第28話  あなたを救いたい

 部屋を出て、少し歩いた先に別棟へと続く渡り廊下があった。

 遠くで警報音が聞こえる。


 リゼは立ち止まり、空に浮かぶ月を見上げた。

 ガラス張りの渡り廊下を月明かりが照らす。進むべき先に、開け放たれた大きな扉があった。


「黒、赤、青、シルバー……」


 一歩一歩廊下を進む自分の足下を見つめながら、リゼは一人呟く。


「どれが本当のあなたの色?」


 色を辿り、廊下を進むにつれて空気が冷たくなっていく。

 開け放たれた扉の前に立つと、冷たい空気に包まれ、リゼは自分の身体を抱き込んだ。

 寒い。

 白い息を吐き、リゼは部屋の中央へと進む。

 大きなベッドに横たわる女性と、その横でうなだれるように座る男――アスティがいた。

 リゼは男の横に静かに立つと、ベッドの上の女性をじっと見つめた。


「――自分からここへ来たのか。どういうつもりだ」


 アスティの問いかけに応じず、リゼはただひたすらに女性を見つめる。

 長い沈黙に焦れたアスティが顔を上げ、リゼを見上げると、やがて青い瞳がこちらを向いた。

 悲しげな瞳だった。


「あなたを、救いたい」


 静かにゆっくりとリゼはそう言った。

 アスティは一瞬目を見開いた後、すぐに鋭い目つきでリゼを睨んだ。


「思い上がるな」


 怒りのこもった声だった。


「救うだと? 人を見下すのも大概にしろ」


 確かに、そうかもしれない。


 でもこの人は、ここにいてはいけない――


 アスティの纏う色を見つめ、リゼはアスティの手を取った。

 思いがけない行動に、アスティは固まった。

 振り払おうと思うが、澄んだ青い瞳に見つめられるとなぜかそう出来なかった。

 白い吐息を吐き、リゼは両手でアスティの手を包み込んだ。


「セラに包帯を巻いてくれてありがとう」

「……なんの話だ」

「弱ったセラを治療した跡があった。そこにあなたの色が残ってた」


 何を言っているんだという顔で、アスティがリゼを見返す。


「そうだとしても、それより酷い事をしているだろうが。治療をしたのも、貴重な研究対象だからだ」

「そう。そうかもしれない。でも――」


 アスティ・ロイスの事、その姉でありシイナの婚約者であるリリー・ロイスの事、全てではないかもしれないが、シイナはリゼに話してくれた。

 崖下で初めて出会った時のアスティは恐怖でしかなかったが、話を聞いた後のリゼの中には別の感情が芽生えていた。

 この力を利用する事だけを考えていたあの男と同じ黒い色を、アスティも持っている。

 だけど違う色も持っている。

 こうして話をすると、アスティの黒い色は少し戸惑ったように揺らぐのを見て、リゼは確信した。


「あなたは、本当は優しい人」


「……馬鹿じゃないのか、お前」


 何を見てその言葉を口にする事が出来るのか、アスティには理解出来なかった。

 ただ、なぜかリゼの手に包み込まれている左手がじんわりと温かくなるのを感じた。


「ただ自分の為だけに力を欲しているあの人とは違う。

 アスティの根底にあるのはいつもお姉さんの為。ただそれだけ」

「違う。姉さんを自分だけのモノにしたい、自分の為の行動だ」


 リゼの口元が柔らかく微笑む。大人びた表情。


 ――こいつ、本当に子供なのか?


 何を言っても全て包み込まれてしまうような感覚。

 吸い込まれそうな青い瞳から目を逸らすことが出来ない。


 リゼにはセラが、シイナとリリーにはお互いがいた。だけどアスティにはきっと誰もいなかったのだ。

 暗闇で光となる人がいないというのは、どれほどの孤独だろうか。

 だからこそアスティは、思い出の中のただ一人の綺麗な存在だったリリーにこれほどまでに固執してしまったのだ。


「セラがいなかったら、私もあなたと同じだったかもしれない」


 アスティは深く息を吐き、空いている右手で顔を覆った。

 眼の奥に痛みを感じた。

 自分に向けられる光が、眩しいせいかもしれない。


「……姉さんを、助けてくれ」


 アスティの手を離し、リゼはベッドの上へ視線を向ける。

 この凍える部屋で、冷たいベッドの上で、たくさんの管に繋がれ横たわっているのはリリー・ロイス。

 頭の半分は今も包帯が巻かれている。

 何かを決心するように目を閉じ、縋るようにこちらを見つめるアスティへ視線を戻す。


 「       」


 リゼの言葉で、アスティの表情は一変した。

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