二章
▼1▲ ‐残り十四日‐
成一は自分の家の前に居た。深夜の零時を過ぎていた。
ゲームの舞台である桃花市の部屋ではない。現実世界にある本当の住所――そのアパートの扉に立っている。ここに着くまでに成一は、精も根も尽き果てた。
この世界は狂っている。ゲームの舞台として用意された虚構のものだ。
――そうやって大声で叫ぼうとして失敗した。無理だった。
この写真を見ろ。冬でも枯れずに咲き続ける桃園などありえない。異常なんだ。
――そう書いてSNSに貼り付けようとして失敗した。無理だった。
誰か他に自分と同じプレーヤーはいないのか。攻略は順調か。もしもいたら応えてくれ。
――そう掲示板にスレッドを立てて書き込もうとして失敗した。無理だった。
サーペントの言っていたことに嘘はなかった。分かっていた。この世界の有様を教えようとすると、行動を開始した瞬間に止められる。身体が動かせず固まるのだ、理不尽に。
縋り付く先はどこにもない。だが成一は足掻いていた、信じなかった。
あの桃園でひとしきり嘆き叫んだたあと、あらゆる手段で成一は孤独を伝えようと、自分の存在を知らせようとした。助けを求めようとした。だが何もかもが未遂に終わっている。
全てが不毛な行動だと思い知らされて、それでも成一は終電間際だった電車を乗り継いで、帰るべき場所まで歩いてきた。そこには確かに自分が住むアパートが存在し、その玄関の前の電灯の光に涙がこぼれそうになった。
ポケットから鍵を取る。ロックを外してドアを開ける。部屋の中に入ってゆき、
「……ただいま」
虚ろな声で、しかし成一は確かに告げた。もしかしたら母がいるかもしれないと。
けれども迎えてくれる声はない。分かっていたと落胆し、自室に戻る。そして。
「――はは。ははははっ!!」
灯りを点けた。カーテンは開いていた。向こう側はもう別世界の景色だった。
成一はすぐに部屋を出る。再び玄関を開けて外に出る。
――そこは既にゲームの舞台の桃花市で、家の前にはあるはずのない街灯が立っていた。
「ぅ、っあぁ……ッ」
成一はアスファルトに崩れて伏せる。帰る場所はどこにもない。語りかける相手もない。
脳裏に焼き付いて離れないのは無機質に消えた雛子の姿と、生々しく耳に残る最後の叫び。
それはまったく異なる印象のはずなのに、成一に一年前の記憶を呼び起こす。
一年前にいた『彼女』は消えたわけではない。現実に確かに存在していたのだ。
ただ別れの文を残して急に目の前からいなくなり、それから成一は会おうとしなくなった。逃げたのだ。会いに行こうと思えば行けたのに、自分にはその資格がないからと。
けれど今度は会いに行くことも出来なくなった。
――雛子には、拒絶されてしまったから。
「ぐ、あぐっ……ぅぇエッ!!」
嘔吐する。胃が痛み喉が焼け、口の中に異臭が残って鼻に不快を訴える。
自分はまだどうしようもなく生きていて、その無様さに成一は怒りを覚えた。
今ゲーム世界にいるこの身体は、食事も睡眠もとらなくていいという。なのにこの苦痛は、自分に平穏を与えてくれと叫んでいる。
それは確かに一年前にも味わって思い知らされた、限りなく利己的な自身の人間性だった。
「……がはっ、そうだ、あの蛇野郎なんぞに、殺されてたまるかよ……っ」
たとえ心は絶望をしていても身体は生きることを続けたがる。だから死ねない。それを再び理解すると成一は部屋に戻り灯りを消してベッドに潜り、目を瞑る。サーペントが言った通り眠気はまったくなかったが、眠ろうと強く願うとそれは叶いそうだった。
召喚されてからこの瞬間まで成一は、ずっと寝ずに過ごしてきたのだ。
眠って起きたそのときに、これが夢でなかったら――そう思うと寝る気にはならなかった。最後の逃げ場さえ奪われてしまいそうで、けれどそれももういいとベッドで横になる。
残るヒロインはたった二人。
進藤みらい。
真浦琴歌。
「……。最低だ」
雛子が消えたばかりだというのに、僅かでも明日からのことを考える、この自分の薄情さに失望する。なぜなら朝になって目が覚めたら、成一は自分がどう動くかを知っていたからだ。
まず熱いシャワーを浴びてコーヒーを飲み、休息をとり気持ちを切り替える。何のために?
――自分が生きていくために。
――ハッピーエンドを迎えるために。
そんな醜悪な生き汚さから今だけは目を瞑りたくて成一は、睡魔に身を委ね沈んでいった。
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