第29話 初詣で知らされた悲しい事実 ~さよならツインテール1~


 早いもので、気が付けば年の瀬を迎えようとしていた。例年なら晴人はカナダの両親のところへ行くのだが、受験という名目で日本に留まる事を両親から許された晴人は、久し振りに日本で、寮で初めて寮で年越しを迎えるのだった。

 もっとも寮生はみんな帰省してしまい、寮に居るのは晴人とタマ、そして晴人とタマを二人きりで寮に残すわけにはいかないと帰省を取りやめた智香の三人だけだった。


 智香の部屋のコタツで丸くなっているタマ。時計の針は午後十一時を回っている。


「今年もあと一時間か……」


 ぼーっとテレビを見ていた晴人がしみじみと言った。タマと出会ったのが去年の冬休みの終わりだったから、もうすぐ一年になろうとしている。この一年でタマのいろいろな顔を見て、タマと一緒に何度も笑った。あと三ヶ月ほどで晴人もタマも豊臣学園を卒業するのだが、タマは卒業後、どうするのだろうか? 教師達は成績優秀なタマが一流大学を受験するものとばかり思っているのだろうが、あの学園長でも、さすがにそこまでは手を回せないだろう。寮で智香の手伝いでもするのだろうか? 


 幸せそうな顔で寝ているタマの頬っぺたを晴人がぷにぷにすると、夢でも見ているのだろうか「ふにゃぁ~」と楽しそうな顔で笑った。


「晴人君、寝てる女の子に悪戯しちゃダメよ」


 智香がみかんを食べながら注意する。しかし、タマの寝顔を見るとにっこり笑って


「かわいい寝顔ね。晴人君が悪戯したくなるのも良く分かるわ」


 と一緒になってタマの頬っぺたを突っつく。


「タマちゃんがこの姿になって一年になるのね……」


 智香が晴人の心を見透かしたかの様に言った。


「俺達が卒業したらタマはどうなるんでしょうね?」


 晴人はさっきまで考えていた疑問を智香に尋ねてみたが、彼女にもわかる筈が無い。もしかしたら晴人達と一緒に卒業する事によってタマの『学生生活を送りたい』という願いが完結し、猫に戻るという事も考えられるというのが智香の弁だった。


 時計の針が十一時五十分を回った。


「タマ、起きろ。もうすぐ年が明けるぞ」


 晴人がタマを揺り起こす。


「一緒に新年を迎えるって張り切ってたじゃないの」


 智香が笑顔で言う。さっきまでタマの今後について難しい顔で話し合っていた事を頭から振り払うかの様に明るく振舞う二人。タマはまだ四分の三は寝ている様で、目を擦りながらふにゃふにゃ言っている。テレビでは賑やかな街でのカウントダウンの生中継が始まった。


「タマ、いよいよだぞ」


「いよいよにゃ!」


 意味がわかっているのかいないのかはともかく、晴人の声に答えるタマ。しかし、なぜ年明けというのはみんなテンションが上がるのだろう? 年が変わったからと言って何が変わるわけでも無いというのに。

 そんなバカな事を考えている間にカウントダウンは進む。そして、時計の三本の針が十二時で合わさった。


「あけましておめでとうございます」


「おめでとうございます」


「おめでとにゃ!」


 新年の挨拶を交わす三人。そして智香はタマにポチ袋を渡した。


「わ~い。ありがとう、智香さん」


「お礼なら私じゃなく、学園長にね」


「うん! 今度会ったら言うにゃ」


 初めてのお年玉に小躍りして喜ぶタマ。晴人は上着を手に立ち上がった。


「んじゃ初詣に行きますか」


「初詣?」


「ああ。年の初めに神社にお参りに行くのが日本の習わしなんだよ」


「うん、行くにゃ!」


「外は寒いから、暖かい恰好でね」


 智香は元気良く飛び出そうとするタマにダウンコートを着せ、自分もコートを羽織った。


 寮から神社までは歩いて二十分程。三人は寒さに震えながら人通りもまばらな夜の道を歩いた。川を渡る橋を越え、交差点を曲がれば神社が見える。小さな神社なので夜店こそ出ていないが、お正月ということで境内に運動会の役員席で使う様なテントが張られ、お神酒を振舞っている。一礼して鳥居をくぐるとタマは見覚えのある景色にはっとした。


「あっ、ここって……」


 タマは野良猫時代に何度も住処を転々とした末に豊臣学園に居着き、学園生だった智香と出会い、後に寮母となった智香に飼われる事になったのだが、生まれたのはこの神社の境内だった。タマの頭に母猫と過ごした子猫時代の温かい日々が蘇る。


「お母さん……私は、タマは今、凄く幸せにゃ!」


 タマは心の中で今は亡くなっているであろう母猫に語りかけると、晴人に続いて賽銭を投げ入れ、手を合わせた。


「神様……私を猫又にしてくれてありがとう。夢がかなって嬉しいにゃ」


 タマが神様にお礼を言った時、彼女の耳に声が届いた。


「なら、もう良いな?」


 驚いたタマだが、晴人と智香にはその声は聞こえていない様だ。願い事でもしているのだろうか、タマの隣で一心に手を合わせている。


「お前が生きたのは十九年。お前はあの時死ぬ筈だったのだよ」


 タマの耳にまた声が聞こえた。その声によると、去年晴人が寮に帰ってきたあの日、年老いたタマは晴人のベッドで眠っているうちに老衰で死ぬ筈だったらしい。猫又になるという二十年まであと一年だったのに。それを憐れんだ神がタマに足りなかった一年間だけ猫又としての能力を特別に与え、彼女の最後の望みを叶えようとしてくれたという事だった。そして、その日から間も無く一年。タマの猫又としての暮らしが終焉を迎えようとしているのだった。


「そんにゃ……嫌にゃ……」


 呆然と立ち尽くすタマの目から涙が溢れ出したが、目を閉じて願い事をしている晴人と智香はそれに気付かない。


――晴人君……一生懸命お祈りしてるにゃ……受験生だもんにゃ――


 タマは晴人の横顔を見ながら考えた。晴人は受験生、今月末から大学の入試が始まるのだ。こんな大事な時期に自分の事で心配をかけるわけにはいかない。

 タマは急いで涙を拭った。と、同時に願い事が終わったのだろう、晴人の目が開いた。


「タマは何をお願いしたんだ?」


 晴人の質問にタマは無理に笑顔を作って答えた。


「晴人君の受験が上手くいきますようにって。みんなが笑って暮らせますようにってお願いしたにゃ。晴人君は?」


 晴人はタマの願い事を聞いて顔を赤くしながら答えた。


「俺も一緒だ。みんなといつまでも笑って暮らせますようにってな」


 もちろん『みんな』の中にはタマも入っている。いや、タマの占める割合は非常に高い。もういっそのこと『タマと笑って暮らせますように』と言った方が正しいぐらいだったのだが、さすがにそんな恥ずかしい事は言えない晴人だった。タマはそれを聞いて寂しそうに呟いた。


「私は『人間の学生生活をしてみたい』っていう願いを叶えてもらったから、私の願いはもう叶わないかもしれないにゃ……その時はごめんにゃ」


 お参りが済んだ三人はおみくじを引きにテントに向かった。


「やったー、大吉! 待ち人来るだって……」


 年甲斐も無くはしゃぐ智香に呆れながら晴人が自分のおみくじに目をやると、同じく大吉。『待ち人来る』という一文も全く同じで、「正月だから大吉の大盤振る舞いじゃないのか?」などと勘繰ってしまったが、タマの沈んだ表情を見てそうでは無いのだと思い直した。しかし、タマの手に握られているおみくじにも大吉と書いてあるのに気付いた。


「タマ、お前も大吉じゃないか。なんでそんな顔してるんだ?」


 晴人に言われてタマは慌てて笑顔を作った。


「えっ、私変な顔してたかにゃ? ちょっと眠くなってきたからかにゃ……?」


 タマが誤魔化す様に言うと、それを受けて智香が「私も眠い」と言い出し、寮に戻って寝ることになった。来た道を戻り、寮に帰り着くと晴人は一人男子寮へと向かう。寮母室に戻ったタマと智香はそそくさと布団に入るがタマは眠れない。


 初詣になど行かなければあんな宣告を受けないで済んだのだろうか? いや、そういう問題ではあるまい。これは最初から決まっていた事なのだ。

 タマはおみくじに目を通した。「願い事 すべて叶ふ」そう書かれている文字が涙で滲んでくる。


「私の願い事はもう叶っちゃってるから、もう関係無いのかにゃ……」


 猫又となり、人間の学生生活を一年間だけとはいえ楽しむことが出来た。猫のタマとしては夢の様な体験だった。宣告によると残された時間はあと五日間。タマは涙を拭い、誓った。


――泣こうが喚こうが残された時間が延びるわけでは無い。なら、最後まで笑っていよう――











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