第31話 冷たい川へ消えたタマ ~さよならツインテール3~
晴人は急いで上着を引っ掛けると傘も持たずに外へ飛び出した。しかし、タマがどこに居るかなどわかる筈も無い。冷たい雨の中をタマの姿を求め、ただ闇雲に走り回った。
「タマ……どこにいるんだ……」
全身ずぶ濡れになってタマの立ち寄りそうな場所を走り回っているうちに血が上った頭が少しずつ冷えてくる。
「この雨だ、雨を避けられる場所で、人目に付かない所と言えば……」
晴人の頭にイメージが湧いた。
「橋の下!」
安直なイメージだが、橋の下で段ボール箱に入って鳴いている猫の図が晴人の頭に浮かび、猫の姿がタマと重なった。
晴人は力を振り絞って川に向かって走った。とりあえず一番近い橋に行って、そこに居なければ健一に協力してもらって上流と下流の二手に分かれて探すしか無い。そこに居てくれと祈りながら走る晴人。パジャマ替わりのスエットが足に貼り付き、靴の中もぐしょぐしょで走り辛いのを我慢して、ようやく橋にたどり着いた晴人が橋の下を覗き込むと、蹲っている人影が見えた。
「タマ!」
思わず名を呼んだ晴人。その声を聞いて、蹲っていた影が顔を上げた。
「晴人君……」
タマだ。やっと見つけた。晴人は橋の上から怒った様に叫んだ。
「お前、このクソ雨の中、何やってんだ、風邪ひいちまうじゃないかよ!」
「あ~あ、見つかっちゃったにゃ……」
タマは下を向いて悲しそうに呟くと、のろのろと立ち上がり、晴人に向かって言った。
「あのね、晴人君……ネコは死ぬところを見せないんだにゃ」
いきなりタマが猫の習性を語り出した。タマは元々猫だ。そして、そのタマがいきなり姿を消した。ということは……晴人の顔から血の気が引いた。
「何だ? タマ、お前何言ってんだ?」
晴人はタマが言った意味を理解してしまったが、決してそれを認めたく無かった。何か他の言葉がタマの口から出ないかと一縷の望みをかけて言ったが、タマはそれには答えず悲しい目をして次の話を持ち出した。
「猫って、二十年生きたら猫又ににゃるって晴人君言ってたよね」
「ああ。それがタマなんだろ?」
「私、十九年しか生きてにゃいんだって……」
「え……」
「十九年……一年足りないにゃ」
猫の寿命は十五年前後と言われている。しかも、これは飼い猫の話で、野良猫の場合は五年前後と短くなる。タマが長生きできたのは奇跡的だと言っても過言ではない。
「神様がおまけしてくれたんだって」
タマは初詣の時に神社で神様の声を聞いた事を晴人に話した。タマの猫又としての生が一年間だけだと決まっていた事、そして今日がその最後の日だという事を。愕然とする晴人にタマは辛そうな声で言った。
「晴人君に私が死ぬところは見て欲しくないにゃ。だから……寮に帰って。お願いにゃ」
「んな事できるかよ! 帰ろう、みんなのところへ。お前はもう猫じゃないんだろ? なら、死ぬならみんなに看取られて……」
「ありがとう。でも、やっぱり嫌なんだにゃ。死ぬのを見られるのは……」
必死にタマを説得する晴人だったが、タマは首を横にしか振らなかった。
「ありがとう、さよならにゃ」
タマが別れの言葉を言うと、彼女の姿が消え、同時にバシャっと大きな水音が聞こえた。タマは晴人に死ぬところを見られるぐらいなら、と川に飛び込んだのだった。
「タマ!」
「来ちゃダメにゃ!」
タマの強い声に、彼女を追って橋の上から川に飛び込もうとした晴人の足が動かなくなってしまった。タマは腰まで水に浸かりながらも川の流れに逆らい、なんとか踏ん張って立っている。
「私はもう寿命が来ちゃったけど、晴人君はまだまだこれからにゃんだよ。これからもっともっと楽しい事が待ってるんにゃよ。こんなところで死んだらダメにゃ」
寂しそうに微笑むタマの足がふらついた。弱った身体が雨で増水し、早くなった川の流れに耐えられなくなってきてのだろう。晴人は必死にタマの名を呼びながら足を踏み出そうとするが、金縛りにあったかの様に足が言うことを聞いてくれない。
「タマ……戻ってこい……」
泣き顔の晴人にタマが微笑んだ様な気がした。
――すごく楽しかったよ……本当に幸せだったよ……――
タマの笑顔は水中へと消えた。濁流に弄ばれ、流されるタマは遠くなる意識の中でわずか一年の間でも晴人達と学生生活を送れたことに感謝しながらも思った。
――でも、もっと晴人君と一緒にいたかったにゃ……――
同時に金縛りが解けたかの様に足が動く様になった晴人は川へ飛び込んだ。水の高さは腰ぐらいまでだったが、人が溺れるには十分な深さだ。必死にタマが沈んだ辺りを探るが、彼女を見つける事はできなかった。下流へと捜索範囲を広げても同じこと。タマはどこまで流されてしまったのだろうか……
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