▼6▲ ‐残り十一日‐
「おはようございます、新成一。昨夜はよく眠れましたか?」
「ああ、人生最高の寝心地だった。カメラとメイドに監視されてる気分的な問題は別にして」
「それは失礼を致しましたわ。――立ってないで座ったらどうですの?」
「電気椅子か」
「ただの椅子よ! 紅茶にも毒は盛ってない!」
「まあ、入れるなら昨日の美味すぎる夕食の時点で喰わされているだろうしな」
着席する。あれから成一は進藤家のメイドに包囲され、彼女の邸宅の一室に軟禁された。
そして今朝になって庭を望むテラスに呼び出され、
「しかし外観も凄いが内装も、案内がなければ迷子になる広大さだ。ベルサイユ宮殿か?」
「デザイン的には赤坂の迎賓館のほうが近いですわね。私が建てたわけではありませんが」
「この王侯貴族もかくやな城に親類は他に誰もいない、きみ一人だって?」
「ええ。あとは執事と料理人、庭師や運転士、警護人やメイドに囲まれた優雅な生活ですわ。この日本において維持管理費用と固定資産税を考えますと――無駄そのものの豪邸でしょう」
「……。インパクトは世界の合い言葉じゃなかったか?」
「物には限度もありましてよ? 誰かさんをもてなすには十分過ぎたかと」
「まあ、言えてるな。食事もベッドも高級すぎてどれくらい豪華なのかのグレードが分からなかったし」
「それは羨ましいことですわね。私、昨日はあれから水一滴も口に入りませんでしたのよ? でもお陰で人間とはかくも現金なものだと痛感しましたわ」
「というと?」
「……空腹に耐えられなかったの。今朝には諦めがついたわ」
進藤は少し照れたように呟いて紅茶を飲む。
そのカップが静かにソーサーに置かれるタイミングを待って、成一は。
「もう気付いたんだろ。俺が今さら話す必要もないくらい」
「いいえ、単に気構えが出来たに過ぎません。……私自身の不自然さは、眩暈と立ちくらみで吐き気がするほど認識しましたが」
「この家に居ることもか?」
「勘違いしないで下さいます? 私は今でもこの豪華絢爛な家が大・大・だーい好きですわ。生まれ育った家ですもの。……たとえそういう【設定】だとしても」
そのとき敷地内の時計塔から大きく鐘が鳴り響く。
朝の九時。いつもなら一限目の授業が開始する時刻。
進藤はそれが止んで静まるのを待ってからテーブルの呼び鈴を鳴らし、
「お待たせしました、どうぞこちらへ。――真浦さん」
「はあ、本当に待たされた。一日ぶりね、新」
「っ、どういうことだ進藤。どうして彼女も」
「昨日から貴方とは別室でおもてなししていましたの。彼女は御厨さんについて尋ねてきた、それだけ言えば分かりますわよね?」
「真面目に授業を受けてたのに有無を言わさず拘束されたのよ。賓客待遇ではあったけど」
真浦は円テーブルで向かい合う成一達の中間に着席する。
そして視線がこちらを向き、
「じゃあ今日こそ説明してくれる? 私が今朝まで軟禁されていたその原因さん」
「分かってる。――御厨は呼ばなかったのか?」
「八方手を尽くしましたが無理でした。貴方ならそれで分かって頂けるのではなくて?」
「……会話もできなくなったのか」
「無味乾燥な話ならともかく干渉は一切受け付けません。強行手段も無力化されましたわ」
理解する。
おそらく勝手に身体が金縛りにあってしまうのだ、成一以外の人物であっても。
その事実に沈黙の時間が流れそうになったのだが、
「で、さっきから二人で何の茶番? ラ・ヨダソウ的な何か?」
「それは一昨日のきみに言ってやっただろ中二病!」
「と・に・か・く!! こちらは昨日という二十四時間を使って色々手を打ったり考えたり! 詳細を聞く心構えは出来てるんだから説明しなさい新成一!!」
「……。察しの通り、ここはいわゆる仮想世界だ。ゲームの舞台と言ったほうが適切だな」
――言ってしまった。否、伝えることが出来ていた。
それは現時点の成一に、僅かながらの安心と今後の不安の両方を一挙にもたらした。
続けていく。
「ゲームのタイトルはラブ・オア・ライブ。携帯アプリだ。俺はそれを偶然に立ち上げたら、ここに召喚されてしまった現実世界の人間で、唯一人のプレーヤーだ」
「……ギャルゲーなのね」
「なんですのその低俗な響きは? ――ぁ、携帯でググったら出ましたわ」
「ゲームの目的は一つ。きみたちのようなヒロインを攻略し、ハッピーエンドを迎えること。期間は僅か三週間。できなかったら俺は、殺される」
「っ、嘘でしょう?!」
「なるほど、だから速攻で御厨に告白したの」
「ああ。そしてクリアできたら俺は現実に帰還できる。攻略したヒロインを一人だけ伴って」
「……。荒唐無稽ですわ」
「存在が既に冗談みたいな金持ちが言っても説得力が無いけどね」
「それはもう十二分に理解していますわよっ!! ……税金対策どうなってるのかしら」
「……。まあつまり、ここは細かいツッコミ・ご意見無用の世界ということだ」
成一はいったん言葉を区切る。
言わなくてはならないことがあるからだ。しかし先に、
「で、新は御厨に何をしたの?」
「そうですわ。一体どうすれば御厨さんが、その、親衛隊の方々も」
「先週の土曜日、俺は彼女の攻略に失敗した。バッドエンドで御厨は初期化されたんだ」
「はぃ?!」
「あぁ、そういうこと」
「俺のミスだ。運命の分岐点で俺は行動を間違えた。彼女は何も悪くない。たぶん森部たちはお邪魔キャラでもあったから、その代替として進藤、きみの取り巻きに変化したんだろう」
「……御厨さん自身は」
「バッドエンドのペナルティで、攻略不可能のNPCになった。その障害に連動して、彼女の攻略に関わるはずだった人物からも記憶や記録が不必要になって抹消された、おそらくは」
「主要人物から村人Aに脱落した、だから誰も何も憶えてない、か。新のせいで」
「……。それで貴方は一昨日の朝、私にあんな謝罪をして……」
成一はそこで進藤に頭を下げる。
二度目ではあったが、今度こそという意味だった。
「本当に、すまない。進藤にとって御厨がどういう存在だったのかは俺には計り知れないし、知ったとしてもこんな言葉や態度だけの謝罪なんて何にもなりはしないだろう。だから先日も言ったようにどんな処断も俺は受ける。俺は彼女を……泣かせたんだから」
嘘はなかった。
何をするにもまず感情に片を付けてから、許されなかったらそれまでと成一は決めていた。
だが。
「何もかもが空虚だと……そう思ってしまうことこそ不毛の極み、ですわね」
「? 電波でも受信しちゃったの?」
「違うわよ。顔を上げなさい新成一、全て仕方なかったと、そう片付けるしかないでしょう」
「理屈はそうだ。けど俺は」
「だいたい私自身が昨日まで彼女を忘れていたのに、どうして貴方を無闇に責められます? それに自分で言うほど酷いことを御厨さんにしたとは思えませんし……客観的に見ても貴方は異常な状況下で生きるための努力をしていたと情状酌量する余地がありますもの。その背景を考えず感情的になれるほど私も愚かではないわ。それに具体的にどう処罰したからって――」
「だったら!! 俺が気分的にすっきりしたいから罵倒してくれって頼んでもか?!」
「うっわ引くー」
「や、やっぱりドMでしたのね!? ああもうこの変態!! 最低詐欺師!! ――……馬鹿男」
「……。ありがとう」
成一は真顔で再び一礼する。
進藤はくすりと笑みを浮かべている。
その直後、
「はい、じゃあ御厨の件はこれでお仕舞い。自分の命がかかっていた新は、ヒロインの御厨を籠絡しようとして失敗した。そんな狂言を全面的に信用することを前提にして、次に新は? 世界のからくりに気付いた私たちは? つまりこれからの議題に入りたいんだけど」
「いや、そんなに早く事態を飲み込んでいいのかよ? 俺を信じることも」
「自分は架空の存在で世界もただの舞台かもしれないと、それくらいの妄想なら昨日どころか中学二年生のときに誰もが通過済みのテーマじゃない。むしろ仮説の実証がとれたのだから、受け入れて当然よ。私は科学的な判断をしてるだけ」
「まったくですわ。荘子の〈胡蝶の夢〉然り。私たちはみな、どこから来てどこへ行くかさえわからないまま、それでもこうして生きているのですもの。――自分が何者なのかが分かっただけでも、僥倖よ」
「……。虚実を問うより、あるがままに行動するか。強がりだろ?」
「ええもちろん強がりですわ。じゃないとやってられませんもの」
「だから新はもっと詳細に説明して。分からないことだらけは気持ち悪いって伝えたでしょ」
「……分かった。まずこの世界についてだが――」
成一はそれからサーペントから聞いた内容について彼女達に話していく。
現実世界との明確な相違点は、この桃花市だけであること。
転校したのは召喚された翌日で、もう期限の三週間は半分が過ぎようとしていること。
この世界には家族や友人の同一人物もなく、関係を作れる相手はヒロインだけであること。
全年齢対象のゲームが舞台であるため、暴力などによる過激な干渉ができないこと。
また自身もヒロインやそれに準ずる者以外の干渉を受けず、勝手に自傷すらできないこと。
そして最も重要な事実は――
「きみたちヒロインは、無意識下でプレーヤーに接近するようプログラムされている。だからこうして俺と親しくなったのも、話をしてきたことも、要はシステム的に仕組まれて」
「お待ちなさい」
「進藤?」
「たとえきっかけはそうであれ、私が貴方に執着した理由は昨日に説明した通り。さきほども言いましたが全てを空虚なものと断じるのは愚考であり、私の感情への侮辱でしてよ?」
「本当にクズなら口も利かないしね。でもそうでない程度には私は新を嫌ってない」
「ま、まあ本人的には?! 私たちに嫌われたくて言ってるのかもしれませんけれど!?」
「……。はあ、降参だ。そうやって擁護するよう思考を歪められてるかもしれないのに」
「偽悪的。本当の中二病は新のほう」
「ええ同感ですわ! そっちこそ、自分の命がかかっているくせに……」
「ああうるさいうるさいっ、とにかくこれからどうするかを話す上で重要なことなんだよ!」
成一は照れ隠しにそう言ったが、冗談ではなく本当だった。
まだ二人に伝えるか決めかねている事実がある。
さっきはその最終確認の前提だったのだが――
「なら、その肝心の問題をいい加減に聞かせてもらえない?
新が現実に帰還するために必要なヒロインは、他にあと誰がいるの」
「――っ!」
「真浦さん?」
「進藤もよく聞いて。新が現実に帰還するか期限に間に合わずに殺されるか、それはたいして重要なことじゃない。結局は他人事だから。問題はそのとき私たちがどうなるかよ」
「……それは」
「御厨のように経験も繋がりも何もかもが抹消されて初期化され、次のプレーヤーが来るのを待つことになるのか。そうだとすればいくら〈
「真浦さん!!」
「どうなの新、ここにいる私たち二人以外にヒロインは他に誰かいる? 新は誰を選択して、私たちを見捨てるの? だってたった一人しか、現実には連れて帰れないんでしょう?」
真浦は終始淡々と成一に畳みかける。
答えるつもりは当然あるが、沈黙する。
――問題はその外にあったのだ。
(つくづく彼女はこっちの痛いところばかりをつく……ッ)
自分をこんな性格にさせた張本人とまったく同じ名前と口調と容貌のヒロインが、こちらを強く責め立てる。分かっている、あれは迂闊に言ったわけではなく。
「あー、駄目じゃないか成一くん。訊かれた質問にはボクみたいにしっかり回答しないとさ」
「!! サーペント、またかって……」
「ぬ、ぬいぐるみ!? 浮いてますわ?!」
「ああ、こいつが新の言ってた〈ファウスト〉の悪魔?」
「微妙に違う!? ボクはラブ・オア・ライブの案内役、サーペントの【サーたん】だよ?!」
「……紛うことなき蛇野郎ね。口調が最高に苛々する」
「しゃ、喋りますわこのぬいぐるみ! ……ああダメダメ、ちゃんと適応っ、進藤みらい! ご、ごきげんよう、サーペントさん?」
「――まあ、誰も愛称で呼んでくれないんだけどね」
「サーペント、どうして彼女らがお前を認識できるんだ?」
「君が情報開示したから隠す必要がなくなった。あと当然だけど、また新しい警告にね」
「……今度は何だ」
円テーブルの中央に現れたサーペント。成一の問いかけを「わかってるくせに」と鼻で笑う調子で返してきて。
「最初に言った通りさ、ハーレムエンドは存在しない。そして成一くんはヒロイン数を様々な理由から絞ったためほとんど登場させておらず、またバッドエンドのペナルティで」
「俺から言う! 黙ってろ!!」
「いいや言うね! もう君たち二人しかヒロインは残っていないのさっ!! つ・ま・り?」
「二者択一。ダブルヒロインのトライアングラーということね。理解した」
「まあそれは成一くんにとっての話でしかないんだけど、君も物分かりが良くて助かるよー」
成一は舌打ちする。
今度は進藤が口を挟んできて、
「……サーペントさん、一つ質問をしたいのですけれど」
「なんだい金髪巨乳お嬢様」
「この世界からの脱出方法は他にないと断言できます?」
「ないねー、残念ながら無駄に労力を割くだけだ」
「それは方策を探してみる価値も、反抗する意味もないってことでいいのかしら」
「うーん。忠告しておくとさ、マラソンで走るのをやめて家に帰るのはランナーの自由だよ。でも例えると君達は競走馬なんだ。サラブレッドが走るのをやめたらさ――馬主に肉にされても文句は言えないだろ?」
「……っ」
「サーペント、よせッ!! 鉛玉を喰らうのも下手を打って殺されるのも俺一人だけで十分だ!!」
白蛇の赤い双眸が彼女を丸呑みしそうなほど強く光る。
成一は立ち上がり叫んで止めて、かばった進藤の顔色を窺った。
それは正しく蛇に睨まれて、蒼白だった。
「まあ、疑問は当然ではあるけどね。だけど舞台の幕が上がっているんだから、下りるまでは役者でいてもらわないと観客が困るじゃないか」
「その下衆な観客は、どこにいる?」
「いるだろう。少なくともここに一人、そうボクだ!」
「この悪魔ッ、警告が終わったならさっさと去れ!!」
「HAHAHA! だったら早いとこ決めちゃいなよ成一くん。期限はもう残り半分だよ? ちなみに君は未だルート確定していない。美少女二人を前に何を悩んで迷っているのかな?」
「それは……」
「全ては君次第だと言っただろう。それは絶対の真実なんだ。思うがままにしてみればいい、それで新しい恋を手に入れたらハッピーエンド、何も難しいことはない」
「っ、そう簡単にできるなら!! 苦悩なんてしていないッ!!」
「……新?」
「もしかして、その、御厨さんが」
「そうじゃないっ。そうじゃないんだ、ただ……」
「――まっ、悪魔は嘘をつかないからさ、ボクの言葉をよく考えて決断しな。次に会うときはどうか幸せになっていてくれと祈ってるよ、成一くん」
言うとまた白蛇は薄くなって消えてゆき、見えなくなる。そして騒がしさが静寂へと変わり手元に置かれた紅茶がすっかり冷め切っていたと気付いたとき。
「……新成一、真浦琴歌。今日はもうお帰り下さい。車で家まで送らせます」
「進藤、きみは」
「今はその、私も一晩また考える時間が欲しいのよ。それはそちらも同じでしょう?」
「こっちは別に。だけどまあ、私がどうしようとしても無駄だしね」
「? どういうことかしら」
「言葉通りに受け取って。分からなければ明日には教えるから」
「もったい付けて言いますわね。そちらもそれでよろしくて?」
「ああ。これ以上は俺も……考える時間が、必要だ」
成一は大きく深く息を吐く。
これで舞台裏は暴露してしまったと、後悔はないが疲労感ばかりが襲ってきた。
全てがリセットされた今後、自分はどう動くのか。
そして今現在、状況は成一だけのものではなく、
「じゃあまた明日、会いましょう。連絡先は――」
彼女達も含めた三人が直面する死活問題に、変化した。
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