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「あの、美味しく……ない?」

「――いや、その」

「な、何か駄目だった? 味の濃さ? 甘さ? 酸味? 塩辛さ? 隠し味にいれた柚――」

「違う! 言葉がなかったんだよ美味しくて! びっくりしたんだ、こんな」

 成一は食べた弁当の残りを見る。無言で一気に半分腹に収めていた。一口目に「うまい」と言わなかったことが雛子は不安だったらしく、その反応に満足して。

「へへー、昨日に好みを聞いたでしょ? 今日はそれに合わせて作ったの」

「だからって、昨日今日で変わりすぎだ。いきなり好みに合わせられるなんて」

「ふふーん、なんたって委員長だから♪」

 決めセリフと共にほほえんで、続けて言う。

「目標があると楽しいんだ。張りあいがあるっていうか、一つ一つの行動に到達点があって、そこに近付けるのが純粋に嬉しいの。成一くんと付き合うことにして良かったって思ってる。昨日みたいな凄い景色を一緒に見られたことが、あんな楽しいことがこれからもあればって」

「……。そう言って貰えると、俺もその……有難い」


 成一は演技を忘れていた。つい本音を口にした。だがすぐに気がついて、


「いや、これで満足してちゃ駄目だな。もっと俺自身を好きになってもらわないと」

「じゃあ成一くんは、私に何をするべきでしょう?」

「話がしたい。いっぱいあるんだよ、知ってもらいたいことも、知りたいことも」


 そう言って成一はスマートフォンを取り出した。

 昼休みの二人きりの屋上で、自分達の好きな音楽に面白いと思った画像や動画、ニュースや持ちネタを披露する。共感するもの、価値観の異なるものを見つけては談笑する。そのなかで成一は、彼女を選んだ判断が間違っていなかったと確信した。


『なんだか楽しそうだねえ、順調で』

『急に話しかけてくるなサーペント。順調なのはいいことだが』

『そうだねえ、委員長は良い子だろう?』

『まったくだな。趣味も交友関係も広く頭もいい、これなら現実に帰っても問題なさそうだ』

『それは客観的な評価じゃないか。君自身の個人的な見解が聞きたいなあ』

『ああそれか。――朗らかで前向きで気立ても良い、俺には不釣り合い過ぎる』

『そうかなあ? どこで何の釣り合いが取れるかわからないのが恋愛だと思うけど?』

『……。不毛な話だ』


 確かにこんな時間は久しぶりだ、自分の命がかかっていることを気にしなければ、楽しいと素直にそう思える。上手な嘘の付き方が真実を混ぜることならば、実践できている自信がある。

 雛子との時間は楽しいのだ。

 だから「好きだ」と告白した嘘も、いつか真実になってくれたなら。

 けれど成一は、その本音にも距離を置いていた。ハッピーエンドを迎えた先を、考えずにはいられない。現実に連れて行くことになったとき彼女が自分から離れる可能性は大いにある。

 苦難に挫けることもあるだろう。

 不仲に悩んで別れることもあるだろう。

 そんな花の枯れる世界に彼女を連れ出すことになるのだ、自分の命が惜しいから。


(……。だから、近付きすぎないほうがいい)


 何より成一は、自身が抱き始めているこの感情を不信していた。なぜならば、

「あっ、チャイム」

「もうそんな時間か。残念だな、急いで行かないと五限目が」

「ちょっと待ってて――うんっ、これでよし。急がなくても大丈夫だよ、私の作ったお弁当が原因の腹痛で保健室のベッドの上、戻るのが遅くなるって伝えたから」

「え、いいのかそれ」

「残念だって言ってくれたでしょ? これくらいの権力が使えなきゃ、普段から良い子はしてないよ。気にしないで、委員長だから♪」

「……いや、なんか悪いな。その」

「だって今日はさすがに生徒会のクリスマス準備しないとまずいから、放課後のデート時間がとれないんだもん! まあ期末テストも終わってるし、正直、一度は授業をサボるって冒険もしてみたかったし、準備は手伝ってもらうけど……何より私がまだお話していたかったから」

「はは、優等生の反逆だな。OK、どっちも付き合うよ。じゃあさっき途中だった」

「私の両親ね、離婚しちゃってるの。お母さんの浮気が原因で」


 それは、ひどく唐突な、


「だから好きって気持ちが、私にはよく分からないと思ってた。生涯を誓い合った二人でも、簡単に心が移り変わってしまうんだって、私はそんな人の血を引いてるんだって思うと、恋に憧れなんて抱けなかった。成一くんは知ってるかな、恋愛感情を引き起こす脳内物質ってね、たったの四年で効果がなくなっちゃうんだって。――不毛だよね、そんなことに気をとられて自分を見失ったり人生を棒に振るなんて」

「みくり……雛子」

「だけど百聞は一見にって言うじゃない? だからちょっとお試しにって、そんな程度でしかなかったんだ、私の気持ちなんて。――もっともこんなのは後付けの言い訳で、本当のとこは私も分からない、混乱してたのは事実だから勢いに流されただけかもしれないし。でも」


 それは、錯覚だと思いたかった。

 あまりに昨年の自分と重なりすぎていて、細部さえ鮮やかで。


「でも今はね、世界の色が違って見える。好きって言われて、どきどきしたことも初めてで、何かしなきゃって身体が勝手に動いちゃう。言葉もあふれて、勘違いじゃないかって疑ってもすぐどこかに行っちゃって。――私、こんなに変わっちゃったんだよ? たった一日で!」

「……。俺は」


 成一は演技を忘れていた。

 聞き上手のように振る舞うべきか、好意を持ってくれていることに感激すべきか。

 けれど言葉が勝手に出て、

「俺も、そうだった。同じだよ……、俺だって」

「同じって……成一くん?」

「俺の家だと親父のほうが浮気して、出て行った。俺は親父とも仲が良かったんだけど、もう養育費を貰うだけの関係だよ。離婚率の高い現代じゃ珍しいことじゃない、けどさ」

 声は。声は平静だった。

 今では苦い経験の一つ程度と言える話である。だが中学にも上がっていない少年に、恋愛や家族の絆への失望と幻滅を抱かせるには十分な事件だった。だから同じ境遇だったと語られて共感しないはずがなく、成一は。


「……けどさ、やっぱり嫌だったんだよ。母さんは裏切られたって泣いてたし、爺さん婆さんだって、片方だけになっちまった。はは、二年ぐらいしたらお年玉が減った程度にしか感じなくなっちまった薄情な性格してるのに……一体誰に似たんだか」 


 成一の恋愛への不信は、そもそもそれが始まりだ。

 その自己嫌悪は昨年に悪化して今もまだ続いていて、肯定はきっと一生できないだろうと。

 雛子がこちらを窺って、


「でも今は、違うんだよね? 私と一緒、なんだよね?」

「……。ああ、同じだよ。好きな人が出来ることは不毛なことなんかじゃない。わかってる」

「だったらさっ、乾杯しよっ? お互い嫌なことを思い出しちゃったけど! それでも今は、同じ境遇の彼氏彼女だったって分かったことと――」

 彼女は持ってきた魔法瓶から互いの紙コップにお茶を注いでいく。

 成一は手渡された勢いに気圧されるように左手に持って、そして。


「新しい自分を始めていく記念にっ、かんぱーい!!」


 慌てながら杯を交わしてしまい、中身の紅茶がこぼれてしまった。

 ――左手の、包帯に。


「ッ……あつ!」

「ご、ごめんなさい! ああ、そのっ」

「大丈夫だよ、換えのもあるから巻き直す――」

 成一は即座に色の滲んだ包帯をほどき、常備してある別のをポケットから出そうとして、

「え、その傷……文字? 『DO YOU L――』」

「――……ッ!!」

 しまったと、成一は急いで右手でそれを隠した。

 こんなものを見られかけた恥と、晒しかけてしまった油断、同時に目に入った痕に、成一は先ほどまで我を忘れていた自分を叩かれた気がした。

 何をお遊戯じみたことをしていたのか、と。


(……そうだ、いちいち共感する必要などない! それよりもっとちゃんと頭を働かせろッ)


 成一は無理矢理に切り替える。また新しいキーを手に入れたのだ。

 雛子の両親は母の浮気で離婚。だが父との関係も良好ではない。この入手した情報から次の対応を考えて動くのだ。その決意を支えているのは何よりも、

『どうしたんだい、成一くん? なんだか必死だねえ』

『いいから黙ってろ、脅迫者!!』

 こんな理不尽な存在のために命をくれてやるわけにはいかなかった。だから、


「ああ、ごめん! 見たくもないもの見せちゃって」

「えっ、ううん、なんかその、こっちこそ……」

 まず作り笑顔でとりつくろい、そして誤魔化す意味も含め、

「それよりさ、新しい自分を始めるならちょうどいい、今度の土曜日って空いてるかな?」

「え?! あ、うん。何にもないよっ、何にも!」

「じゃあ今度は、放課後じゃないデートに誘っても――」


 バタン!!


「ああああああああ!! やっぱり我慢できません進藤さんッ! いぃ委員長に授業サボらせる粗相したこんの不埒者を成敗させてくださあああああああああああああ」

「なに雰囲気ぶち壊して下さいますのっ、この唐変木ッ!!」

「デバガメ失敗……まあ森部に付いてこられた時点でアウトだったけど」


 後方から騒がしい叫声と跳び蹴りが炸裂する衝撃が聞こえてきたが無視していた。

 隣の彼女はくすりと笑って、

「うん、OKだよっ!」

 予定通り週末の約束を取り付けて、成一はひとまずの攻略前進を確認した。

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