裸サスペンダー

青出インディゴ

第1話

 その日は奇妙な一日だった。

 まず始めに地球が爆発した。日本時間で朝7時、NHKニュース「おはよう日本」が始まるちょうどその瞬間である。

 原因は誰にもわからない。そもそも原因を究明しようというような人は、爆発と同時に宇宙のかなたに消えてしまった。ともかく事実として地球は爆発し、これが今日の奇妙な点の第一であった。――ところで、物語を語るのに主人公が「一日という概念」というのもなんなので、便宜的に一人の人物に視点を合わせたい。場久ばく 初夫はつお(30歳・東京在住・賃貸アパートで独り暮らし・大卒・会社員・年収300~400万円・同居の希望なし・相手に望むこと:誠実さ)である。

 さて、地球の多くの人々にとっては、もしかするとこの一日の始まりは少々がっかりするものだったかもしれない。しかし初夫にとっては、まさに僥倖であった。初夫は人生に倦んでいた。これまた大勢の見方からすれば、なにをまだ30歳でと言うかもしれない。しかし30歳とは人生を憎みはじめるにはちょうどよい年齢である。彼は倦んでいた。会社とアパートの往復に、ゲームしかすることのない休日に、コンビニ弁当のローテーションに、次々と新作が出る映画や音楽に、童貞であることに。(最後の理由が一番大きかったかもしれない)。だから地球が爆発してくれて最高にハッピーなはずだった。

 ところが、初夫にとってハッピーでなかったのは――地球人類のなかでたったひとり、彼だけが助かったという点である。これまたなぜかはわからない。いつも通り朝6時45分に起きて、排尿を済ませ、心底嫌気がさしているスーツに着替え、インスタントコーヒーとコンビニの菓子パンという朝食を用意し、スマホでネットしながらテレビをつけ、地球が爆発した。と同時に彼はなぜだか爆風に乗り、宇宙空間に弾き飛ばされたのである。

 朝7時に突然広がった漆黒の宇宙空間を遊泳しながら、初夫は「あわあわあわあわ……」と声にならない声をあげていた。声をあげたつもりだが、真空なので声が伝わらないのである。背後では木っ端微塵に砕け散った地球の残骸が洗濯機のように渦巻いている。本当なら彼はここで死んでしまうはずであった。――本当なら。

 幸か不幸か、今日の奇妙な点はこれで終わりではなかったのだ。周知の通り、人は宇宙空間に放り出されても、30秒間は生きていられる。そして初夫が無限の銀河を漂いはじめて29秒後に、彼の横を宇宙船が通りかかったのである。

 言うまでもなく宇宙船とは異星人の乗り物であり、たま出版の韮澤さんによると異星人は現に存在するのだが、その辺の証明はくどくなるので省く。通りかかった宇宙船はなんの因果か、爆発した地球の残りカスであるところの初夫を拾ってしまったのだった。

「あわあわあわあわ……」

 これは声になった。宇宙船は空気で満たされていたのである。異星人は、

「我々は#$%&’※‘{+*}☆?星人だ」

 と名乗った。#$%&’※‘{+*}☆?は地球の発音では表せない。強いて言うなら「ナメック星人」に一番近い。(注:これは作者がSEOを狙ってこういう名前にしているのではなく、宇宙にはナメックという名前が多いためであり、あくまでも偶然であることを断っておきたい。なお、ナメック星人以外に多い名前として、ワンピース星人、AKB星人、「DA PUMP,USA,動画」星人などが挙げられる)。

「困ります! 帰してください!」

 しょぼくれたスーツを着た地球人が悲痛な叫びをあげるのを、居並んだ#$%&’※‘{+*}☆?星人たちは不思議そうな表情で見ていた。彼らは直立した柴犬に似ていた。

「なぜだね。せっかく助かったのに」

「せっかくチャンスだったのに! 勘弁してください!」

「何を勘弁してほしいのだね。見たところ、君はこの惑星の唯一の生き残りじゃないか」

「僕ひとり生きてたってしょうもないんです。最高にいい一日の始まりだったのに!」

 柴犬たちは顔を見合わせた。

「場久くん――ああ、なぜ名前を知っているかと言えば、さきほど地の文を読んだからだよ。それで、場久くん。人生に絶望してるらしいが、再び放り出すというのは難しいものがあるね。第一に、人生を完全に諦めるには君は若すぎる。第二に、人生というものはそれほど捨てたものじゃない。第三に、これが一番大きいが、言葉を交わしたものを故意に殺すのは寝覚めが悪い。高潔たる君は腹を立てるかもしれないが、君を放り出さないのは我々の利己心が影響するところが大きいのだ。すまないね。いわゆるひとつのライフ・ゴーズ・オンというやつだ。まあ放り出されたもの同士、仲良くやろうじゃないか」

 初夫はとんだ一日になったと目を潤ませていたが、最後の言葉を聞いて飛びあがった。

「あなたがたも放り出されたんですか?」

「ああ、もう地球時間で1万年前のことだ。故郷の惑星が爆発し、運よく宇宙船に乗っていた私は衝撃で放り出され、なんの因果かこうして生きている。5千年ほど前からクローン技術で仲間を増やすことを思いついてね。ここにいるのはみな、私あるいは彼らの子供あるいは兄弟だ。今でもどんどん増えている」

「はあ……」

「君の絶望がなにに起因するものかは知らないが、もし童貞をこじらせているなら――」

「よ、余計なお世話です……!!」

 初夫はか細い悲鳴をあげた。

「私のような生き方もあると伝えたかったのだが。まあいい。君を放り出すことはしない。いいじゃないか。悪くないものだよ、知り合いがいるというのも。」

 柴犬が嬉しそうに舌をだらりと垂らすのを見て、初夫は頭をくしゃくしゃとかきむしった。

「いったいなんでこんなことに……。1万年も生きてるなら、なにか知ってないんですか」

「ま、いろいろ仮説は立てたがね、結局のところ、我々がこんな運命に置かれた理由を最も簡潔に説明するとしたら、はじめが「カ」、終わりが「ミ」で終わる、ある者の意志だということにしておけばいいことに気が付いた」

「カ、ミ?」

「シーッ! その名前を言っちゃいかん!」

「いったいなぜ……」

 突然宇宙船が揺れた。激しい動揺に立っていられないくらいだ。見ると、舷窓から見えていた銀河が白い壁で遮られている。とんでもなく巨大ななにかが宇宙船を包み、揺り動かしている。

「カミだ!」

「カミの手だ!」

 柴犬たちがキャンキャンわめき、ウィンドウズのスクリーンセーバーのように逃げ惑う。初夫はひとりおろおろしている。収まらない揺れのなか、耳をつんざくような音が轟いた。それは、声だった。

「アッー! いく、いってまう!」

 とんでもなく巨大な男の声に聞こえた。柴犬たちはいつの間にか室から逃げてしまっていた。鳴りやまない巨大な声と激しい揺れに、初夫は恐怖を覚える。なぜ、さっきまであんなに人生を投げていたのに。いやつまり、こんな死にざまは嫌だということか。というか、うん。死ぬの怖い。

 初夫は、ギャーっと絶叫し、弾丸のように逃げだした。

 とたん、宇宙船が解体した。

 今日何度目かの奇妙なことが起こる。初夫は再び宇宙空間に投げ出されのだ。

「あっちゃー」

 という声が漏れたが、もうなにも聞こえなかった。漂っていく真空のなか、カミだかなんだか知らないが、巨大な人間型のものが宇宙船の残骸のなかにいるのが見えた気がする。

 そろそろ30秒が経とうとしているが、奇妙な一日はこれでは終わらなかったのだ。猛スピードで真空を飛ばされていく初夫の頭の方向に、惑星が見えた。美しい青色の、悲しいことにどことなく見覚えのある惑星だった。

 ああ神様。と、初夫は目をぎゅっとつぶった。人生続くんかい。

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