麦わら帽子を落としたら

白福あずき

青と緑と田舎町

 すっかり登りきった太陽が眩しいくらいに輝いている。アスファルトは照りつけられ、熱気に満ちた外はさそがし暑いことだろう。

 そんな外を横目に、俺はクーラーのよく効いたワンボックスカーを走らせていた。

「パパー!まだあ?」

 後部座席でDVDを見ていた息子、春樹が期待を込めた声を上げた。

「まだもうちょーっとかかるよ」

 信号が黄色に変わったのを捉え、俺はゆっくりとブレーキをかけた。

「もうちょっとってどのくらい?」

 そう声を弾ませたのは娘の奈々美。そんな娘の横で春樹が大きな声を出した。

「十分だよ!十分!!」

 最近時間の言い方を覚えた春樹は嬉しそうにしている。だがしかし十分ではまだまだ着きそうにない。

「あと一時間くらいかなあ」

 助手席に座る妻が子供達の方を振り返って言った。

 えー、っと不貞腐れた春樹の真似をして、奈々美も同じように不満げな声を上げた。

「ひいおじいちゃんの家遠すぎー!」

 そんなセリフを最後に子供達はまたDVDを見始めた。

 今日俺たちは子供達にとってのひいおじいちゃんの家に向かっていた。俺にとっては母方の祖父にあたるおじいちゃんは口数の少ない人だった。昨年、長年連れ添った妻を亡くし、それ以降俺の両親と暮らしている。元々大きい家であった祖父の家は、大人三人で暮らしても余裕があるほどだった。そんな家に俺たちは長期休みを利用して孫とひ孫の顔を見せによく訪れるのだった。

 俺自身も幼い頃、夏休みを利用して祖父の家を訪れては一週間ほど滞在していた。今でこそ道が整備され、アスファルトで走りやすい道路だが、昔は土がむき出しのでこぼこ道だった。そんな草木が生い茂った細いでこぼこ道を、俺はよく虫取り網を片手に駆け抜けた。そしてその先に『裏山』と呼んでいた大きな山があった。その山で俺は大きなカブトムシを捕まえたのだ。そういえば、俺はその山の名前を結局知らないままだ。

「ちょっと道が細くなってきたね」

 妻の香澄が少し楽しそうに声を上げた。

「昔はこの道ももっと狭くて走りにくかったさ」

 昔の面影を残した道を抜け、少しの坂を登れば目的地が顔を出した。昔ながらの日本家屋、とでも言っておこうか。一階建ての祖父の家は青空の下、太陽の光を反射してきらきらと眩しかった。その足元に広がる広い庭はカラカラに乾いて、まるで水を欲しがっているように見えた。

「これだけ土地が広いのも田舎だからだろうなぁ」

 家を囲うように建てられた塀は土埃で汚れていた。

「家庭菜園もできそうね」

そんな妻の言葉に、畑は別にあるんだよと教えてあげた。

「おーい、着いたぞ!」

 後部座席のスライドドアを開ければすっかり夢の世界へと旅立った子供達がいた。広い庭に車を止め、荷物を運び出す。今日から一週間ほど世話になるつもりだ。

カラカラ……--

 どこか涼しげな音が耳を抜けた。

「いらっしゃい、よく来たねぇ」

 そう言って玄関から顔を覗かせたのは俺の母親だった。

「義母さん、お久しぶりです」

 妻のよそ行きの声が響く。

「香澄さんもいらっしゃい。長旅大変だったでしょう?」

 少し嬉しそうな母の声につられて、親父も外へ出て来る。

「大助!よく来たな!!」

 昔から変わらない大きな声が、子供達の目を覚まさせた。

「親父、元気してたか?」

 声こそ変わらないものの、すこしシワが増えたように思う。

「おじいちゃん!」

 サンダルを引っ掛けた春樹が車から駆け出して来た。奈々美はまだ眠そうに目を擦っている。

「おぉ!春くんよく来たねぇ!」

 先ほどと同じような言葉を繰り返し、親父は孫を抱き上げた。その後ろからすこし腰を丸めて、ゆっくりゆっくりと歩を進める姿があった。

「無事着いたか、大助や」

 シワシワの顔をさらにクシャッとさせて笑った祖父が顔を覗かせた。そういえば祖父は今年でいくつになるんだったか、そんなことを頭の片隅で考えた。

「久しぶりだな、じーちゃん」

 そう声をかければ、昔となんら変わらないニカッとした笑みが返ってきた。


チーン……--

 じわじわと耳に響くその音は、線香の匂いと入り混じり、ゆっくりと姿を消した。祖母が優しく微笑む写真を視界の端に捉え、俺はそっと目を閉じた。

ミーンミーン……

ミンミンミンミーン……

 視界が暗くなった途端、外からの情報を得ようと耳が意識を集中させたのだろうか。今まで気にもしていなかったセミの声が忙しなく聞こえてきた。こんなにも鳴いていたのか。やはり人は目にばかり頼ってしまいがちなようだ。

「よし、スイカを切ろうか」

 親父のその声にはっとして目を開けた。

「ばあ!」

 うわぁあ!と思わず体がひっくり返ってしまいそうになる。

「パパずっと目つぶってるんだもん!寝ちゃったかと思った!」

 俺を驚かしたその声の主は元気に台所の方へと姿を消した。座布団も何も敷かず座っていた足は、すっかり畳とくっついてしまっている。よっこらせ、と足を崩せば畳の痕がくっきりと残り、ところどころ赤くなっていた。昔は遊び疲れて畳の上で気絶したように寝たもんだ。そして起きた頰には今日の足と同じように、くっきりと畳の痕が残っているのだ。

「はーい、スイカですよー!」

 ドタドタッ、と子供達の足音と共にスイカが並んだ大きなお皿をもった母親が姿を現した。テーブルの真ん中にドンッと置かれたそれは、すでに切られているもののかなり立派なものだとわかった。

「うちの畑で採れたモノだよ!」

 みんなでスイカを囲むように座って手を合わせた。

「「いただきます!」」

 子供達の声に続いて、大人達もいただきます、と口にしる。ひんやりと冷えたスイカは喉を潤すように胃の中へ消えていった。

「あれ、おじいちゃんもういらないの?」

 奈々美の声にバツの悪そうな顔をして親父は答えた。

「おじいちゃんは子供の頃にスイカ食べすぎて、お腹壊しちゃったんだよ……」

 そういえば俺も奈々美と同じ質問を、子供の頃にしたのを思い出した。

「それ以来、おじいちゃんはスイカがあまり得意じゃないのよ」

 ふふふ、と笑いながら母親が答えた。恥ずかしそうに首を掻く親父に奈々美が可笑しそうに笑った。

 春樹は縁側で祖父と、つまりひいおじいちゃんと一緒にスイカの種を飛ばして遊んでいた。ぶぶっ、と音をたてて息子の口からスイカの種が真下に落っこちた。自分のズボンの上に落ちたそれを面倒くさそうに拾う。そんな春樹の横でぷっ、っと祖父が飛ばしたスイカの種はキレイな弧を描き数メートル先に落っこちた。

「ひいおじいちゃんなんでそんなにうまいの?」

 なんでやろなぁ、と言いながらスイカを一口、もう一口食べ進めた。そして先ほどと同じように、ぷぷっと種を吹き飛ばしたのだった。


「あー!さっきのスイカの種あったよー!」

 春樹の元気な声が庭から部屋の中まで聞こえてきた。どこから持ってきたのか、スコップを片手に地面を掘っていた。

「ここにスイカの種植えたら来年食べられるー?」

 隣に座っていた祖父がゆっくりと腰を上げた。

「植えるなら畑に植えんさい。」

 そう言って玄関の方へ足を向ける。

「ななちゃんもいく!」

 と、祖父の後を追いかけるようにかけて行った後ろ姿を見送り俺は畳に寝転がった。そんな俺に影がかかる。誰の影だと見上げれば妻の香澄が長い髪を揺らして縁側に立っていた。

「まって二人とも!これ、かぶって行きなさい!」

 駆け寄ってきた子供達に渡したのは、リボンの色が違う2つの麦わら帽子だった。青い方を春樹が、赤い方を奈々美が受け取って祖父を追いかけるように走り出す。

「気をつけてねー!」

そんな妻の声が俺の鼓膜を揺らした。

あぁ、そういえば。俺にもあんな頃があったなと、ふと思い出した。虫取り網を片手に虫籠を首にかけてこの庭を走り回った。そして先ほどの子供達のように畑に行く祖父を追いかけようとして、俺も母親に呼び止められたのだ。麦わら帽子をかぶっていけと……。


たしかあれは二十年ほど前のことだっただろうか。

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