第21話 声

 窓の外には朝日が昇り、朝独特の慌ただしさと、どこか背筋がしゃんとするような空気が流れている。

 深く息を吸うと、少し冷たい空気が身体の中を浄化していくような気がした。


 リビングの窓を閉めると、シイナはテーブルの上に置いてある新聞を手に取った。

 ざっと目を通し、新たな孤児失踪事件が起きていない事を確認する。

 リゼを保護した頃からぴたりと事件は起きなくなった。

 微弱ではあるがリゼと同じ力を持つ双子の兄、セラを手に入れたからか、あるいは国の警備が強化されたせいか。


「まあ、両方だな」


 昨夜、この国の王女キナから連絡があった。

 必要な情報をほぼ集め終わったと。

 シェリアが順調に仕事をこなしてくれたおかげで、もう少しでこちらも動く事が出来る。

 残るは奴らの動きを把握出来る情報、それが分かれば今週末にも国は動く。


 部屋にはパンが焼けるニオイとコーヒーの香りが漂い始めた。


「何か事件ありました?」


 テーブルにコーヒーを置きながら、ミクラスが訊いた。

 いや、とシイナが首を振り新聞を置くと、リビングのすぐ横のドアが静かに開いて淡い水色のワンピースを着たリゼが顔を覗かせた。


「起きたか」


 シイナの言葉にリゼは頷き、口元だけで笑った。

 控えめながら、リゼは最近よく笑うようになった。

 来たばかりの頃のぎこちないものではない。


「おはよう、リゼ。いいね、そのワンピースよく似合うよ」


 それは、替えの服を持たないリゼに、ミクラスが買ってきた物だった。

 リゼはスカートの裾を少しだけつまんでみせ、はにかんだ表情を見せる。


「あーもう! かわいいっ! 天使!」


 突然そんな事を言いながら、ミクラスがリゼをぎゅっと抱きしめた。

 急に抱きしめられ、青い瞳が戸惑いの色を浮かべている。


「……お前、そんな趣味があったのか。犯罪に走るなよ」


 シイナが呟くと、リゼを抱きしめたままミクラスが眉を上げた。

「違いますよ! 違いますけど、こんなに可愛い子を抱きしめずにいられますか!」


 困惑の表情のまま、大人しく抱きしめられているリゼを見て、シイナはふっと息を漏らした。


「まあ、そうだな」


 そう言って笑ったシイナを見て、リゼは自分の頬が急激に熱くなるのを感じ、慌てて目を逸らした。

 それを見て、ミクラスがおや? と表情を変える。


「……シイナさん、子供まで落とすのやめてください」


 紅潮したリゼの頬を両手で包み、ミクラスがため息まじりに言った。


「朝からなにを馬鹿なことを言ってるんだ」


 いつも通りの不機嫌そうな顔で、シイナは目を細め、少しぬるくなったコーヒーに口を付けた。

 その様子に、言うだけ無駄だと肩をすくめ、ミクラスはキッチンへ移動する。


「あの人は無自覚の天然だから大変だよ?」


 リゼもキッチンへ移動して、ミクラスからパンが乗ったかごを受取る。

 途端に香ばしいニオイに包まれた。


「リゼはシイナさんが好き?」

 突然のミクラスの問いに、瞬きをしてからゆっくり頷く。

「僕の事も好き?」

 これにも頷く。

「シェリアの事も?」

 やはり頷く。


 そっか、と言ってミクラスが柔らかく微笑んだ。

「僕らもリゼが好きだよ。大好きだ」

 言いながら、食器棚からリゼ用のコップを取り出す。

「そうやって好きな人をたくさん増やしていけばいい。リゼはきっともう大丈夫だね」


 もう大丈夫。

 その言葉で、リゼは自分の胸がじんわりと温かくなっていく気がした。


「リゼはリンゴジュースとオレンジジュース、どっちがいい?」

 冷蔵庫を開きながらミクラスが言った。

 リゼは、いつものように指をさそうとして、やめた。

 今さっき感じた、じんわりと温かいものが、溶かしてくれるような気がした。

 喉の辺りから胸にかけて、長い間冷たくそこにあった大きな塊を。


「……オレンジ」


 小さな声。


「オレンジね、はいはい…………え?」

 オレンジジュースのパックを掴んだまま、ミクラスは目を見開いてリゼを見下ろした。

「シイナさん!」

 そのまま思わず叫んだ。


 呼ばれ面倒くさそうにリビングからやってきたシイナが「なんだ」と言い、ミクラスの視線の先にいるリゼを見つめた。

 特別変わった事は何も見受けられない。

 二人の顔を交互に見上げ、パンのかごを抱えながらおずおずと、リゼが口を開いた。


「おはよう……ござい、ます」


 小さく、少し掠れてはいたが、澄んだ声だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る