▼7▲ ‐残り十日‐

「おはよう新、ちゃんと登校してくれたのね」

「……きみから先に挨拶されるのも妙な気分になるけどな」


 朝の校門前に真浦はいた。

 もはや架空の学校に通う理由はないのだが、成一は昨晩に来たメールにより呼び出された。三人で早朝から学校に集合だという内容で、今さら授業を受けるつもりもなかったのだが。


「じゃあ昼休みまで適当に時間を潰しましょうか。保健室か屋上か――」

「いや何のために来たんだよ」

「学食よ、安いから。新は何も食べなくていいみたいだけど、こっちはそうもいかないの」

「なら必要な時だけは金が無尽蔵に使える俺にたかればいい、わざわざ学校に来るよりも」

「それってつまり、私を選ぶってことでいいのかしら?」

「ッ! だったら進藤にでも!」

「新は馬鹿? 察しが悪い男も不愉快よ」


 言い捨てると彼女はそそくさと歩いていく。

 それに成一も付いてゆき、


「……。ようするに、昨晩のメールの文面は嘘っぱちで、進藤は呼んでいないんだな?」

「ご明察。私は悪魔じゃないから嘘をつくの。とはいっても」


 キキィィ!! バタン!!


「お・は・よ・う、ございます。真浦さん、新成一。よくも私をハブにしましたわね?」

「いつもより三十分も早い黒塗りの高級車のご到着ね、おはよう進藤。そしてこれで証明終了ね、私に勝ち目は存在しない」

「は??」

「何をいきなり中二病全開になっているんだよ?」

「私の家は貧乏なの。親族は祖母だけよ。お金は力に変換できる。だけど私にそれは無い」

「……っ!!」

「進藤は、どうやって虚偽のメールを見抜いたの? 予算も人員も潤沢なのはいいことね」

「――それは」

「昨日に私が言ったことは理解できた? 私とあなたはイーブンではないの。あなたが本気を出したら私は何の抵抗も出来ずゲームの席から脱落する。だから私は何をしても無駄なのよ」

「そんなことしませんわ!! だいたいその決定権は、私たちでなく……」

「……分かった。だがそんな対立構造を明確化するためだけに呼び出したんじゃないんだろ?」

「当然よ。そっちも色々と考えてきたんでしょ、本題はこれから話すこと」

「だったら尚更に学校に来る意味はありませんわ。私の家かどこか別の」

「それじゃあ私の戦場はどこになるの? 施しを受けるだけの私はまさに二人の添え物ね」

「……。なるほど。これは一昨日の意趣返しですのね?」

「そう。いきなり拉致監禁されたんだから、この程度の安い主導権は握らせてもらえないと。だって誇り高いお嬢様は、卑しい貧乏女子高生相手でも対等に扱おうとしてくれるでしょ?」

「ええ。そしていま思い出しましたわ。私は貴方のことが、それほど好きでなかったと!」

「結構よ。弱者を遠慮なく叩きつぶせないなんて理解しがたい性分だけれど、感謝はする」


 真浦は冷笑を浮かべ、進藤は睨みを強くする。

 成一はもはや無言だった。思うことはただ一つ。

 ――安易に刃傷沙汰に発展できない全年齢対象のゲーム世界で良かったと。


(……直接的な殺し合いになってないだけまだマシだ……)


 そしてようやく目的地に到着する。例によってそこはまた、

「屋上か……微妙に寒いな」

「だったらあたためてあげましょうか、人肌で」

「な!! ま、真浦さん、なんてことを!?」

「全年齢対象のこの世界でどこまで出来るか試してみるのも一興だと思うけど?」

「は、破廉恥ですわ! 人がいる前でそんな話題をすることも!」

「それを決めるのは進藤じゃない。でしょ、新?」

「……頼むから落ち着いて話をしよう、頼むから……」


 三台のベンチを三角に並べてそれぞれ腰かけ向かい合う。成一は天に向かって叫びたかった。

 こんな殺伐としたラブコメは要らないと。


「――で、まずは何を議題に話し合う? 個人的にはすぐ結論を訊きたくはあるけれど……」

「ふうん、随分と焦ってらっしゃるのね。急に媚びられても相手が困るとは考えませんの?」

「そっちが待ちのスタンスで来ることは分かってる。私は差別化を図ってるだけ。あと無駄な時間を使うわけにはいかないって状況も考慮すべきでしょ」

「その点に関しては同意しますわ。腹立たしくありますが」

「いいから! とにかく話を進ませろ!」


 当然ながら成一は自分の優柔不断が遅滞の原因であることは理解している。

 しかし何をどう選択するにしても、確認と同意を得なければならないことが多すぎる。

 だから一つ大きく息を吐き、こちらの議題を告げていく。


「二人とも分かっているだろうけれど、俺が現実世界に帰還するためにはヒロインを攻略してハッピーエンドを迎える必要がある。だがそのクリア条件は伏されている。そして今の状況は極めておかしなことになっている。それを洗い出したいんだ」

「おかしなこと?」

「なるほどね。俗事に疎いお嬢様に解説してあげる、この手のゲームの終着は攻略対象となるヒロインの親密度や好感度を上昇させ、それに伴い発生するヒロインごとに設定された問題の解決によって達成されることがほとんどなの。古典的なものだった場合は期限最終日に特定の行動――端的に言えば愛の告白の成否によってハッピーエンドかバッドエンドかが確定する。だけど今の私たちにとってそれは限りなく無意味になっている」

「……正解だ。今のきみたちはそのからくりを知っている上に自我の保存という意識もある。だから俺に対して否定的な言行をとってバッドエンドにする理由がまったく無いんだ」

「つまり?」

「テンプレート通りのクリア条件なら、私たちのどちらかに告白する=即ハッピーエンドでもおかしくない状況ってことよ。フラグ管理がどうなってるか知りたいくらいね。でも」

「ああ、たぶんそれは違うだろうな。俺がどちらかに告白してルート突入した瞬間に何らかの問題が発生してイベントが進行するのかも知れないが、もしそうでもシステム自体をこうして暴露できてしまっている。……これのどこがゲームなんだと言いたくなるよ」


 成一は言い切ってまた嘆息する。

 ゲームの構造を整理すると、いかに今の状況がバグっているかがよく分かる。

 だが進藤は考え込むように呟いて。


「……おかしいですわ、貴方たち」

「え?」

「このゲーム世界――そう認識させていただきますが、その本来の意義を先に考えるべきではありませんの? 攻略というのは、そもそも一体なんなのかと」

「ちゃんと理解してるお嬢様? だからそれはプレーヤーによる特定の行動や問題解決で」

「そうではなく! この架空世界は何を目的として作られたのかって言ってますの!」

「……。現実逃避の暇つぶし?」

「ゲームの意義としては最も正しい見解だな」

「ああもう! じゃあハッピーエンドがどういう条件なのか分からないというのならっ、逆に御厨さんとバッドエンドに至った経緯と原因から分析してみたらどうですの!?」

「ああ、それは確かに言えてるかも。冴えてるじゃないお嬢様」

「でしょう? 私が昨日考えていた議題がそれですわ!」

「じゃあ新、詳細を報告して。心の傷をえぐり出すようだけど、私の発案じゃないからね?」

「っ、本当に性格の悪い人ですわね!!」


 成一は頭を抱えつつ、しかし自分でもこの問題は考えていたことだと詳細に告げていく。

 当日までの言行、渡したプレゼントに、初期化された瞬間のこと。

 そして直接の原因となったのは。


「――つまり御厨は、親しい人間の嘘に対して強烈なトラウマがあったんだ」

「あの御厨さんが……」

「だから言ったでしょ、委員長は面倒な性格してるから気をつけてって」

「いまさらだ。それにこんなことをペラペラ喋ること自体、俺も良い気はしていない」

「とはいえそこから分析しないと。議題を持ちかけた進藤は、どう思う?」

 真浦が視線とともに促した。

 進藤は小さく息を吐き、

「やっぱりかと、そうぼやくしかありませんわ」

「? また電波でも受信したの?」

「違いますわよ。――新成一」

「……なんだ」

「そこまで詳細に話せる貴方が気付いていないとは考えたくありませんが――原因は、本当に自分が何らかの選択ミスをしたことにあると思ってますの?」

「……それ以外に、何がある。あの告白が嘘だと彼女は見抜いていて、それで俺は試されて」

「御厨さんは告白を受け入れましたわ。たとえシステム上の補正が多分に作用していたのだと仮定しても、彼女ははっきりと自分の意志で貴方と付き合うことを決めたはず。なのに耐えることができなかった原因は」

「俺の応答ミスだろう?」

「半分だけ間違ってますわ。告白は嘘でも、貴方はその後も御厨さんを表面だけで判断して、心を開いてほしいという彼女の気持ちと向き合おうとしなかった。だから拒絶されたのよ」

「進藤、ちょっと感情的に言い過ぎ。説教くさい」

「いいえ、これは理性的な説明ですわ。つまり貴方は御厨さんを本気で好きになろうとせず、距離を置いて接していた。だから気付かれてしまったのでしょう、心から求められてないと」

「……それはっ」

「嘘だと分かっていて形だけ示されるのは、彼女にとって苦痛以外の何物でもなかったはず。それがバッドエンドを引き起こした。ではそこから導き出される原因と――逆に考えられ得るハッピーエンドの必要条件は?」

「トラウマを克服させることじゃない?」

「さっきからわざと煽ってますわよね?」

「……。俺自身の、プレーヤーの感情か」


 成一は、絞り出すように言い切った。

 分からなかったわけではない。

 ただそんな他人には、外からは確証もとれない曖昧な、自分自身の心のありようがクリアの条件として作用しているなどと成一は信じたくなかったのだ。そうだとしたらこの世界は既にゲームでなく――現実と何も変わらないではないのかと。

 しかし。


「ええ、私もそう思いますわ。引き金は貴方の恋愛感情だと」

「ギャルゲーの世界らしい発想ね。でもそれなら攻略をどう進めろって?」

「私の一夜づけ程度の見識でも、恋愛ゲームにおける攻略とは、好みの相手と恋をすることに他ならない。さきほど貴方たち二人が話す攻略の概念はシステム上のものでしかなく、それは恋愛ゲームが作られたコンセプトに沿っていなかったと感じましたわ。攻略・バッドエンド・ハッピーエンド・問題解決・フラグ管理――言葉遊びをしていただけですわ、貴方たちは」

「……だから俺たちを、おかしいと?」

「ええ。ゲームの本質を見失っていたかと」

「でも所詮はゲームで遊びなんだから、本気になる意味は無いとも考えられるけど?」

「それも一つの真理でしょう。ですが私たちヒロインは?」

「……。そうね、取り替えのきく遊び感覚で接されたら、良い気はしない。ハッピーエンドがプレーヤーとヒロイン双方の心理状態によって成立するというのなら、形式上の行為でなく」

「正真正銘の恋愛をしろって――そういうことか」


 自分で言って、けれども成一は気恥ずかしさに視線をそらす。

 確かにそれは間違った方向ではないように考えられる。

 だが根本的な問題として、期間が定められている上に、


「無理だろう。そんなものを、あと数日でやれってか……」

「お互い命がけなんだし吊り橋効果はあるんじゃない? むしろそれを使えって状況よね」

「本当にきみは徹頭徹尾に理詰めだな!」

「と・に・か・く!! 私が言いたいことは、貴方のこれからの選択は最低限、自分の本心から行われなくてはいけないということですの。私たち二人のどちらをより欲するかということ、そそれはそのっ、とどどのつまひ?!」

「私か進藤か、好みのほうを選べってことよ。現実に生かして連れて行きたいほうをね」

「ああああああもうはしたないっ、こんなことは乙女が言うものではありませんわよ!」


 進藤は赤面を両手でかくして顔をぶんぶんと左右に振っている。

 真浦がそれを見てくすりと笑みを浮かべている。

 成一は心中複雑に息をつき、


「二人とも、それでいいのか。俺なんかが相手でも」

「わ、わわわ悪いなんて言ってないわよ?!」

「命には代えられないものね。まあそんな異常事態とは別にしても、私は新は嫌いじゃない。同じ中二病を患ってるみたいだし?」

「自分で言うなよ」

「それにお見合いから始まる恋だってあるじゃない? だいたい元が全年齢対象で三週間って短期のゲームなんだから、後先の――同衾や婚約まで発展させる必要はないと思うし」

「け、けけけけけ結婚?!」

「とはいえ時間は限られてる。強制的に何らかのイベントがシステム的に発生するとしても、まず新にはどちらのルートに進むかを選んで決定して貰わないと。これが私の本題よ」


 真浦はそこまで言うと黙ってこちらを見つめてきた。

 だが成一は彼女と目を合わせることはできていない。

 なぜならば、


「……簡単に言ってくれるよ。残り期間はあと十日だ、俺にとってはまた失敗しても後戻りができる状況かもしれないが、二人にとっては」

「新はこれを〈トリアージ〉だと思ってるの? 馬鹿ね、私たちは助けがなければ動けず死ぬ救急患者じゃない。……誰がルート決定後の邪魔をしないなんて健気なことするの?」

「っ、真浦さん!!」

「私も必死なのよ。御厨や森部を見たでしょう? 私はこんな未来の無い世界に居たくない。幸いなことに新は私の好みだから、私のことを選んで貰えるなら全力で媚びて当然じゃない。生存戦略的に何も間違ってないと思うけど?」

「だから! それは私たちの事情に過ぎないでしょう!? 私がさっき言ったことは……!!」

「プレーヤーの自由意志を尊重する――待つタイプのほうが愛されやすいなんて幻想よ?」

「……、そう。ご自分で言ったことをお忘れのようね? 貴方に私の邪魔や妨害ができると、まさか本気で思っていらっしゃる?」

「なら今すぐ私を力づくで排除するか、どうにかして新を脅迫するのね。私ならそうしてる」

「しないわよ!! どうしてそう真浦さんは……!」


 だが進藤はその先を口に出せなかった。成一が咄嗟に手で言葉を遮った。

 代わりに言わせるわけには、いかなかった。


「まったくきみは俺以上の露悪趣味だな。俺が言うべきことばかりを、先に言う」

「……。さあ、それも勘違いなんじゃない? そうやって泥を被る汚れ役をわざとやってると気付かせて新の同情を誘うことを狙った安い演技かもしれないでしょう?」

「真浦さん……」

「……虚実を疑っても仕方ない、か。進藤の言う通りだな」


 結局のところ人間は、今そこに在る、信じられるものを信じるしかないと成一は実感する。

 であるのなら。


「進藤、俺はきみを信用する」

「は、はいぃ!?」

「へえ、思ったより決断が早いのね。びっくりよ」

「そうじゃない。俺はこれから限りなく自分に都合のいい寝言をほざく。それは進藤、きみの人間性を信用しているからだと分かってほしいんだ」

「……なんですの、その頼みとは?」

「俺がどちらを選んでも、その決定を邪魔する全てを防ぎ、あるいは思い止まって欲しい」

「!! ――それは」

「……最低な頼み事ね。進藤を選んだときは私が妨害することを防がせて、私を選んだときは一切の邪魔をしてくるな。……まるで王様になったみたいな物言いね」

「ああそうだ。だが俺は、綺麗ごとしか言えない卑怯者にはなりたくない。真浦に代弁させて進藤の良心に期待して、二人が勝手に出した結論のように誘導するクズな傍観者になるなんてまっぴらだ。……本当に主導権を持ってる俺が、決定すべきことなんだよ」


 改めて言葉にして成一は唇を噛む。

 どれだけこの二人が対立しようとも無意味なのだ。

 なにせプレーヤーが抱いた感情までもエンディングに関わるというのなら――


「……分かりましたわ。その願いを承伏致しましょう」

「ふうん。進藤はいざ惨めな立場になっても高潔でいられる自信があるんだ?」

「違いますわ。真浦さんのような弱者の抵抗は、同情すべきレジスタンスにも映るでしょう。ですが私のような強者のあがきは、倒すべき悪しき暴君にしか映りませんのよ? 恋人同士を引き裂こうとしたところで、それはハッピーエンドを飾るための障害にしかなりませんもの」

「……。言うじゃない、お嬢様」

「真の敵は己にあり。たとえ選ばれなかったとしても……私は二人の結びつきを強める道化に成り下がるつもりはありませんから」

「OK。ラスボスが辞退してくれて状況はイーブン。コンセンサスもとれた。あとはもう」


 二人が同時にこちらを見る。

 成一はそれぞれに一瞬だけ目を配り、


「分かってる。だが決断は――明日一日、時間をくれ。土曜日には選択を、決定する」

「そうですわね。貴方の感情が引き金なら、心を決める段取りは……」

「確かにそれは必要かも。じゃあ私から明日のスケジュールについて提案があるんだけど?」

「状況に流されたくはないんだが……なんだ?」

「相互理解を深める時間が欲しいのよ。つまりはデートで――命がけのオーディションね」

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