第19話 絶対世界〈5〉
病院のベッドに横たわり、ピクリとも動かない姉さんの変わり果てた姿を、分厚いガラス越しにただ呆然と見つめていた。
一人買い物に出た先で、姉さんは撃たれたという。
残った銃弾から、旧王国派が裏で製造しているライフルが使われた可能性があると、軍の人間が言っていた。
確実に姉さんを狙って狙撃されている。
なぜ?
理由は容易に想像出来る。
あいつは旧王国派から恨みを買っている。
ああ、分かっていたのに俺は――
先程一回目の脳死判定が行われ、あと六時間後に行われる二回目の判定が覆らなければ、姉さんは完全に脳死と診断される。
「――なんで、なんでよりによって頭なんだよ」
幼い頃に目の前で死んだ父親の姿が鮮明に甦る。
頭を撃ち抜かれた瞬間のあの顔を。
姉さんが何をしたっていうんだ。なぜあの父親と同じ箇所を撃たれなければいけない。
ふと、部屋の入口に人の気配がした。
けれどあえて振り返らなかった。
振り返りその顔を見たら、殺してしまうかもしれない。
しかし、こみ上げてくる感情を抑えようとするほど、身体が震えて止まらない。
「……なんで何も言わないんだよ」
自分でも驚くほど低い声が出た。
ガラスに映るその人物は、真っ直ぐに姉さんだけを見つめていた。
その瞬間に一気に頭に血が昇った。
振り返ると同時に、その男の顔を強い殺意を持って思い切り殴り飛ばした。
眼鏡が飛び、男はよろめいたが倒れはしなかった。
口から流れる血を拭い、光を失った黒い目で俺を見上げた男は、初めて口を開いた。
「……アスティか」
まるで今俺の存在に気づいたかのような言葉。
カッとなり、もう一度拳を振り上げると、横から現れた手に掴まれる。
「それ以上はやめてもらえるかな」
茶色い髪の見知らぬ男が、間に入るように立つ。
口調は柔らかいが、有無を云わさぬ目だった。
近衛隊の制服とバッジから、男の部下である事が窺えた。
「……なんであんた達の方が来るのが遅いんだよ」
男は光のない目のまま何も言わない。
「犯人を追っていたんだ。さっき捕まえる事が出来た」
代わりに部下の男が答える。
「そいつ一人を捕まえて何になる? 奴らは組織だぞ。そもそも元はあんたが蒔いた種じゃないか!
あんた一人が組織に狙われるのはいい! なぜ姉さんを傍に置いた!
なぜ周りにいる人間にも害が及ぶと考えなかった!」
なぜ俺は無理矢理にでも姉さんとこいつを引き離さなかった……
「……お前の言うとおりだ」
何だ、それは。全部自分の責任だと、その言葉だけで片付けるつもりか。
感情を無くしたかのようなその顔に、怒りが煽られる。
「クソがっ!」
これ以上この男と同じ空間にいることが耐えられず、俺は部屋を出た。
しかしあの男に怒りを抱く一方で、自分自身にも怒りを抱いていた。
気付いていた。
姉さんが狙われているかもしれない事を。
ジル・エイミスに最後に会った日、別れ際の言葉が妙に引っかかり、それまで知ろうともしなかったあの男の事を自ら調べた。
国王軍近衛隊隊長、シイナ・セルスの事を。
その地位となるきっかけとなった事件も。
ジルは言った。
あの男が大事にしているものを壊す計画をしていると。
そしてそれは俺自身にも関係していると。
俺達に共通するもの――それは俺の姉であり、あの男の婚約者であるリリー・ロイス以外に考えられない――。
そう気付いてから、事件が起こるまでが早かった。
「……クソは俺か」
最後に会った日の姉さんの顔が笑顔ではなく、今にも泣き出しそうな顔だった事に激しく後悔した。
その顔にさせたのは俺だ。
『私はいつもこの瞬間が終わりだと思って生きているの』
姉さんの口癖が胸を締め付ける。
『あなたとすれ違ったままの終わりなんて耐えられない』
俺だってそうだ――手紙の最後にいつも書かれていた言葉に、いま返事をする。
姉さんを取り戻す。
その為なら、どんな事でもしよう。
そう心に決め、先程から感じる背後の気配に自ら声を掛けた。
「……望み通り、あんた達の研究に手を貸そう」
ふふっと小さく笑う声がした。
「ちょっと傷を負わせるつもりが、まさか頭を狙うなんて思わなかったなぁ。
即死じゃなくて良かったね」
暗い廊下の奥からジル・エイミスが姿を現す。
喉の奥に苦い思いがわき上がるが、ぐっと堪える。
「……今のこの国の医療では、脳死状態からの回復はないと言われる。
管を繋ぎ、たとえ今は心臓を動かす事が出来ても、いずれ止まるだろう。
天使の力が手に入るまでの間、あんた達の技術で命を繋ぐことは出来るのか?
国も持ち得ない技術を、あんた達は持っているのか?」
「でなきゃこんな賭けはしないよ」
ジルが笑いながら首を傾げた。
「なら、いい。さっさと行くぞ」
そして俺は、姉さんと一緒に姿を消した。
姉さんを撃った奴らに、姉さんの命を預ける判断をした。
利用できるのなら、利用させてもらう。
どんな違法な手段でもいいのだ。
姉さんが元に戻るのなら。
極度に温度の下げられた冷たい部屋で、今日も姉さんは管に繋がれている。
部屋の中には姉さんと俺だけ。
それは俺が望む世界の究極の形かもしれない。
姉さんは、俺がいなければ生きることが出来ない。
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