第6話 はじまりは

 物心つく前に母は亡くなった。

 父から聞く母の話が好きだった。

 父の話に出てくる母は、いつも穏やかに笑う。この容姿が母にそっくりだと父に言われると、とても嬉しかった。優しい母のようになりたくて、出会う人には優しくしようと心掛けた。


 父と双子の兄と私と、私達は三人で村から離れた山の中で暮らしていた。

 生活に必要な物はなるべく自給自足で、どうしても足りない物は近くの町まで買いに行った。家族以外の人と会うのは、月数回の買い物の時のみ。


 学校へ行く年齢になった頃、父は私達に強く言い聞かせた。


「人前で絶対に怪我をしてはいけない。怪我をしている人を見ても助けてはいけない」


 父のその言葉は、母のように人に優しくありたいと願う私の思いと反していた。


「どうして? 怪我をしている人がいたら治してあげないと」


 私にはそれが出来る。


 父が料理中に切ってしまった指も、木登りで転げ落ち骨折した兄の足も、私が手をかざせばすぐに治った。

 当たり前だと思っていたそれは、大きくなるにつれ、皆が出来る事ではないのだと気づいた。双子の兄にも同じような力があるが、治せるのはかすり傷程度の小さな傷だけだった。

 目の前で苦しんでいる人がいて、私にそれが治せる力があるのなら使いたい。優しい母ならきっとそうするはずだ。


 でも父は頑なにそれを許してはくれなかった。

 それが約束できないのなら、村の学校には行かせないと言った。


「世の中にはいい人も悪い人もいるんだよ。お前達を守りたいんだ」


 それ以上父を悲しませたくなくて、分かったと返事をした。だけど心の奥底では納得していない。


 学校生活はとても楽しかった。いままで極端に人を避けるという生活だったからか、たくさんの同年代の子達と過ごせるのが楽しくて仕方なかった。

 それでも、授業が終わると兄は私を連れてさっさと家に向かう。私も皆と一緒に遊びたい。そう言っても、父に言われているからと、兄は許してはくれなかった。兄だって、本心ではきっと友達が欲しかったはずなのに。

 父も兄も、私がいるせいで色々な事を我慢しているのではないか? そう思い始めたのもこの頃だ。


 私がいなければ、村から離れて暮らさなくてもよかった?

 私がいなければ、たくさんの友達ができた?

 私に人と違う力があるから?

 どうして? どうして人を癒してはだめなの? いけない事なの? 家族みんなが隠れて生きていかなきゃいけない力なの?


 理解できないまま時が過ぎたある日、皆が話している会話が耳に入った。


 いつも買い物に行く町、ユリシに大きな建物ができたという話だった。


「薬をつくる会社なんだって」

「知ってる。今まで治せなかった病気に効く薬を作ったんだろ?」

「すごいよな。俺等が病気になっても安心だな」


 そういえば、怪我を治す事はあっても、病気を治すというのはまだ試した事がない。私にも出来るだろうか? 会話を聞きながらふとそんな事を考えていた。

 病気を治す薬を作る彼等は、皆から賞賛され、受け入れられる。私は、もし病気を治す事が出来たとしても、隠さなければいけない。何が違うのだろうか。


「でもさ、その会社の人だと思うんだけど、変な事聞くらしいぜ」

「ふうん、なんて?」

「俺の叔父さんがユリシの役所で働いてるんだけどさ、なんか、天使を知らないかって」

「天使? 天使ってあれだろ? 本とかに出てくる神様の使いだろ? 知らない人はいないんじゃないか?」


「そうじゃなくて、天使って呼ばれる人を知らないかって事らしいぜ」


「なんだそれ」


「昔、この辺りで天使って呼ばれてる人がいたんだと。なんでも、病気や怪我を一瞬で治せるとか」

「薬よりすごいじゃないか。でも、そんな人いるわけないよ」


 そこで彼等の会話は急に止まった。私はいつの間にか彼等を凝視してしまっていたらしい。慌てて目をそらしたけれど、心臓がバクバクしていた。


「あいつの見た目って、天使っぽいよな」

「なんだよ、好きなのか?」

「ちげーよ! バカ!」


 後ろでそんな会話が聞こえたけれど、私の頭の中は「天使」という言葉と、それについて聞いて回るという人の事でいっぱいだった。


 この力のことを知っていて、それを探している人がいる。

 その人達の所なら、この力を隠さなくてもいいのではないか――堂々と人の役に立つことができるんじゃないか――そんな思いを抱くようになった。

 なによりそうなれば、父や兄も堂々と、何も我慢することなく暮らすことが出来るようになるのではないか、と。

 今、あの頃に戻れるのなら今すぐに戻りたい。


 ああ、なんて浅はかな考えだったんだろう――。



 父は死んだ。


 家の床下に作られた秘密部屋に私達を隠し、父は自らの家に火を放った。

 その部屋のおかげで、奴らは私達家族が全員死んだと思ったはずだ。

 こんな日が来るかもしれない事を、父は知っていたのだろうか。

 なぜ家の下にそんな部屋があったのか、もう聞くことは出来ない。


 だって父は死んだのだから。


 私が抱いた浅はかな考えのせいで、私が取った愚かな行動のせいで、私達の死を偽装して護るために火を放ち、父は死んだ。

 同時に私は声を失った。

 むしろ都合がいい。これ以上余計な事を喋らなくてすむのだから。

 余計な事は喋らない、余計な事はしない、これ以上大事な人を失いたくない。


 兄と二人、スラム街を転々としながら、私達は隠れるように生きた。

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