第32話 綾の選んだ答え ~さよならツインテール4~
いつまでもタマを探して川の中を探り続ける晴人を健一が見つけたのは、それからどれぐらい時間が経った頃だろう? 健一は冷たい雨の中、川に入っている晴人の姿を見るなり川に飛び込んで晴人を冷たい水から引き摺り出した。晴人の身体は冷え切り、唇は完全に紫色に変色している。健一は晴人を背負うと急いで寮に戻って寮母室の風呂を借りた。心ここに在らずといった様子の晴人だったが、熱い湯に浸かっているうちに感情を取り戻した様で、肩を震わせながら声を殺して一人泣いた。
風呂から上がると健一の心配そうな顔。智香が声をかけたのだろう、仲間全員が寮母室に集まっていた。晴人に何か言おうとするが、誰も何と言って良いのかわからない。タマの残した手紙と、晴人が川で何かを探していたという事から想像が付いたのだろう、皆一様に神妙な顔で晴人の顔を伺っている。
「悪い、ちょっと一人にしてくれないか……」
晴人の身体は風呂で温まったが、心は冷え切ったままだった。彼は部屋に戻ると頭から布団を被り、また一人涙を零した。
その日は夕食の時間になっても晴人は学食に姿を現さなかった。健一は茶碗のご飯を手にあけると、おにぎりを作り出した。
「うーん、米粒が手に引っ付いてうまくいかねぇな」
おにぎりを握る時は手に水をつけないと上手くいかないのを彼は知らなかった様だ。もっともそれ以前の問題を綾が指摘した。
「ちょっと、健一君、手、洗ってないじゃない。そんなの晴人君に食べさせる気なの?」
建一がおにぎりを作っているのは晴人の為だとすぐに気が付いた綾は席を立ち、手を綺麗に洗うと、ご飯と塩と水を手に戻ってきた。
「海苔とか具は無いけど、せめて塩味ぐらいは付けてあげないとね」
そう言って手のひらに水と塩を付けた綾は、おにぎりを握り始めた。さすがは女の子、あっという間に塩おにぎりが三つ出来上がった。
「サンキュー、恩に着るぜ」
建一は自分が作った歪な形のおにぎりを口に入れると綾の作ったおにぎりを皿に乗せ、順子と共に男子寮へと戻った。
「晴人、気持ちはわかるが、食べないとお前の身体がもたないぞ」
建一がおにぎりを渡そうとするが、晴人は布団を頭から被ったまま動こうとしない。
「そうだぞ晴人君、せっかく綾が作ってくれたんだからな」
順子が続いて言うと、綾の名前に反応したのか晴人はのっそりと布団から顔を出した。ずっと泣いていたのだろう、目は真っ赤に腫れ、げっそりとやつれてしまっている。晴人はうわ言の様に呟いた。
「……綾が作ってくれた?」
順子は「そうだ」と答えた。そして健一が「みんなが心配している」と付け加えると、晴人は辛そうな声で妙な事を聞いて来た。
「綾が作ったおにぎりを食べる資格が俺に有ると思うか……?」
順子も建一も晴人の言っている意味がわからない。綾が晴人にと作ったおにぎりだ。晴人にそれを食べる権利が無いわけが無いのだから。だが、資格と権利とでは意味が違う。合点のいかない顔をする二人に晴人はぼそぼそと話し始めた。
「綾は、俺に好意を示し続けてくれてた。それは良くわかってる。でも、それに俺は答えられなかった。いや、答えを出さずに逃げ続けてきたんだ」
自分を責めるかの様に言う晴人。
「何故だかはわかるよな? タマだ。わかってる、アイツは人間じゃ無い。でも俺は……」
「タマが好きだったんだろ?」
晴人の言葉を建一が遮った。黙って俯く晴人の肩に手を置いて、建一は憂いを含んだ顔で笑うと言葉を続けた。
「わかってんよ。タマのヤツ、かわいい顔してたもんな。珍しいとか何とか言ってたけど、お前はあの時、タマに一目惚れしてたんだよ」
「今となっちゃどうしようも無い話だけどな」
建一の言葉に晴人は溜息を吐きながら自虐的な笑みを浮かべ、寂しげに言った。
「タマがいなくなったからって、すぐ綾に乗り換えるってのもな。だから……」
そこまで言ったところで口篭る晴人。すると建一は厳しい言葉を吐いた。
「だから、また先延ばしにするってのか?」
建一は言葉だけで無く、顔も厳しくなっていた。返す言葉も無い晴人はまた黙って俯いてしまう。すると順子が口を開いた。
「なあ晴人君、綾じゃダメなのか?」
言うまでも無いが、綾もかなりの美少女だ。こんな女の子の好意を受け入れないなんてもったいない事極まりないのだが、晴人は頑として首を縦に振らなかった。そんな晴を諭す様に建一は言った。
「なら、綾にははっきりしといてやれよ」
晴人が以前、順子に話した恋愛観は晴人の独りよがりなものでしか無い。もちろん恋愛観などというものは人それぞれであり、他人に押し付けるものでも押し付けられるものでも無い。しかし、そんな晴人の『ぬるま湯』の様な恋愛観に振り回される綾の気持ちは? 晴人が何か言おうとした時、派手な音と共にドアが開いた。
「晴人君、大丈夫? おにぎり食べた?」
由紀が騒々しく入って来た。結衣と綾も一緒だ。食事を終え、晴人の様子を見に来たのだ。しかし、手がつけられていないおにぎりが三人の目に入った。
「晴人君、ちゃんと食べなきゃダメじゃない」
結衣が言うと由紀も声を上げる。
「そうよ、せっかく綾が作ってくれたのに」
綾は何も喋らず俯いている。
「あのさ、綾……俺……」
おにぎりに手をつけないまま、晴人が綾に小声で話しかけた。顔を上げた綾の目に晴人の暗い瞳が映る。その瞬間、綾は彼の気持ちを読み取った。綾は目を伏せると意を決して言った。
「いいよ、それ以上は言わなくっても」
晴人は綾が何を言っているのかわからなかった。しかしそれに続く彼女の言葉を聞き、その意図することを理解した。
「そうすれば、友達のままでいられるんでしょ」
それは以前、順子に明かした晴人の恋愛観そのものだった。卒業まであと三ヶ月、綾もはっきりさせて友達関係を崩してしまうより、現状の仲の良い友達関係のままでいることを選んだのだ。
まさか綾に聞かれていたとは思ってもみない晴人は順子に目線を移すと、彼女は表情を変えることも無く頷いた。順子が頷いたのは『綾の言葉に従って欲しい』という意味だったのだが、晴人はそれを順子が綾に晴人の考え方を話したのだと勘違いした。
「そっか、わかった」
晴人の短い返事。本当はもっと気持ちを言葉にしたかった。しかし様々な思いが込み上げて言葉にならなかった。綾がおにぎりを食べる様に促すと晴人はおずおずとおにぎりに手を伸ばし、一口齧った。同時に彼の目から涙が溢れ、瞳の暗さを洗い流した。タマを失った喪失感は大きいが、自分にはこんなに自分を思ってくれている仲間が居るのだ。いつまでも落ち込んでいてはいけない。きっとタマもそう望んでいる筈だ。晴人は無理にではあるが、綾に笑顔を見せた。
「おにぎり、美味いぜ。ありがとな、綾」
晴人の笑顔に綾も笑顔で返すが、綾は晴人の肩がわずかに震えていたのを見逃さなかった。
「晴人君、タマちゃんが居なくなって悲しいのは私達も一緒なんだから……泣いても良いんだよ……だから……私も……泣いたって良いよね」
綾の目から大粒の涙がぼろぼろと溢れた。それを皮切りに結衣も由紀も声を出して泣き出した。建一と順子も静かに涙を流している。肩を震わせながら黙々とおにぎりを食べ続ける晴人だったが三つ全部を食べ終わる頃には涙も出尽くした様で、指に付いた米粒を舐め取るとすっきりした顔で言った。
「綾、ごっそーさん。おかげで元気が出たぜ。さあ、明日から新学期だ。豊臣学園でのラストだ。いよいよ受験も始まるし、気合入れていこうぜ!」
もちろん空元気だろうが、空元気でも無いよりはマシ。それに合わせて皆が涙を止めて笑顔を作った。タマがどこかで『頑張るにゃ!』と笑っている様な気がした。
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