第16話 絶対世界〈2〉
アスティ・ロイスは目の前の子供と、パソコンの画面を見比べながら小さく頭を振った。
これでは全然足りない。
この程度の力では目を覚まさない。
「やあやあ、アスティ・モーリス君。調子はどうかなぁ」
背後から声を掛けられ、馴れ馴れしく肩に手が回される。
「俺の名前はアスティ・ロイスだ」
汚いものを払うかのように、その手を振り払うと、アスティは画面を見たまま言った。
「ふぅん、ロイスねぇ。モーリス家も可哀想にね。
手塩にかけて育て、国随一の科学者になった自慢の息子が、ある日突然失踪するなんてさぁ」
「誘ったのはあんただろう」
「ボクの名前はジルだよ。ジル・エイミス。あんたじゃないよ」
男はアスティの頭をぐりぐりと撫で回し、幼い子に言い聞かせるかのように、自身の名前をゆっくりと発音する。
「うるさい、変態が」
先程よりも強くその手を振り払うと、鋭い目つきで見上げた。
「ん~、いいね。その懐かない野良犬のような態度。嫌いじゃないよ。でも――」
ジルはアスティの顎を掴むと、無理矢理上向かせた。
「あんまり言うこと聞かないと、躾が必要かなぁ。
牙を剥いていい相手を見誤らないようにね。誰が君の姉さんの命を握っているか、忘れないように」
にこやかに笑っているが、冷たい目。
「……だからこうして研究に協力してやってるだろうが」
掴まれた顎をさすり、アスティは再び目の前の画面に視線を戻した。
「そうだね、君の知識とその頭脳、素晴らしいよ。で、何か進んだ?」
「やはりあの娘に比べると、こいつの力は極端に弱い」
目の前で椅子に拘束され、ぐったりとしているブロンドの髪の少年を見やり、アスティは肩をすくめた。
「でも、普通の人間には見られない脳波が出ることがある」
「再生の時だね?」
「ああ、傷を治す時に、多くの人間が普段は使わない部分に反応が出る。
その部分を特定して、ピンポイントでそこへ人工的に電気を流すことが出来れば、普通の人間でも同じ力が使えるようになるかもな。あくまでも仮定だが」
「そう? じゃあ子供ひとり連れてこようか? また脳みそいじってみようよ」
うきうきと喋る長髪の男を呆れ顔で眺め、アスティは首を振った。
「こいつの脳波は微弱だから、特定がまだ難しい。むやみに子供を使うな」
「えー? まあ、最近は国が警戒態勢だから、子供攫うのも楽じゃないしねぇ」
しょうがないなぁと呟き、ジルは白衣のポケットからカッターナイフを取り出すと、ぐったりとしている少年の傍に立った。
拘束されて動かすことの出来ない、白く細い腕に刃先を当て、その刃をゆっくりと引く。
少年の身体が小さく動いたが、大した反応も出来ないほど衰弱しているようだった。
赤く線を描いたように血が沸き上がるのを見て、おもしろくなさそうに口を尖らせる。
その血をなぞると、ジルは「つまらないな」と言った。
「再生までの時間も長くなってきたね。力が弱くて全然楽しくない」
「弱ってきているんだ。そろそろ休ませたほうがいい。死んだら意味がない」
アスティが画面を見ながら言った。
「つまんないの。あーあ、早く来ないかなぁ。ボクの天使」
ふふふと笑い、ジルはその場でくるりと回転した。
「あれは逃げたんだ。わざわざ来ないだろ、自分から」
冷たく言い放つアスティの顔を覗き込み、ジルはにこりと笑った。
「来るよ? あの子は来る。それは君がいちばん良く分かるんじゃないかなぁ。
似てるじゃない? 君達の境遇ってさ。
君にとっての姉さんみたいな存在でしょ? あの子にとってのこの少年はさ」
何の感情もこもらない目で、アスティはジルを見返した。
「所長、お話が」
入口の扉が開き、白衣の男が入るなり声を上げた。
「なになに? どーしたの?」
「メインコンピューターにまた何者かがアクセスした形跡が。施設内の情報を抜かれた可能性があります」
ふうん、とジルは腕を組んだ。
つい最近にも、施設内にあるメインコンピューターだけに保存されていた名簿類のデータファイルに、何者かがアクセスした形跡があったのだ。
何重にもロックされ、簡単には開くことの出来ないファイルに。
「この中に害虫が入り込んでるみたいだね。それともネズミかなぁ。
どちらにせよ、早めに駆除しないとね。やつらは病気を運んでくるから」
白衣を翻し、扉へ向かう。
「ここ最近新しく雇った人のリストと、やり取りした業者のリスト、後でちょうだい」
はいっと返事を返し、入ってきた男もジルの後を追う。
「じゃあねぇ、アスティ。あとよろしく」
そう言い残し出て行った背中を眺め、アスティは大きく息を吐いた。
そして、ピクリとも動かない少年へ視線を向ける。
「俺に似ているとしたら、あの娘よりお前だな」
立ち上がり、少年に近寄ると、まだ治らない腕の傷をアルコール綿で拭った。
母のいない家庭で育ち、父を殺され、唯一の身内に見捨てられた。
「お前もそうだろう。妹に見捨てられたんだ。
逃げた先で新しい世界を持ち幸せになり、見捨てられたお前は不幸なまま。惨めだな」
腕に包帯を巻きながら、独り言のように喋った。
その言葉に反応するように、意識がないと思っていた少年の頭が上がり、思いの外強い視線とかち合った。
「それの……どこが……悪い」
囁くような掠れ声だが、目だけが力を持っている。
この衰弱した身体のどこに、反論する力が残っていたのかと、アスティは眉根を上げた。
「悪いに決まっているだろう。ひとりだけ幸せになるなんて」
「僕はお前になんか……似ていな、い。リゼが……幸せなら……僕は、幸せ、だから……」
その言葉は、アスティにとっていちばん痛い部分を突かれる言葉だった。
そう思えたら、どれほど楽か!
思えるわけがない。この場所に一人残される恐怖は、もう十分だ。
「うるさい! きれい事を抜かすな!」
少年の襟を掴んで持ち上げると、もう意識はなくなっていた。
舌打ちをし、荒々しく手を離すと、深呼吸を繰り返した。
静かな部屋に荒い息の音だけが響いた。
しばらくして、意識のない少年を隣の隔離部屋に運んだ。
ベッドに寝かせ、鍵をかけるとアスティは別の部屋へと向かう。
心が不快な感情でいっぱいになったら、綺麗にしなくてはならない。
姉さんに会って、綺麗にしてもらわなくてはならない。
絶対的存在。
どうか見捨てないでくれ。
ひとりにしないでくれ――。
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