第24話  黒い欲望

 瞼の向こう側に眩しい光を感じ、リゼはゆっくりと目を開けた。

 目覚めた場所は、無機質なただ白いだけの部屋の中だった。


 記憶を辿るように、ゆっくりと自身に起きた事を思いだそうとする。

 リゼは部屋の中で本を読み、シイナ達が帰ってくるのを待っていた。

 不意に背後に人の気配を感じ、振り返ると黒い靄が視界に入ったのだ。


 そこで意識は途切れた。


 口元に何か押し当てられた感触があったので、薬で眠らされたのだろうとリゼは思った。

 いつかのスラム街で、同じように攫われていく子を見た。


 けれどあの靄は――


 堅く目をつぶり、もう一度ゆっくりと開く。

 身体を起こそうとして、右手の自由がきかない事に気付いた。

 鎖でベッドに繋がれていた。

 それでも起き上がるには不自由のない長さの鎖だったので、身体を起こし部屋を見回そうとして小さく息を吞む。


「――セラ!」


 少し離れた所に双子の兄であるセラが横たわっていた。


「セラ? セラっ」


 必死に呼びかけるが反応はない。

 同じようにベッドに鎖で繋がれ、身体には白い包帯が巻かれていた。

 ひどく衰弱しているようだった。目を懲らしてよく見なければ、息をしていると分からない程弱々しい呼吸。


「――っ!」


 傍に寄り、力を使いたい。

 しかし鎖に繋がれ、これ以上近づくことが出来ない。

 もどかしさに唇を噛み締める。


 突如、嫌な気配を感じリゼは扉を凝視した。

 扉の隙間から、じわじわと黒い靄が広がっていく。

 扉が開き、白い部屋が黒い靄で覆われていく様を見つめるリゼの背中を、冷たい汗が流れ落ちた。


 ――怯むな、のまれるな。


 逃げ出したい気持ちを必死で抑え、リゼは強い眼差しでその黒い靄の中心にいる人物を見据えた。


「おはよー、リゼ。なかなか来てくれないからさ、待ちきれなくて迎えに行っちゃったよ」


 この施設の所長、ジル・エイミスが長い白衣の袖を振りながらヘラヘラと笑った。


「なんで君の居場所が分かったか知りたい? ねえ知りたい?」


 リゼは答えない。黙ったままジルを見つめた。

 緊張感のない喋り方とは裏腹に、この人物の持つ色は、気を緩めるとすぐにのまれてしまう……それほどの色なのだ。


「ボクらはさ、シイナ・セルスとかいう男が嫌いでね、彼が軍を離れた後も定期的に動向をチェックしてるんだ。

 いつどこに出掛けたか、何を手に入れ、何を買ったのか――とか、ね。

 別にボク自身は、彼に全く興味がないんだけどさ」


 聞いてもいない事を、ジルは一人楽しげにペラペラと話し出した。


「彼は、今はもう関係のないはずの王宮に出向き、銃を手に入れ、そして同居している彼の部下の買い物内容には近頃変化があった――」


 ジルはベッド脇に移動すると、リゼのプラチナブロンドの髪を、愛おしむようにそっと手ですくった。


「君のこの綺麗な髪色には、そのぼんやりした水色のワンピースより白が似合うと思うんだよね。

 どう?」


 ミクラスの買ってきてくれたワンピースをけなされた気がして、リゼは不快感を露わにその手を払った。


「……へえ、そんな顔をするようになったんだ」


 先程までのヘラヘラとした顔が、急に真顔に変わり「いやだなぁ」と呟いた。

 黒い靄がさらに濃くなる。


「セラを回復させて」


 リゼが言葉を発すると、ジルの瞳が驚いたように見開かれる。


「そう……声も出るようになったんだね」


 突然、リゼは身体を押され後ろに倒れ込んだ。

 上からジルが覆い被さり、リゼの細い首に手をかける。

 絞められる事を覚悟して身構えたが、力が込められることはなかった。


「いやだなぁ。ボクはあんな男の事は興味なかったんだけどさ、君を変えてしまうなら話は別。

 許さないよ、ボクの天使を勝手に染めたこと――」


 リゼの透き通った青い瞳が、ただ真っ直ぐにジルを見つめる。

 首にかけられた手がすっと離された。


「……つまらないな。全然怯えなくなっちゃってさ」


 リゼに馬乗りになったまま、冷めた目つきで見下ろす。


「あなたは、どうしてこの力が欲しいの?」


 静かにそう問われると、ジルは真顔から急に笑顔を作った。


「ボクはただ研究がしたいだけだよ。治癒と再生の力だよ? 

 ボクが研究すれば不死の力にする事だって不可能じゃない。

 そうしたらもう、それは天使ではない。神の力だ」


 ただの人間が神になれる力だ、と。


「君の力を他の人間が使えるようになる技術を開発したら、最終的にボクはボク自身にそれを施したい」

 ジルがゆっくりとリゼに顔を近づけ、囁いた。


「そうしたら、ボクは神になれる」


 憐れむようにジルを見た後、リゼは顔を背けた。

 この男を取り囲む黒い靄は、もう手が施せないほどこの男自身を蝕んでいる。

 幼い頃、リゼは自らこの男に声を掛けた。そしてそれが父を死に追いやるきっかけとなってしまった。

 それでも、その頃のジルはまだこれほどの靄を持っていなかった。

 バス転落事故の際に、崖下で姿を現した時には、すでに足がすくむほど靄は広がっていた。

 そしてその時よりも更にそれは広がり、今なおこの男のエネルギーを吸い取って成長しているようにも見えた。


 人の色を視る事の出来るリゼにはよく分かった。

 この男は自身の欲望にのまれ、いつか身を滅ぼすと。


「かわいそうな人」


 ポツリ呟くと、口を塞ぐように顔を掴まれ、無理矢理視線を戻された。


「それは君の方じゃないの? 君の力の事、教えてあげよっか?」

 ギラギラとした眼に射貫かれる。


「君の力の本質は、生物に本来備わっている再生の力を瞬間的に極限まで高めて損傷を修復する力だ。

 身体の中を流れるエネルギー……気の流れともいうかな、それを外へ放出する事で相手にも作用させる事が出来る。それが出来るのは、脳のある部分を使うからだ」


 ふふっとジルが笑う。


「普通の人間は使わない脳のその部分を使えるのは、今のところ分かっているのは君の血筋の人間だけ。

 リゼ、君の母親も綺麗な天使だったよ」


 初めて知る情報に、リゼの瞳が大きく見開かれる。


「でもね、天使は力を使う分消耗が激しいんだね。すぐに命が尽きてしまうんだ。かわいそうに」


 口を塞いでいた手を離し、ジルはリゼの頬をゆっくりと撫でた。


「君の力は特に強い。きっと長くは生きられない。

 でもボクの言うとおりにすれば、命を延ばす事が出来るかもしれない。簡単だよ。君は僕の研究に協力すればいい」


 そして、と頬を撫でる手が止まった。


「子供をたくさん産んでね」


 一瞬何を言われたのか理解出来ず、リゼはただ目の前の人物を呆けたように眺めていた。


「その力が遺伝によるものなら、研究の為に遺伝子はたくさん残したい」

 言葉の意味と、目の前の男が本気だという事を理解した途端、全身に鳥肌が立った。


「い、いやだ!」


 身をよじるが、馬乗りの体勢を覆す事が出来ず、強い力で両手を押さえつけられた。

 いいね、とジルの嬉しそうな声が降ってくる。


「そう、それだよ。君はそういう怯えた顔の方がよく似合う」


 嫌だ。怖い。


「別に誰でもいいんだけどさ、どうせならボクみたいな優秀な遺伝子と交えた方がいいと思わない?」


 いや―――――――――――


 感情の昂ぶりと共に、リゼの身体の中を何かが逆流するような感覚が走った。

 次の瞬間、ドサリという音と衝撃。

 かたくつぶっていた目を開くと、ジルが覆い被さるように倒れこんでいた。


「な、に?」


 覆い被さる身体をどかし、辺りを見回すが、部屋の中は変わりなくしんとしていた。

 ジルは突然意識を失い、微かに息をする程度にまで急激に弱っているように見えた。

 何が、起きたのか。


「私――」


 呆然と座り込むが、すぐに頭を振り意識を切り替える。

 倒れたジルの腰にぶら下がる鍵束を見つけ、自分の手に付けられた鎖を外した。

 ベッドを飛び降りると、セラの鎖も外し、すぐに力を使う。

 セラの冷たい手を握り、自身のエネルギーを注ぐイメージに集中すると、二人の周りだけが柔らかい光に包まれたようにぼんやりと明るくなる。


 しばらくすると、呼吸が落ち着き、冷たかった手が温かくなった。

 ただ、すべてのダメージを回復できるわけではない。

 気力と体力の消耗が激しい分、目覚めるまでに時間がかかりそうだった。

 こんなにもぼろぼろになってしまった兄の手を頬に当て、リゼは呟いた。


「遅くなってごめんね、セラ」

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