終夏

棚倉一縷

The end of his/her summer.

 五年ぶりの彼女との邂逅は、雲ひとつない夏の日、旧式自立式遠隔探査機の制御モニタ越しだった。

 ピクニックには最適な日にも関わらず、子供一人歩いていない田舎道をモニタ越しに延々と眺めて、民家を見つけては、生存者を確認するように指示を出す。三日目ともなると、生存者を期待することはなくなり、淡々と作業をこなすように、民家に押し入る指示を出した。

 シェルタ内には、一人の人間が三日生きるのに十分な食料と水があった。限界まで消費を減らしなんとか生活してきたが、持って後二日。助けが来る見込みはない。シェルタの入り口がノックされたとしても、悪意を持った来訪者である可能性の方が高いだろう。

 たったひとつ、外界との連絡手段はこの小さな液晶画面と、ゲーム機のコントローラだけ。いや、画面の向こう側が、本当に外の世界とは限らない。このシェルタの持ち主が、暇つぶし用にとゲームを置いただけなのかもしれない。ただ、モニタの電源をつけた時に表示された、『人型自立式遠隔探査機alone』の文字列だけが、かすかな希望だった。

 しかし、そのかすかな希望さえ、踏みにじられ、すり潰され、否定され続けて三日たった。

 誰一人、生存者は発見できない。他の遠隔探査機も見当たらない。他のシェルタも見つからない。そもそも、シェルタのある民家なんてそうそうないだろう。その点、警報と同時に飛び込んだ幽霊屋敷にシェルタがあったことは幸運とも言える。

 いや、不幸か。

 まあ、幸か不幸かは保留して、ともかく生き残ってしまったのだから、仕方がない。希望でなく、絶望でなく、ただ単に惰性として生きようと思う。

 パニックに陥っても仕方がない状況で、ここまで落ち着いていられるのには、最後の希望が残されているからだ。

 モニタから視線を外し、背後の壁に取り付けられたキャビネットを見る。扉は開いていないが、そこには一錠の薬が入っている。薬を包む袋には、達筆な文字で『自殺用』と書かれていた。俺の心の安定は、たった一錠の薬によって支えられている。

 そして、視線をモニタに戻した時、目を疑った。

 女の子がいた。白いワンピースと麦わら帽子。いつ壊れてもおかしくないような民家の庭先にあるベンチで、スイカを食べている女の子がいた。

 探査機に、女の子の方へ向かうように指示を出す。彼女もこちらに気がついたらしく、のんきに手を振っていた。

 探査機が近くに従って、女の子の顔がはっきりと映るようになった。

「   」

 それが自分の声だと気がつくのに、時間がかかった。三日ぶりに発した声は、記憶の中の自分の声と似ても似つかず、かすれていて自分でさえ聞き取れなかった。それでも、声にならない声が、五年ぶりにあった幼馴染の名前を意味するということは、確かめるまでもなかった。



 自立式遠隔探査機に備わる機能は三つだ。命令に従った移動、映像の送信、はいといいえを表す首振りの動作だ。

 人型のロボットが目の前に来て、光が最初に発したのは、

「あなたも座る?」

という、この世の終わりのごとき現状にはあまりに不自然な質問だった。

 聞きたいことはたくさんあった。東京に引っ越したくせに、どうしてここにいるのか。今まで何をしていたのか、外にいて、体は大丈夫なのか。どうして、光なのか。どうして。

 叫んだ。かすれた声で叫んだ。しかし、彼女には聞こえない。これを伝える手段がないのだ。ただ、不思議そうに返答を待つ彼女の姿は、画面越しでも愛おしかった。

 仕方がなくいいえを意味するコマンドを送ると、少しのラグのあと、画面が左右に揺れた。首を振ったのだ。

「そう」

 と言って、スイカにかぶりつく光。少し残念そうに見えるのは気のせいだろうか。

「あなたはどこから来たの?」

———いいえ

「イエスかノーしかできないのね?」

———はい

「そう———、じゃああなたは人?」

———はい

「あなた以外に生存者はいないの?」

———いいえ。

「あなたは、生き残れそう?」

………いいえ。

「そう、残念。でも、仲間が見つかってよかった」

 一人で死にたくないもの。と小さな呟きはマイクで拾えなかったが、唇の動きからそう言った気がした。

 光はぱっと笑顔になると、イタズラでも思いついたかのように、楽しげに言った。

「じゃあさ、付き合ってよ。どうせお互い短いわけでしょう。一人の女の子のお話を。暇つぶしにさ」

 モニタには眩しいほどに、無邪気に笑う光が映し出されていた。

 俺はイエスを意味するコマンドを送った。



 私、五年前まで、この町に住んでたんだよね。いやぁ、全く変わらない。驚くほど変わってないよ。ほら、あそこに建物が見えるでしょ。あれ、中学校なんだけど、五年前あそこに通ってたんだよね。あ、忘れてた。吉野光、二十歳です。東京で大学生してたんだけど、ちょっとわけあってやめて帰って来ちゃった。どうして、大学やめたのかって? 恥ずかしいんだけど、人間関係のもつれだよ。よくある話。誰にでもあるような話だよ。ほら、私って美人でしょう? ‥‥‥‥頷け。(頷くコマンドを送った) まあ、冗談だけどね。それでも、私みたいな田舎娘を好いてくれる人がいたわけさ。その人が、またイケメンでさ。私にはもったいなかったなぁ。まあ、女の世界ってのはいつだって怖いから、そういえば、男の子であってる? (頷く) だよね、そう思った。けほっけほっ。で、他の女子たちに疎まれたわけ。靴に画鋲入れられたりさ。もう、漫画かって話ですよ。で、不運にもそのイケメンが事故で亡くなっちゃったの。悲しかったよ、それはもう。一生分泣いたね。家にあった箱ティッシュ全部使い切っても足りなかった。でね、私のせいだって言うの。皆んな。お前のせいで、彼は死んだんだって。何かがプッツーンて切れてね、気づいたら大学やめて、電車に乗ってた。故郷に行けば、誰かが助けてくれる気がしたんだ。親もいないのにね。電車に揺られてたら、冷静になって、意味がないって気がついたの。だから、降りて引き返そうと思ったんだけど、足が震えて、どうしても、電車からホームに降りられなかった。その時、急に思い出した男の子がいてね。幼馴染なんだけど。有馬一樹って知らない、か、な。


 光は、けほけほと咳き込み始め、やがてゲホゲホと激しくなっていった。体を折り曲げ、口を押さえながら咳をする彼女をモニタ越しに眺めることしかできない俺。

「たいした奴じゃないんだけどさ、」咳がおさまったタイミングで、再び話はじめる光。「なんか、あいつの顔が浮かんだの。一樹ならなんとかしてくれる気がして」

 空を見上げてそう言った彼女の手に、少なくはない血を認めた瞬間、俺はシェルタを飛び出していた。



 暑い、苦しい。久しぶりに浴びる太陽の光は、嫌がらせのように熱く。湿気を多く含んだ空気が身体中に纏わり付き、肺の隅まで入り込んで、俺を外側からも内側から焼いた。空気の熱によるものなのか、それとも空気中を漂うウイルスにようものなのか。息苦しい。

 探査機が送ってきた映像の記憶を頼りに、光がいるはずの民家を目指す。道端の木からは、例外なく蝉の鳴き声が聞こえて鬱陶しかった。

 どのくらい走っただろう。記憶に新しい民家を見つけ、駆け込んだ。探査機と軒で日陰になったベンチに横たわる光を見つけた。地面には食べかけのスイカが転がっている。

 駆け寄って、呼びかけた。息はしている。「光!」白いワンピースの胸から下は、鮮やかな赤に染まっていた。「おい! 大丈夫か、光!」少し揺らして、呼び続ける。

「もう、うるさいな」そう言って、光はゆっくりと目を開けた。「一樹は心配性だね。ちょっと血を吐いただけじゃん」

「ちょっとじゃないだろう」

 安心して腰が抜けた。地面に座り込む。

「そのロボット、一樹だったんでしょ」

「ああ」

「わかったんだ。私、少しお話して、すぐわかった」

 すごいでしょ、と笑顔で言う彼女の目線は定まらない。視力が弱まっているのかもしれない。

「そうか」

「すごいでしょ」

「うん」

「ねえ」

「何」

「苦、しいよ」

「うん」

「一樹」

「光、ここにいるよ」

「かずき、かずき」

 伸ばされた手を掴む。夏にしては、涼しすぎる手だった。

「光」

「ねえ、いっしょに」

 それ以降、光は喋らなかった。

 俺は、静かな夏の道を光を背負って帰り、一錠の薬を水といっしょに口に含んで、光に口づけをして、飲ませた。

 光の胸に顔を乗せ、頰で彼女の鼓動が止まるのを感じながら、物音一つ聞こえない静かな夏を終えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終夏 棚倉一縷 @ichiru_granada

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ