故なのか?ウソだ!そんなのありえない・・・」


いろいろ思い返しているが、そのたびにつくづく納得のいくものではなかった。

 福田はいろいろ不満の多いニュースを見たから、気晴らしに食事をとることにした。そこでキッチンへ行きお湯を沸かし、パンをオーブンで温めている間、居間に座り込み煙草に火をつけた。そして携帯電話を取り出してメールのチェックをはじめた。朝一番に職場の同僚で恋人の永島美香から福田を気遣う内容のメールが届いていた。絵文字がたくさん施された美香からのメールはいつだって福田を元気にさせてくれる。その内容に返信をするのだが、慣れない左手でメールを打つのは難しい。メールを打ち終わるころに、温めていたパンが焼きあがった。そこで煙草を口にくわえたまま、キッチンへ向かう。

 焼きたてのパンを皿に乗せ、コーヒーを注いで戻ると、パンをほおばりながら、新聞を読みはじめた。新聞の記事はどれもありきたりなものだが、このところ不安を煽る記事を書く傾向にあるようだ。こういうものは読んでいて疲れる。


「うわぁ、納得がいかん!こういう三流記事を書くヤツがいるから日本の経済は良くならないんだ!」


福田は苛立ちから理不尽なことを言った。その後、見出しだけを簡単に読んで、スポーツ記事を眺めた。そして最後に再び昨夜の事故の記事を確認した。何度読み返しても、それはやっぱり合点がいく内容ではなかった。

 パンを食べ終わったところで、上司の小野の携帯に電話を入れた。


「お前、昨日は大変だったな。どうだ、調子は?」


「大丈夫ッス。ご心配おかけしてすみません」


「いいって、それよかお前の仕事を杉吉たちが手分けして片付けたんだから、後でお礼しとけよ」


「そうなんですか!?本当に良い仲間にめぐまれました」


「とりあえず今日は休んで、しっかり養生しろよ」


「はい・・・小野さん、昨夜の事故のことがどうも気になるんですけど」


「何だ!?どこが気になってるんだ?」


「あれは、事故というより・・・事件に巻き込まれたんじゃないかなって思うんですよ」


「また縁起でもないことを言ってるな。根拠はあるのか?」


「・・・・・・吉岡さんの背中から大量の出血があったんですよ」


「お前、ニュースじゃそんなこと言ってねぇぞ」


「そりゃそうですよ、僕も警察にそのことを話しましたが、激しい衝突のせいで受けたんじゃないかって言われて終わりですよ。状況からみて飲酒運転による単独事故の方が片付けやすいんじゃないっすかね」


「よくわからんな、警察が言っている話の方がしっくりくるように思うけどねぇ」


「小野さん、この件、僕に調べさせてもらえないですかね?」


「何を言ってるんだ!お前はそんなことに首を突っ込んでる場合じゃないだろ!」


「本業もしっかりやりますから・・・片手間でいいんでやらせてください」


「まあ・・・そこまで言うなら支障がない程度に頑張れよ」


「ありがとうございます」


福田はうれしさのあまり、大きな声で叫んだ。そして小野との電話を終えた福田は、今度は杉吉に電話を入れた。


「先輩、怪我は大丈夫ッスか?」


「あぁ、いろいろ迷惑かけてすまないな」


「何を言ってるんです。こういうときはお互い様じゃないですか」


「お前は本当に良い後輩に育ったよ。やはり良い先輩を持ったからだな」


「違いますよ。もともとの人間が良いんですよ」


「まぁ、そんなことどうでもいいや」


「えぇ!?」


「それよか、あの事故の被害者の自宅住所ってお前調べられる?」


「たぶん出来ると思いますよ。もしかして取材に行くンスか?」


「まあな、せっかく今日一日時間が出来たからちょっと行ってみようかなって思うんだ」


「先輩、休みをとったからってあまり無茶しないでくださいね」


「大丈夫、この件についてはさっき小野さんの了解を得たから」


「わかりました。あとでメール送っておきますね」


「わりいな!」


福田はそう言って電話を切った。そして暫くの間、煙草を吸いながらテレビをボーッと見ていた。

何分か経って、杉吉からのメールが届いた。福田は早速、メール書かれた住所を検索し最寄駅を確認した。


「えぇ、こんなに遠いの!?」


最寄の牛久駅は福田が住んでいる西荻窪から1時間40分近くもかかるのだった。しかも乗り継ぎの多さに少々ためらいを感じた。


「今から仕度して、向かっても到着は2時過ぎじゃねぇかよ・・・この話は無かったことにしてしまおうか・・・?」


右手の痛みが今になって熱を感じるようになってきた。しかし、躊躇している時間が勿体無いようにも感じたため、福田は気持ちを奮い起こして出発する準備をして、そして家を出た。

 福田は電車に乗ると、メモ帳を取り出して昨夜の状況を思い出すかぎり書き込んだ。改めて思い返すと、気がつくことが結構あった。思い出すかぎり書いていく中で、福田は吉岡が言った“リ・フ”という言葉が気になった。


「リ・フ・・・いったい何を言おうとしていたんだ?」


しばらくいったんペンを置いて、天井を見上げる。そして中吊り広告やゴシップの見出しを眺めた。それから目を閉じて、新宿に着くまでの間、眠りについた。

 福田は新宿に着くと山手線に乗り換えて日暮里へ向かった。そして日暮里駅で降りると常磐線に乗り、牛久駅へ向かうのであった。


「こんなところに住んでる人が、何で昨日あんなところを走っていたんだ?」


外の景色を眺めながら独り言を言う。思いつく限り書き込んだメモを何度も読み返したが、納得のいく仮説がたたない。そこで杉吉にメールをした。


「あの事故の件だけど、何か思い出せることがあったら教えてくれ!」


そのメールに対しての回答が杉吉から送られてきたけれど、これも何ら新鮮な情報に出会えない。しかし、杉吉が送ってくれた事故当時の写真は役立った。メチャクチャになったフロント、所々が衝突のせいで凹んでいて原型をとどめていない。その車の中へ福田が一生懸命になって吉岡を助け出そうとしている写真だった。その写真は福田の記憶をさらに鮮明にさせてくれる。福田の目から思わず涙が溢れ出てきた。


「・・・くやしい・・・・・・」


福田は人目をはばからず泣きじゃくった。

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