§3

 昭和八年八月二十八日月曜日の天候は快晴であった。

 気温摂氏三十二・七度、北東の風一・五メートル。

 東京帝大本郷キャンパス御殿下運動場では、建築学教室総出での準備が終わりを迎えつつあった。

 温度計類の電線は、試験家屋が設置される前に埋設が行われたが、屋内での保護塔の構築は当然家屋設置後であるし、前後左右の観測点への人の配置や、輻射熱測定板の設置、寒暖計や簡易風力風向計の設置など、距離や方角の測量を必要とする準備が目白押しだ。

 試験家屋内には、一般家屋を想定した家具、に相当する燃料木材およそ一・二トン分が運び込まれ、机、椅子、簞笥、本棚、物置等に見立てられた。ただし、後の検討では、一般家屋と見做すには些か燃料が過大であった事が判明したが、当時はむしろ燃え残りが心配されていた。

 また、実験に臨席する内務省、警察庁、消防への対応も必要になる。特に消防は、実験終了時、もしくは不測の事態の出来しゅったいに際しては放水を行う準備をしているのであるから、実験の当事者と言っても過言ではない。入念な打ち合わせが必要であった。

 点火位置についても、最後まで検討が続けられた。これも当日の風向きを考慮して、家屋全体に火が回るよう、最終的に物置想定場所が着火点に定められた。

 午前十時三十七分。

 すべての準備が整った。

 内田は、いよいよ実験開始の号令を発した。

「点火!」

 試験家屋内に積み上げられた、油二升が掛けられた木材に点火すべく、警視庁の後藤、伊藤の両名が、窓から屋内に上半身を乗り入れて、即席松明を押し付けた。屋内では16ミリカメラを構えた岸田日出刀が、その瞬間を待ち構えていた。岸田は火災発生の瞬間から、その初期の様子を屋内から撮影する段取りであった。

 計時係が、時間を計測し、実験時間の読み上げを始める。定点観測と撮影は一分毎、と決められている。二台の手持ちライカ組は適宜撮影し、撮影時間を記録する。

 まず一斉に、ゼロ分目の記録が取られた。

 松明から木材に火が燃え移ったのが、約五秒後。

 油が掛けられた木材は、あっという間もなく炎に包まれた。

「早い、早い!」

 一分も経たぬうちに、室内の温度計は四〇〇度を突破する。もはや撮影どころではなく、岸田たち屋内撮影班は慌ててカメラを担いで逃げ出さねばならなかった。

「熱! 髮が焦げた!」

 計時係が一分を叫ぶ。

 既に黒煙が窓から、煙突孔から、屋根の隙間から立ち登り、火災の初期様相を呈している。温度計の記録は天井側で五〇〇度を突破。

 二分目には窓という窓から煙が猛然と吹き出し、三分目の計時がある頃には、窓から炎が吹き出していた。

 誰もが興奮していた。

 四分目には最早火の手は家屋全体に回り、窓ガラスが熔け落ち、軒下から火焰が吹き出し、五分目になる頃には、試験家屋はもうもうたる火焰噴煙に包み込まれていた。

 七分目、屋根の一部が落ちた。屋根に火が回っているのは判っていたが、これほど早くに屋根が落ちるとは、誰も想像していなかった。開いた孔からも炎が吹き出し、この時、温度計は最高値を記録していた。

 その温度、一千百度超。

 従来の、摂氏八百度という常識を超え、鉄製品の一部をも熔かす高温である。

 輻射熱を測る木板からも、煙が上がり始める。延焼が発生しつつあった。

 各観測班は計時係の声に合せて、慌ただしくスケッチや描写、写真撮影を繰り返す。中には機材トラブルも発生したが、実験の方は淡々と進行する。

 屋根が落ちると、程なくして壁も焼け落ち、柱が剝き出しになる。ここまで火災が進行すると、燃料が燃え尽きたためであろう、炎がやや收まってくる。十分目に至る頃には、試験家屋は反対側が見通せるような状態だった。

 十四分目。衆人環視の中、試験家屋が倒壊し、周囲から「おお」とも「ああ」ともない声が上がる。

「先生、もうよろしいのでは?」

「そうですね。消火をお願い致します」

 内田が実験終了を宣告し、消防による放水が始まる中、実験参加者たちは早くも議論を始める勢いであった。

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