第26話  突入

 シェリアと連絡が取れなくなった時点で、軍はもう動き出していた。


 日が落ちた同時刻、ユリシの町にある研究施設と本社、そして関係者の施設及び自宅全てに、すでに待機していた軍が一斉に突入した。

 ユリシに到着したシイナは、突入を知らせる合図で兵達と共に駆け出した。

 こうなる事を予測していたのか、ただの研究施設のはずの建物から、体格のいい武装した男達が次々と現れた。


「気をつけろよ! 奴ら独自に開発した武器や化学兵器を隠し持っているからな」


 ユリシで合流した兵達を指揮しながら、アボットがシイナに向かって叫んだ。


「ああ」


 混乱の中を走り抜けながら、手にした銃の撃鉄を起こした。

 ミクラスがその後に続く。

 ドォンという一際大きな音と閃光が辺りを照らした。

 咄嗟に近くにあった木に身を隠す。

 爆風で飛んできたコンクリートやガラス片が周囲にバラバラと落ちた。


「大丈夫か、ミクラス」


 同じように木の陰で身を屈めていたミクラスに声を掛ける。


「はあい、なんとか。入口、吹き飛ばされちゃいましたね」


 先程の爆発で、入口は崩れ落ち、火の手が上がっていた。


「入口はここだけじゃない。アスティがいるのはあの奥の特別棟のはずだ。このまま直接向かう」


 敷地の最奥、木々に囲まれた建物を見やる。


「了解」


 木の陰から出た瞬間、シイナの足下を銃弾が掠める。

 反射的に身を翻し、弾道の先にいた人物を撃ち抜いた。

 うめき声を背に聞きながら走る先に、こちらに向かって何かを構える男が数人見えた。


「打ち上げ式の手榴弾!?」


 斬りかかってきた男を殴り飛ばしながら、ミクラスが慌てて声を上げる。


「撃ち落とす」


 チッと舌打ちをして、シイナは銃を構え引き金を引いた。

 高く弧を描き放たれた手榴弾が、こちらに届く前に空中で順番に爆発していく。

 地面に身を伏せ、近くの建物の陰に転がり込んだ。

 新たに弾を装填しながらシイナは辺りを確認する。


「キリがないですね」


 隣でミクラスが身体に付いた埃を払いながら言った。

 不意にバタバタと足音が近づき、緊張が走る。

 うめき声と人が倒れる音の後に、二人の前に熊のような影が現れた。


「まだこんな所にいるのか」


 建物の陰からアボットが顔を出し、二人の姿を確認すると目を細めた。


「そうは言っても、なかなか前に進ませてもらえないんですよ」


 むっとした様子でミクラスがそう言うと、アボットは手にした槍を地面に突き刺し、ある方向を指さした。


「あの建物から入れば、特別棟に続く渡り廊下に近いはずだ。援護しよう。さっさと行け」


 ここから二百メートル程先にある建物を指し示し、アボットが顎を突き出した。


「……恩に着る」


 シイナは立ち上がり、アボットに向かって軽く頭を下げた。

 その姿を一瞥し、ふんっと鼻を鳴らすとアボットは片手を上げ、声を上げる。


「第一部隊、総員援護に回れ! シイナの行く道を空ける!」


 よく通るその声で、近くの兵達が走り寄ってくる。


「……シイナさん。あの――」


 立ち上がったシイナを見上げ、ミクラスが言い淀んだ。

 叱られた犬のような表情のミクラスを見て、シイナは軽く笑った。


「行けばいい。自分で探したいんだろう?」

「すみません。合流出来たらすぐに向かいます!」


「早く行け」


 はい! と答え、ミクラスはシイナとは別に走り出した。

 その後ろ姿を見送り、シイナは大きく息を吸い、走り出す。



 響き渡る爆発音を、シェリアは薄暗い部屋の中で聞いた。


 ――作戦を開始したんだわ。


 送るべき情報は全て送った。きっと予定よりも早く動いたのだとシェリアは考えた。

 シェリアは手首を後ろ手に縛られ、床に転がされていた。


 アスティが放った銃弾は、シェリアの左大腿部を貫通した。

 動脈は逸れ、大量出血は免れたが、逃げ出すには脚の負傷は痛手だった。

 作戦が実行されたのなら、足手まといになる前にこの状況を打破しなければならない。


 ――大人しく人質になるつもりなんてないんだから。


 床に転がされた状態から、起き上がろうと力を込める。


「――っ」


 途端、左脚に激痛が走る。


「おい、動くな」


 頭上から低い声が響いた。

 屈強な体躯の男が、手にしたナイフをシェリアの眼前に突きつける。

 アスティはシェリアを撃った後、警備の男を呼び出し、シェリアを引き渡すとその場を立ち去った。

 とどめを刺さなかったのは、国が動いた時に人質として使う為だろう。

 軍の中で諜報員であるシェリアの存在を知る者は少ない。もし自分が人質となり、国が不利な状況になった時は、切り捨てられる覚悟があるし、キナ王女にも迷わず切り捨てて欲しいとお願いしている。


 しかしきっとあの王女はそれを選ばない。

 だから――。


「余計、ここで人質になるわけにはいかないんだって」


 自身を奮い立たせるように呟く。


「おい、聞こえないのか」


 男が再び低い声で牽制する。


「……ねえ、あの爆発音、聞こえた?」


 男は一瞬部屋の外を気にする様子を見せたが、すぐにシェリアに向き直る。

 シェリアの顔の前に屈むと、手にしたナイフをその頬にひたりと付ける。

 冷たい刃先を頬に感じ、シェリアは目を細めた。


「聞こえたが、それがどうした? ここの警備システムは優れている。武器もたんまりある。

 何かあってもすぐに制圧出来るだろう。これを機に、我々の国を一気に取り戻すのだ」


「そう。けど、それは無理ね。あんた達にこの国は落とせない」


 男のナイフを持つ手がピクリと動いた。

 この男も旧王国派の末端なのだろう。


 シェリアは床に転がったまま周囲を見回した。

 ひときわ大きな爆発音がして、けたたましく警報音が鳴り響いた。

 男の注意がそちらに向いた瞬間を見逃さなかった。


 素早く身体を折り曲げると、床に着いた肩を支点にぐるりと向きを変え、目の前で屈む男の腹を両足で蹴り上げた。

 うめき声をあげて、男が後ろに倒れ込む。ナイフが手を離れ、床を滑っていく。

 左脚に力が入らない分、威力は落ちるが、不意を突くには十分だった。

 後ろ手を縛られたまま、脚に走る激痛に耐えながらシェリアは立ち上がった。


「き、さま!」


 尻もちをついた体勢の男が動く前に、シェリアはその男の急所を思いっきり踏みつけた。


「――!!」


 声にならないうめき声をあげて、男が身体を丸め床に転がった。

 肩で息をしながら脚を引きずり、シェリアは床に落ちたナイフの側へ行き、後ろ手にそれを拾い上げる。

 器用にナイフを動かし、手首の縄を切った。


「貴様、逃げられると思うなよ」


「そんな格好でよく言うわ。今度は踏みつけるだけじゃなくて切り取るわよ」


 いまだうずくまったままの男を見下ろしながら、シェリアは自身の上着を裂き、血の流れる左脚を強く縛った。

 脚を引きずりながら部屋を出た所で、目の前が急に暗くなった。


 ――血が出すぎたかしら。


 視界が回り、定まらない。壁にもたれ掛かりながら、シェリアはほとんど力が入らなくなりつつある脚を前に出した。

 ここから離れなくては。


 その後ろで、男がゆっくりと立ち上がった。

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