第15話 絶対世界〈1〉

 生まれ故郷は国の中でも最も戦火の激しい町だった。


 連日反乱軍の勢力は増していき、この国が落ちるのも時間の問題だろうと、父親が話しているのを耳にした。

 間近で響く銃声が当たり前の毎日で、生活の一部だった。


 母親はいない。父親は反乱軍の一人として最前線に赴き、数日帰らない事が普通だった。

 姉さんは帰らない父親を心配していたが、俺はどうでもよかった。

 まだ幼かった自分にとって、たった一人の姉であり、母親代わりでもある姉さんだけが家族であり、世界のすべてだったから。


 たまに帰ってくる父親は、火薬と埃とかすかに血の臭いを纏い、俺達の家に入ってくる異物でしかない。

 なにが反乱軍だ。

 自由を勝ち取るという理由で正当化し、人に銃を向ける。

 こちらからしたらあちらが悪かもしれないが、あちらからしたらこちらが悪だ。

 人を撃つという行為に変わりはない。

 善悪なんてものは、ただの多数決でしかない。


 こんな環境で育ったせいか、姉さんを絶対的存在とする事で、俺は自分を保っていたのかもしれない。

 人より少し偏った考えをする事に多少自覚もある。

 だが、それでいい。自分の正義は自分で決める。


 終戦間際、父親は家の前で撃たれ息絶えた。


 至近距離で頭を撃ち抜かれ、白いものが飛び散った。

 地面に広がっていく赤い海を呆然と眺める俺の手を、誰かが引っ張った。


 姉さんだった。


 苦しくて唾も飲み込めないほど、それでも立ち止まることなくただ夢中で走った。

 どれ位走っただろうか、細く暗い路地裏に駆け込むと、姉さんはその場に座り込んだ。

 その時になって初めて、繋いだその手がひどく震えていたことに気が付いた。

 息をするのも苦しかったが、傍に寄り姉さんの手を強く握りしめた。


 しばらくそうして、息がしやすくなった頃、姉さんは言った。


「このまま国を出ましょう。隣国なら難民として受け入れてもらえるかも」


 姉さんがいれば、俺はどこに行くのでも構わない。


 父親が息絶えた数日後、反乱軍が勝ったという噂が流れた。

 あの日撃たれなければ、あと数日で勝利を目にすることが出来たであろう父親を思い、ざまあみろと心の中で悪態をついた。


 火薬と埃と血の臭いのする父親が、俺は大嫌いだ。

 その一方で、大嫌いな父親の、最期の姿が目に焼きついて今も離れない。


 王が落ちたという噂を聞き、国を出るという姉さんの思いに迷いが生じた。

 隣国を前に俺達は足踏みをしていた。


「アスティ、食べて」


 路地裏に俺を隠し出掛け、戻った姉の手にはトマトがふたつ握られていた。

「どうしたの? これ」

 ろくに食べていない身体が反応するように、トマトをかじって出る汁を想像して、喉の奥がきゅっとなるのを感じた。

「――もらったの。食べていいのよ」

 少しだけ言い淀む姉さんに、幼かった俺はなにも疑問を抱かずに、トマトを受け取り思いっきりかぶりついた。


 後から思えば、あれはもらった物でも、もちろん金のない状態で買った物でもなかったのだろう。

 姉さんは必死だった。幼い俺を連れ、どう生き延びればいいのか。

 姉さんもまだまだ守られるべき子供だったのに。


「全部食べていいのよ」


 もう一つのトマトを差し出して、姉さんは笑った。


「ねえさんは?」

「私はお腹空いてないからいいの」


 俺はトマトを一口かじると、姉さんの口元に差し出した。


「アスティが食べていいのよ?」


 それでも無言で差し出されるトマトに、観念した姉さんはそっとかぶりついた。


「おいしいね。アスティが分けてくれたからすごくおいしい」


 月明かりの中、トマトを食べながら笑った姉さんは綺麗だった。

 殺伐とした世界で、姉さんだけが綺麗なんじゃないかと思った。


 路地裏の物陰で身を寄せ合いながら、久しぶりに長く話をした。

 小さな家で、大きな畑を作ろうと姉さんは言った。


「トマトときゅうりと、ナスにじゃがいも。野菜をたくさん植えるの」

「おれ、やさいあんまり好きじゃない……」

「あら、さっきのトマトは?」

「……おいしかった」

 そうでしょう? と姉さんは笑った。

「明日、出発しましょう」

 姉さんは今度こそ国を出る決心をしたようだった。


 しかし、王不在の混沌とした世界は甘くなかった。

 いつも同じ場所をねぐらにしていた事で、目を付けられたのだろう。


 夜、突然口を塞がれ、浅い夢から現実に引き戻された。


「静かにしろ!」


 強い力で押さえつけられる。

 隣で姉さんも同じように何者かに押さえつけられていた。


 ――汚い手でねえさんにさわるな!


 全身の力を振り絞って暴れようとした瞬間、腹に衝撃を感じて意識が遠のいていく。


 「アスティ! アスティ!!」


 遠くで姉さんが呼ぶ声がした。


 目が覚めると、そこは隣国だった。

 姉さんの姿はどこにもない。

 俺は、運よく人身売買の取引中に保護され、施設へと送られた。


 姉さんのいない世界は色がなく、ただ淡々と生きるしかなかった。

 やがて、普通の子供よりも大人しく理解力の高かった俺は、頭のいい子供として、上流階級のモーリス家の跡取り息子として養子にもらわれた。

 愛情のようなものを感じる事はなかったが、勉強の為であればいくらでも金を出してくれるこの家は、俺にとって都合がよかった。

 いつか探し出し、一緒に暮らすには教養があった方がいい。


 引き離された事で、俺の中の姉さんはより大きくなっていった。

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