第31話 だからこそ

 壁に身体をもたれるようにして、酷く衰弱した様子の男がズルズルと近づく。

 その男は、自身が放った銃弾の先に倒れているのが、狙った人物ではなかった事を確認すると、肩を震わせた。


「あはっ、あはははははっ!!」


 その弱った身体から出た声とは思えないような、耳に障る大きな笑い声。

 扉の位置まで身体を引きずると、その男――ジル・エイミスはリゼだけを真っ直ぐに見据える。その目だけはやけに力強く、ぎらぎらとしていた。


「弾、外しちゃったねぇ? リゼ。ボクのリゼ。君にこんな力もあるなんて知らなかったよ。

 さあ、早く治して? ねえ! 早く!!」


 笑顔から一変、激しい剣幕でまくし立てる。


「この手に入らないなら……」


 扉から一歩足を踏み出すと、身体を支えていた壁がなくなり、ジルは床に転がった。それでもなお、前に進もうと上半身を起こし、這うようにこちらへ向かってくる姿は恐怖でしかない。

 その目はリゼだけを捕らえ、他を映さない。

 真っ黒い靄が、その身体をのみ込もうとしているのがリゼには視えた。

 もう人間ではない。

 リゼへの執着だけでその身を動かす化物だ。


「私が……私がちゃんと力を使わなかったから――」


 シイナの服をぎゅっと掴み、愕然とした様子でリゼが呟く。

 リゼの呟きで、やはりこの男があの場であそこまで弱っていたのは、リゼの力によるものだったのだとシイナは理解した。

 シイナは兵達にジルの捕獲を指示してからここへ来た。そのジルがどうやってここへ来たのかは、手にした銃とその身に纏う白衣を見れば一目瞭然だった。

 白衣には赤い血飛沫。

 きっと誰かが犠牲になった。


「……それは違う、リゼ。あいつを生きたまま捕らえるように指示したのは、俺だ」


 そう言うと、リゼの視界を塞ぐようにその頭を抱え込み、シイナは手にした銃でジルの額の真ん中へ狙いを定める。

 ジルもまた、上手く力の入らない腕を上げ、その銃口をリゼに向けようとする。


「手に……入らないなら……全部、全部……」

 震えながら銃を向け、ジルが顔を歪め呟く。

「全部消えて無くなればいい!!」


 狂気に満ちた顔でジルが叫んだのと、銃声が鳴り響いたのは同時だった。


「がっ――」


 短い声を発して、ジルは這っていた床に突っ伏し、それきり動かなくなった。

 静かに床に赤い血がひろがる。


 しんとした静けさの後、はっとしたようにリゼはシイナの腕から抜け出ると、仰向けに転がるアスティに駆け寄る。


「アスティ? アスティ?」


 恐る恐る身体を揺すると、アスティは咽せるように咳をした。口の端から血が流れ落ちる。肺に血が溜まっているようだった。

 まだ息があることに、リゼはほっとする。

 生きていれば、力を使える。


「止血の処置をしたらすぐに連れて行く!」


 上着を脱ぎ、シイナが傷口を押さえるが、次から次へと血が湧き出てくる。


「待って、今傷を塞ぐから」


 胸に手をかざそうとするリゼの腕を掴み、アスティが焦点の合わない目でこちらを見た。


「い、い……これでいい。こ……れは、罰……なん、だ。姉さ……んを理由……に、たくさん……の子供……達を、犠牲……にした」


 自分と同じ境遇の、弱い子供達を。


「そんな事は解ってる!」


 シイナが怒鳴った。

 滅多に声を荒げないシイナが、感情を露わにして怒鳴っている。


「だから生きて償うんだよ! 俺も! お前も! 死なせないと言っただろうが!」


 リゼは、掴まれた腕からアスティの手をそっと引き離し、止血しようとするシイナの手の上から自身の手を重ねた。


「アスティ、一緒に生きよう?」


 暖かい光に包まれて、心地よさにアスティは目を閉じた。

 その目から自然と涙がこぼれ落ちる。


 ――どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだ。


 喋る気力はもうなかった。今はただ、眠たくて仕方がない。

 遠のく意識を手放す瞬間、アスティは姉のリリーを見た気がした。


 ――こんなに安らかな気持ちで、眠りにつけるのはいつ振りだろうか。


 すぐ傍でリリーがふわりと笑ったような気がした。 

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