第13話 ミクラスさんの三分クッキング
ミクラス・サウリーは目の前の強敵を前に思案していた。
数日前に保護した少女リゼは、自分から言葉を発することはほとんどない。
それでも最近は、シイナとはよく話している様子だったので、少しは心を開いてくれているものだと思ったのだが……。
――僕にはまだまだかなぁ。
目の前でじっと動かずに座っているリゼを前に、ミクラスはうーんと唸る。
その容姿も相まって、まるで人形と対峙しているようだ。
「シイナさん、遅いね」
ミクラスの言葉に、数秒おいてリゼが小さく頷く。
終了――。
先程からこのような静かで短いやり取りが続いていた。
王都に出向いているシイナが戻るまで、まだかかるだろう。
ミクラスは時計に目をやり、キッチンへ移動した。
こんな時は共同作業に限る。
「リゼ、おいで」
キッチンで手招きすると、リゼは戸惑いながらも素直にこちらへ来た。
「お昼にホットケーキを作ろうと思うんだけど、手伝ってくれる?」
うんともすんとも言わず、ただ青い瞳がじっとこちらを見上げる。
その様子から、ミクラスはおや?と思い至る。
「もしかして、ホットケーキ知らない?」
首を傾げる様子を見て、そうかと呟く。
スラム街を転々としながら生きて、その日食べる物もままならない日もあっただろう。
ホットケーキなんて知らなくて当然か。
「後ろ向いて」
ミクラスはリゼの向きをくるりと変えると、その長い髪を一つにまとめはじめた。
さらさらのプラチナブロンドの髪を器用に結いながら、ミクラスはふと疑問に思った。
「リゼはさ、スラム街で危ない目に遭わなかった?」
リゼの容姿は普通に暮らしていてもかなり目立つ。それはスラム街であれば尚更だろう。その手の趣味の悪人に狙われてもおかしくない。
少し考えた後、リゼはスケッチブックに言葉を綴る。
『悪いことをする人は、色で分かるから、そういう人には近づかない』
リゼは人の色が視える。シイナが言っていた言葉を思い出した。
『それに、セラがいつも助けてくれたから』
そうは言っても、子供二人が生きていくにはつらい環境で、きっと危ない目にもたくさん遭っているのだろう。
髪を結い終わると、ミクラスはリゼの目線に腰を落とした。
「よく頑張ったね。生きててくれて良かった」
そう言うと、リゼが固まった。
表情は変わらないまま、ミクラスを見つめる青い瞳から涙がこぼれる。
はっとして、ミクラスが手を伸ばそうとすると、リゼは激しく首を横に振った。
何か言いたそうに唇が開き、声の出ないリゼはスケッチブックをめくる。
『優しい言葉を言わないで!』
書かれた文字を見て、黙ってミクラスは伸ばした手を下ろし、リゼを見つめた。
『私は天使なんかじゃない。セラも父さんも不幸にした悪魔なんだ。きっと一緒にいたらあなた達も不幸にするんだ』
いつもより荒く書き殴られた文字を見て、ミクラスは悲しい顔をする。
「……でも、助けて欲しいんでしょう?」
リゼの中の矛盾を指摘すると、小さな唇が白くなるほど噛み締められた。
「セラを助けて」と、あの日確かにリゼは助けを求めたのだ。
「いいんだよ、リゼ。もっと思ってることを言葉にしていい。
そう思うのなら変えていけばいい。起こった出来事は変えられないけど、これからの事ならいくらでも変えていける。その為に僕らが手伝えることなら喜んで手を貸すよ」
それにね、とミクラスは言いながら立ち上がると、ストレッチをするように腰を伸ばした。
「僕らはそう簡単には死なないし、不幸にならないから安心して」
リゼの頭をぐりぐりと撫で、側にあった小さめのエプロンをその肩に掛けた。
少し落ち着きを取り戻し、鼻をすすりながらリゼは静かにスケッチブックをめくった。
『セラがね』
「ん?」
『セラが今どんな目に遇っているか分からないのに、同じ思いでいないといけないのに、二人の傍にいると安心しそうになるの。早く助けに行かないといけないのに』
そうだねと、ミクラスはリゼのエプロンの紐を綺麗に結んでいく。
「でもまずは相手の情報収集をしてからだよ。今はまだ動くべきじゃない」
リゼが小さく頷く。
「大丈夫、必ず助ける」
『私に出来る事は?』
「リゼはまず心をたっぷり元気にしておく事!」
不思議そうな顔をして見上げるリゼと目が合った。
「手始めにまずは――」
結び終えたエプロンの上から、リゼの背中をぽんっと押す。
少しよろけたリゼの手に、銀色のボウルを乗せると、ミクラスは楽しげに言った。
「ミクラスさんの三分クッキングの始まりです」
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