▼9▲ ‐残り十五日‐

「これもいいんじゃないかな、飾り付けに」

「そうだね、あ、こっちは家のツリーに使いたい!」

「ならチェックだけして会計は後にしよう。他の階にも素材はあるし」

「うん、色々と見て回って、それからゴハン?」

「まあ昼飯は、テキトーにファストフードってことで」


 土曜の昼前の池袋、成一は雛子とハンズに買い物に来ていた。

 木曜日と金曜日は彼女と一緒に学校のクリスマス会の準備を手伝っていて、そのため成一はデートのプランの最初にそれを絡めて組んでいた。池袋にしたのは学生でも気軽に立ち寄れる場所が多いことと、何よりも。


「――おいしい」

「だろ? ちょっと高いけど美味いんだ、ここのハンバーガー」

 以前によく訪れることがあって、成一は地理や時節の事情に詳しかった。

 だから、


「わっ、すごい! 噴水がツリーになってるんだ!」

「ああ。この広場の恒例みたいで、今年はまだ来てなかったから見たかったんだ」

「じゃあ今年の感想は?」

「隣にいる人のおかげで去年より遥かに綺麗に見えてます」

「一人で来てたら?」

「リア充爆発しろ」

「あはは! じゃあ私たち一緒に吹っ飛んじゃうねっ」


 ――だから、何を喜んでくれるかを考えるのは容易かった。当日までに彼女が見たい映画や食べたいスイーツをチェックして、誕生日だというのに父親が仕事で家に居ないのも確認してデートを終日問題なく過ごすための準備をした。


「実はBLにも興味があった私です」

「待て、その情報は初耳だ。まさか――」

「なので寄りたいお店が、池袋ここにはあっちにもこっちにも♪」

 ……少しイレギュラーもありはしたが、全てが順調に進んでいる。

 その間にも傍には常に白蛇のぬいぐるみが浮いていて、


『うまくやれているようだねえ。ハッピーエンドも間近かな?』

『でなければ俺が困る、色々と』

『ん~、何に急いでいるのかなあ? まだ期日までは二週間もあるじゃない』

『……少しは察しろ』

 確かに期限は二十四日まで。だが準備中のクリスマス会は二十五日の月曜日。

『実現しないパーティの準備を笑顔で手伝うのは……身につまされるんだよ』

『だから早めに決着をつけたい、と。なかなか熱い男じゃないか君も!』

『……冗談はよせ、気色悪い』

 そう言うと、成一は小さく息をつく。


 この世界に情を移すわけにはいかなかった。同時にここから現実に帰ったとき、連れて行く彼女にどう説明すればいいかも悩みの種だ。その辺は都合良く処理されてほしいものなのだがサーペントに聞いても規制情報だと言って答えない。であるならば最悪の事態――自分自身が虚構の存在だと彼女が理解したときに備えなければならないのだ。

 そのためにしっかりした関係を築かないと、可能なら恋愛に依存させないと非常にまずい。釣った魚を水槽に入れ鑑賞するのとは訳が違う、熱帯魚を北の海で飼うようなものだからだ。

 現実に連れて行けるのは一人だけ。つまり彼女は家も親も友人さえも一つ残らず失うのだ。

 必然的に頼れる先は一人だけ、プレーヤーしかいなくなる。

 現実でも同じ高校二年生だというのに、そんな責任が自分にのしかかるのかと思うと。


(……まあいい。今はとにかく生き残る、そのために……)


 ゆえに成一は、自分が情に厚いなどありえないと断じていた。

 冷淡で酷薄で、誰かを好きになる資格の無い、自分が一番大切なだけの俗物そのもの。もし純粋な心であったなら、現実の面倒さなど省みず彼女のために尽くそうと思うはず。

 そう思えないのだから、自分は一生孤独であったほうがいい、そうなのだ。


 けれども今は、嘘をつく。


 だからあのとき苦手だと、近付きたくないと感じたここにもまた、ライトアップされた夜の桃園に成一は足を踏み入れる。

「わ、今度もまた誰もいないよ? あはっ、なんだか奇跡みたい!」

「……そうだな」

 自分がどう思うかなどは関係ない、ここが一番都合が良かったのだ。雛子が気に入っている場所で、ロケーションも客観的に最高で。

「それで、デートの締めにこんな人気のないところに連れ込んで。成一くんは私に一体、何をするつもりなんでしょう?」

「さて、なんでしょうか。はい、どうぞ」

「当てちゃっていいのかな? じゃあ答えは――」

 冬空の下、雛子は空を散って泳いでいく桃の花びらを眺めていた。

 それがこちらを振り向こうとしたときに、成一は先に用意していた物を取り出して。

「誕生日、おめでとう。ささやかだけど、お祝いだ」

「……知ってたの?」

「きみの親切な友達が教えてくれたんだよ。気付いてないフリしててごめん、驚かせたくて」

「今日このお店に寄ってないよね? これって」

「昨日買って隠し持ってたんだ。……どうだろうか?」


 渡したのはブランド物のマフラーだった。

 価格的には学生でも頑張れば手が届く範囲。貴金属のアクセサリーより気楽に渡せて、また季節柄も踏まえれば悪印象は与えないだろうと考えた選択だった。そしてそれは正しく彼女に作用してくれたようで、


「ありがとう……すごくうれしい」

「……よかった、喜んでもらえて」

 彼女は渡したマフラーを抱きしめて、うつむいて、受け取ったものを首に巻く。花の欠片が幾つも木々から舞い落ちて桃園に静かな音を奏でている。うまくいったと、成一はこの結果に大きく胸をなで下ろした。


 時刻はまだ十九時にもなっていない。プラン通り進んでいる。このあとは予約したケーキを受け取り彼女の家で一緒に食べられれば理想的、そう成一は算段した。ハッピーエンド条件が何かはまだ分からないが、少なくともこれでより彼女に近づけるだろうと。だから、


「それで私は、この優しい嘘に、どう報いればいいのかな?」


 ――そんな言葉の弾丸を、不意に急所に撃ち込まれ、


「今日は、とても楽しかった。プレゼントも、嬉しかった。だけど」


「だけど成一くんは、楽しかった? 成一くんは、ずっと私を喜ばせることばっかりしてた。私に都合が良いように、悪く思われないように振る舞ってばっかりで――分かっちゃうよ」


 思考と動悸が一瞬にして固まって、凍りつく。けれども今は茶化さなければと、


「はは……嘘なんて、何が」

「あなたは私が好きなんじゃない。何か目的があって、私がそれに都合良かっただけ」


 どうして黙る、否定しろ。笑い飛ばせ。

 そんなものは思い違いで、好きな人と一緒に過ごせた一日が楽しくなかったはずはないと。

 けれど真相を暴いている雛子は笑みのまま、両目のふちは……潤んでいて。

「でもそんなこと、最初から分かってた。それでも好きになってくれたならって、私と一緒で同じになっていけたならって思ってた。嘘ばかりついてたんじゃないってことも、きっと何かそうしなくちゃいけない事情があるんだろうなって、分かってた。だけど――だけどっ!!」

「……雛子っ」


 成一は混乱した。彼女は頭が良すぎていた。けれど善人だったのだ。

 この世界の不自然さを、虚構という真実を教えることはできないとサーペントは断言した。だから伝えることができないなら言葉では駄目なのだと、嘘を重ねるよりはと成一は。

 雛子を強く、抱きしめた。


「――ぁ」

「落ちついてくれ。信じてくれ。それしか今は、言えることが何もないっ」


 こんなことで失敗するわけにはいかなかった。

 もう明日で一週間、三分の一が過ぎてしまう。やり直すのは困難だ。やはり性急だったかもしれないが、ここで破局するわけにもいかなかった。


「……。じゃあその証を、私に見せることができる?」

「ああ、当然だ」

 彼女が一歩を離れてゆき、目を瞑って顔をそっと上向かせ、意味を察する。だから成一は、それにほっと心を落ち着かせ、彼女が望む通りにしようとして。

「……っ!? ――ぃゃぁあ!!」

「ッ、雛子?!」

 突き飛ばされる。直前で目をひらいた彼女が叫び、掌で顔を覆い恐慌し。


「い、いまその顔、わらってたっ」

「何を」

「忘れない!! その顔はっ、嘘をはぐらかせるって安心した表情だもの!」

「だから、何をっ」

「近寄らないで、触らないで! 赦せない、許せない!! お母さんもそうだった、優しくしてくれたのも世間体、お父さんの財産と安定が手放せなくて、本当は他に好きな人が昔からいたくせに、みんなを欲しがったから家族に向ける笑顔の裏で、嘲ってた!! お父さんが気付いていたことも、私でさえ分かってたことも察せずにっ、自分のことも見てくれているのならってお父さんの許しに甘えてた!! でも結局裏切って、いなくなって! だからそんなお母さんに似た私を見なくなったのよ! ――血の繋がってない娘の顔なんてッ、見たくないから!!」

「雛子っ、落ちつけよ!」

「嘘つき! 嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき!! みんな私を見てくれないっ、何か価値がなければ見てくれないくせに、どうしてもっとその先を見てはくれないの?! 私はッ……!!」


「私を心から求めてくれる人が、ほしかっただけなのに――!!」


 その絶叫と同時、彼女の背後から黒い影が立ち上がり、


[ヒロイン・バッドエンドの条件が成立しました。

 これより「御厨雛子」を、強制初期化します]


 影は雛子を頭上から覆い、それに飲まれた彼女は僅かなノイズを発して明滅し、

「雛子ッ――」

 成一が手を伸ばすと同時、跡形もなく消え去って。

「……。すう、こ?」

 呼ぶ声は桃園にむなしく響いてゆく。伸ばした先の手のゆびが触れるのは静寂のみ。

 ただ地面にぽつり、成一が贈ったマフラーだけが、たった一つ残された。


「あーあ、やっちゃった。残念だね。あと一歩だったのに」

「……。蛇野郎、これはなんだ……?」

「バッドエンドだよ、君は御厨雛子の攻略に失敗したんだ。いいところだったのになあ」

「これはなんだって……聞いている」

「君は実に効率的でハイリスクな攻略をしていたんだ。彼女のトラウマをくすぐって、それでいて嘘だけでなく真実も忍ばせる、危険と隣り合わせな進行でね。だからこれはその綱渡りの結果だよ。君は詰めを誤った。運命の分岐点で間違えた。それだけさ」

「バッドエンドがあるなんてのは!! 聞いてないって言ってんだッ!!」

「そりゃ聞かれなかったからねえ? これに関しては全く君の落ち度だったと言っておくよ、積極的に教えられないだけで、聞かれて教えてはいけない決まりはなかったのに」

「――っ、御厨は! 雛子はどうなった?!」

「お告げの通りさ。そして君が彼女を攻略することは、もう出来ない」

「……、なぜだ」


「うん。じゃあ順に説明するよ。御厨雛子は自分を心から求めてくれる人を欲していた。君は虚言を用いて彼女に近付いたが、その真意を彼女は常に量っていた。君自身に好意を感じつつ渇望と猜疑の相克と葛藤ゆえに、そしてプログラム通り、君に寄り添おうとしていたんだよ。君は逆にそんな矛盾に満ちた彼女の本心を察してやれなかった。なぜだか分かるかい?」

「分かるかよっ!」

「傲りだよ。君は心の底では失敗するなんて思っていなかったんだ。成功した先のことばかり考えて、本当に大切なものを見落とした。……でもよかったねえ、君はまだ生きてるよ?」


 サーペントが口角を釣り上げて冷笑する。

 成一は確かに耳にした、【ヒロイン・バッドエンド】だと。つまり一歩間違えれば、

「君は性急な攻略に徹するあまり、たかがゲームと視野を狭めてしまっていた。まあじっくりやっていたからといって今とは別の結果になっていたかは分からないけれど、彼女の不信感を煽って精神的に追い詰めることにはならなかったかもね」

「……俺が、雛子を」

「だけどまあ安心してくれ。期日までは二週間もあるんだから、残りの攻略可能なヒロインをしっかりハッピーエンドに導けば、原則通り現実に帰還して、その子も一緒に連れて行ける。ただその相手が御厨雛子ではなくなったというだけでね。そんなに悲観することじゃないさ、彼女は作り物のデータでお人形、そう断じて速度優先の攻略をした君だったら分かるだろ?」

「ふざけるなッ!! ゲームなら、やり直させろ! 出来るだろ!?」

「君のこれからのために助言しよう。そんな甘えた考えは捨てるべきだ。だってもうボクは、君のサポートをしてやれないんだから」

「な、に……?」


 宙に浮かぶマジシャン姿のぬいぐるみは、次第にその姿を薄くして。


「元から明日までの期限だったけれど、バッドエンドのペナルティでね。これでさよならだ。ここから先、ボクは状況に応じて必要な時にしか現れない。君は本当に孤独になる」

「おい待てよ、なに言ってやがるサーペントっ」

「あと最後に現状を伝えておこう。もう君に新しいヒロインは訪れない。これもペナルティになっててね。君の効率主義が裏目に出たんだ。まあ読み自体は間違っていなかったんだよ? 登場ヒロイン数が増加すると特定のルートで邪魔してくる場合もあったからさ。もっとも君の真意は、帰還後の現実への順応が困難なヒロインと出会った時、それに情が移ってはまずいと思ったからだろうけれど。……でもまあ、そんな的外れでも優しい心があるんだから――」

「蛇野郎ッ! 待てって言ってるだろ!!」

「がんばって新しい恋を手に入れて、今度は幸せな結末を迎えてくれよ? 成一くん」


 そう言い残すと翼持つ白蛇は、掴みかけた成一の手をすり抜けて見えなくなる。

 ただ一人、成一だけが花の舞う木々の中で、立ち尽くす。


「はは、はは。……なんだよこれ。なんなんだよこれは!? 返事しろよ蛇野郎! サーペント!! 俺が何を間違えた?! 俺は何を間違えた!? ゲームだったら選択肢を表示しろよふざけるな! 答えろよ委員長! 御厨! 雛子!! 俺はどうすれば良かったんだ、どうして!?

 また、またなのかよ? また俺は――ちくっ、しょう……!! あ、あああああああ……ッ!!」

 

 成一は膝を落として崩れて嘆く。

 プレゼントだけが残された、他に誰もいない空間で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る