▼8▲ ‐残り九日‐

「おはよう新。……どうして制服のままで着替えてないの?」

「そっちこそ朝からスクール水着かよ!? なんでまた――」

「わかりやすい色仕掛け? ギャルゲーマーの嗜好に合わせてみたんだけど」

「……すまないが、あまり趣味じゃない。あと俺は断じてギャルゲーマーではない」

「そう、貧乳スレンダーは好みじゃないの。残念ね」


 真浦はそう言うと温水プールに飛び込んだ。水飛沫が上がり、静まって、彼女は背泳ぎの形でゆっくりと浮遊する。成一は照れた顔を抑えて水場のそばに置かれたチェアに腰掛けた。缶コーヒーもある。


「……しかしまあ、よく学校の屋内プールを貸し切りにできたよな。授業中なのに」

「ペンは剣よりというでしょう? 弱みは握っておくものよ、特に大人の醜聞は」

「どこが自分は弱者だよ、裏ボスめ。実は学校じゃ御厨より権力があったわけだ」

「彼女は表のボスだから。でも昨日みたいに学校で会うことにした理由は聞かないんだ?」

「そりゃあ俺たちは高校生だからな。平日の日中に外出したら警察に補導されるか、難癖つけられる恐れもある。それに比べてここまでの自由が保証されているのなら、学校内は天国だ」


 もっとも、規格外の権力者である進藤の場合は別だろう。

 つまり真浦は自分の力の最大を用いてこちらをもてなそうとしていると、成一は理解した。

 朝九時のプールは二人の他に誰もいない。

 おそらく昨日の屋上会議でも邪魔が入らなかったのは――


「でもお嬢様が義理堅くて安心した。今は学校に監視のメイドを配置してないみたい」

「昨日あれだけ協議したからな……」


 端的に思い出すと、あのあと以下の事柄が決定された。

 デートは二人きりで、途中の邪魔をしないこと。

 肉体的な接触は、可能な限り抑えて控えること。

 そして結論は、デート中は絶対に出さないこと。

 それを前提として順番と制限時間を決め、その結果として真浦が九時から昼の十五時まで。進藤が十六時から二十二時までとなっていた。

 真浦が水辺から顔を出し、


「ところで新は泳がないの?」

「プールに入った瞬間にカラダを押しつけられそうで」

「ふうん。入らなかったらこうするけど?」

「服に水かけた後で言うことかよ!」

「ふふ、覚悟がなっていないのね。こっちに落とされる前に脱いできたら?」


(……全年齢対象でいいんだよな、サーペントめ……)


 そうして更衣室に行くと、こちらのサイズに合わせた水着やタオルが一式用意されていて、成一は着替えつつも気恥ずかしさからパーカーを羽織ってプールに戻る。冬場とはいえ暖房が完備されていて寒さはまったくない。

 これで軽食まで付いていたらと思うと――果たしてそこにはテーブルも用意されており。


「……いつの間にデザートが」

「裏ボスの力、思い知った?」

「ああ、十分に恐れいったよ」

「でものね。泳ぐのには邪魔なのに」

「……。やはり、それが狙いだったのか」

 成一は息を吐き彼女を半目でじとりと見る。

 彼女は薄く笑みを浮かべつつ指でスプーンを回している。

「ごめんなさいね。どうすれば新の心をひらけるか考えたら、絶対に聞くべきだと思ったの。だけど答えたくないなら構わない。別に知らなくても私は新を嫌いにならないから」

「……つまらない話だよ。特にきみにとってはな」


 そう言うと成一は僅かに逡巡。

 だが意を決して椅子に座り、真浦の目を見て声をかけた。


「交換条件だ、俺の質問に答えてくれたらこれを外す」

「おかしな話ね。私が断る理由なんてないんだけど?」

「嘘をつかず真実を言うと約束してくれたらの話だよ」

「……。疑り深いのね」

 彼女は食べかけていたプリンアラモードを一さじすくうとナプキンで口元をぬぐっていく。

 そして胸に手を当てて。

「さ、私の何を知りたいの?」

「きみは昨日、親族は祖母だけだと言っていたな。――本当か?」

「本当よ。両親は幼い頃に失踪して行方不明。そのとき私は父方の祖母に預けられていたの」

「具体的に、何年前だ」

「五才の時だから十二年前。それよりずいぶんとデリカシーのない質問してくるのね」

「まだ終わってない。お婆さんは存命か?」

「病院暮らしだけど存命よ。貧乏なのはそのせいね。まあ私が選ばれたらお別れだけど」


(……。こっちのお婆さんは、生きてるのか)


 成一はほっと胸をなで下ろす。もちろん全てが同一だなどと思ってはいなかったが、しかし肝心な情報はまだだった。

 真浦の瞳を見つめ、訊いていく。


「じゃあこれが最後の質問だ。――きみ自身は、何か身体に異常を抱えてはいないのか?」

「……なるほど、場合によっては嘘をつきたくなる質問ね」

「はぐらかさないでくれ」

「わかってる。中二病以外にも病気を患ってるなんて現実世界に戻ってから発覚したら、もう詐欺みたいな話だものね。ハッピーエンドを迎えた後に不治の病でバッドエンド――」

「いいから頼む! 嘘は絶対……つかないでくれ」


 成一は視線を一切そらさなかった。

 知らなくてはいけないことだった。

 彼女がもし、かつての『彼女』と同じなら。


「――馬鹿じゃないの。私はこのとおり冬場でも風邪を引いたことがない、だけど成績優秀な女子高生よ。健康診断にも行ってるし、十六歳になった去年の春からは――なんならこのあと近くの献血ルームにでも……新?」


 成一は、躊躇わずプールに飛びこんだ。

 温かい水の感触が肌に浸透し、それは当然のように左手の包帯にも沁みてゆく。

 そして十秒近く水中に潜りごぼごぼと声にならない叫びをあげ、だがその後すぐ浮上して。


「はぁ、はぁっ! げほ、ごほっ」

「何やってるのよ。発作でも起こしたの?」

「違うって。きみは、これが見たかったんだろう?」


 成一は一気に包帯を外して左手の甲を彼女に見せる。

 それはこれまで誰の前でも頑なに隠し続けていた、


「――ぷ。ふふ、あははっ!! ばっかみたい! 久しぶりに笑っちゃったじゃない!

 確かに新が前に言っていた通り……あまりに痛々しい、ね!」


 真浦は成一の左手を見ておかしそうに笑っていた。傷の理由など尋ねもしない。

 成一もつられて頬をゆるませ笑っていく。

 こんな傷痕など、所詮は見た目が気持ち悪いだけでその程度のことだと分かっていた。

 ――分かっていた。


「……新?」

「成一だ。俺もきみを琴歌と呼んでいいだろうか」

「その差し出した右手は何の意味。接触は禁止されていないけど、もう勝負は決まったの?」

「そうじゃない。ただこれは、きみが俺を嫌いじゃないと言ってくれたことへの返礼だ」

「……。私は、昨日も相当にうざがられることをしたはずよ」

「それも同情を誘う演技だろ?」

「そんな高度な駆け引きが本当に出来ると思ってる? 素の性格がこうなのよ。理屈ばかりで場をしらけさせる皮肉屋のコミュ障で、オタクで嫌味で中二病。一生孤独がお似合いの」

「だが、美少女だ」

「……。これでも私は、今まで誰とも付き合ったことのない地雷女だけど?」

「奇遇だな、俺も今までに付き合った女性と何もできなかったヘタレだぞ?」

「それはまた……頼りない話ね」


 琴歌がこちらの差し出した右手を握っていく。

 成一もまた、同じように手の熱を感じて笑みになる。

 まだ期日ではなかったが、この好意だけは明確に伝えておきたかった。


「で、ヘタレの成一は私をぬか喜びさせて、明日は地獄に落とすのでしょう?」

「そうなるかもしれないし、そうならないかもしれないだろ」

「期待させるようなことをして。――ああそっか、これなのね。ようやく分かった」

「何がだよ? ……っ!」


 つかみ合ったままの手が、急に彼女に引っ張られる。

 そして右手は彼女の水着越しの、その胸に。


「きこえてる? この音が」

「……自分の音のがうるさくて、わかるかよ」

「こういうのも〈あててんのよ〉って言うのかしら? 私がやる日がくるなんてね」

「だから、なんで」

 今度は彼女がこちらに乗り出して。

 接触して。

「――琴歌」

「……吊り橋効果。きっとこれが、生物学的に正しい勘違い。初めてかかった病気だけれど、素敵なものね、悪くない。ほっぺくらいなら、いいでしょう?」

「……約束だから、ここまでだぞ。全年齢対象なゲームとしても、きっとその」

「まったく年齢制限って無粋よね。あと今さらだけど午前のデートで後悔してる真っ最中」

「? どうしてだ」

「午後だったらじゃない。月は綺麗かしら? って」

「……。残念だけど、夜ならもっと無理だぞそれ。今夜は特に絶対だ」


 成一は「何故?」と尋ねる琴歌に即座に返した。既に知っていたからだ。

 今年の十二月十五日の月影は――毎日見ていて知っていた月の位置は――朝に昇って昼には沈んでしまうのだと。

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