タイム・リセット

第3話 流れ星

「さてと、僕等はこれから京都に飛ぶ。久しぶりの休みだ。いいかい、今からここは君たちの家だ、自由に使えばいい。ただし、前もって話してあるとおり、明日の朝まで、正確に言えば午前零時過ぎまで外出禁止だ。例えどんなことがあってもだ。分かってるね」

神部は少し強い口調で、酒井に言った。

　酒井夫婦は返事の変わりに、慇懃に頭を下げた。

「うん、まあ、ゆっくり此処の生活を味わってくれ。食事や、掃除、君たちの身の回りの世話は全て執事とメイドがやってくれる。この屋上にはゴルフ場もあるし、プールも備わっている。しばらくはのんびり過ごしてくれ」

そう告げた後、神部夫婦はドアに向かった。

　「酒井君、明日は君の好きな競馬があるだろう。隣の部屋に最新鋭の大型立体テレビがある。迫力あるよ」

「ありがとうございます」

「とにかく、今度会う時まで元気でな」

　神部は、酒井の肩をしっかりと掴み、笑みを浮かべた。

神戸はしばらく、ジッと酒井の目を見つめた。

神戸の顔はまるで永遠の別れを告げるかのように神妙だった。　

屋上で待機しているヘリは七、八人ゆったりと座れる広さがあった。

ＴＶ，冷蔵庫，ベッド兼用のソファー、シャワールーム、最後尾にはトイレも設置されている。

チョットした空飛ぶホテルだ。

　「いよいよ今日ね」神部昭子は呟いた。

　「ああ，ついにこの日が来た」

　神部の顔は沈んでいた。

　「もしすべてうまくいったら私達、どうなるのかしら」

　不安げな表情で昭子は訊いた。

　「さあ、どうなるかな」

　そう言いながら神部は昭子の顔をのぞいた。

　「怖いか？」

　神部の問に昭子は小さく頷いた。

　神部は昭子の手を握った。昭子の手はかすかに震えている。

　「俺も怖いよ」

　そう言いながら、神戸はいつもの癖で下唇を噛んだ。

　「俺達、莫大な富を手に入れ身分不相応な生活をしてきた。うまいものを食べ、いい車に乗り、自家用飛行機や、ヘリコプター、豪華な邸宅を数え切れないほど持ち、全く贅沢三昧な生活をしてきた」神部はそう言って、昭子の顔を見つめた。

　「しかし俺にとって最高の贅沢はお前が俺の傍にいてくれたことだ」

　昭子の不安げな顔は、神部のその言葉で一瞬に消えた。

　「そのきざな言葉，久しぶりに聞いた。その言葉で急に背筋が寒くなったわ」　

　昭子は上目遣いで微笑んだ。

　「だろう、俺も言った後、歯が浮いちまったぜ。まあ浮いたついでだ。駄目押しでもう一つ、周りの世界が例え闇に包まれようとお前が傍にいれば何も恐くない。どうだ、このキザなセリフ、たまんねえだろう…」

　自家用ヘリはゆっくりと舞い上がり、星空を駆けた。

　数時間経った頃、ジェットヘリは満天の星空の下を飛んでいた。

　時間が午前零時になろうとしている。神部は深呼吸を二回した後、モニター付き電話の受話器をとった。

　すぐさま直通で自宅に繋がるようになっている。

　「私だ。夜分すまないが酒井君を呼び出してくれないか」

　向こうで受話器を取った相手は執事の角田であった。

　　「かしこまりました。しばらく」そう言って角田はモニターから消えた。

　昭子は不安そうな顔で夫を見守った。受話器からはエリーゼのためのメロデェイが無味乾燥に聞こえてくる。メロデェイが消え、慌てふためいた角田の顔がモニターに現れた。

　受話器から震える声が聞こえる。

　「……酒井が倒れた？」

神戸は呆然とした表情で呟いた。

　「どうして外出させたんだ。あれほど外に出すなと言っておいたのに」神部は目の色を変え叫んだ。

　「何、外出していない。じゃあ一体何処で…倒れたんだ」神部は瞬きを何度も繰り返した。

　「露天風呂？風呂場で倒れただと」神部の目は宙を彷徨った。

　「で、どうなんだ。医者を呼んだのか。救急車を呼んだ？馬鹿もん！そのビルには救急指定病院が入っているだろう。そこの医者を大至急呼び出せ。どんなことがあっても助けろ！私もすぐに引き返す」

神部は、肩を落としながら受話器を置いた。

　「どうしたの？」

昭子は、気落ちしてる神戸に尋ねた。

　「酒井が露天風呂で倒れた。」

　「露天風呂？」

　「そうだ」

　「どうして、風呂場なの」

　「さあ、こっちが聞きたい。とにかく引き返す」

　神部はヘリの窓に目をやった。

　突然、流れ星が暗い空を引き裂くように銀色の光芒を描いた。神部はその光景に目を奪われた。

　突然過去の一場面が蘇った。 あの時と同じだ。

　あの時と。

　神部の目に、あの時の流れ星の残像が鮮やかに蘇った。