第16話 順子

 学園長室で晴人と学園長は対峙していた。晴人が直談判に訪れたのだ。


「学園長、お願いがあります」


「どうしたのかね?」


「タマの事なんですが」


「まあ、その話だろうな。それで?」


「俺、いや僕と健一と智香さんの三人でタマの秘密を守るのは無理があるかと」


「なんだ、いきなり根を上げちゃうんだ。君は思った程面白く無いんだな」


 がっかりした様子で学園長が言うと晴人は毅然とした態度で言葉を返した。


「そう思われても仕方ありませんが、学園長も大事な事をお見落としではありませんか?」


「見落とし? 私が?」


 学園長が話に乗ってきた。晴人にとって彼を説き伏せるチャンスが訪れたのだ。晴人は説得工作に入った。


「はい。この三人ではタマのフォローをしきれないんですよ」


「……どういう事かね?」


「このメンバーには女子の生徒がいない。という事は男女別の授業、例えば体育の時間なんかには離れたところで見ている事しか出来ない訳です」


「なるほど」


「僕のグループの女子にも協力をお願いしたいのですが、いかがなものでしょうか」


「…………」


 学園長は少し考えた後、首を縦に振った。


「良いだろう」


「ありがとうございます!」


「但し……」


 晴人が明るい顔で礼を言ったが、まだ学園長の話は終わってはいなかった。『但し』と言うからには何らかの条件が付くという事だろう。


「条件は君達と同じだからね」


『同じ条件』つまりバレたら退学。由紀に結衣、そして順子と綾を巻き込んでしまって良いものだろうか?


 晴人は悩んだ。


「少し考えさせていただけますか」


「ああ、悩め悩め。人間、悩んで大きくなるもんだ」


 学園長は楽しそうに笑った。



 学園長室を後にした晴人が部屋に戻ると健一が声をかけてくる。


「おう晴人。遅かったな、ドコ行ってたんだ?」


「ああ、学園長のトコにな」


「……そっか。で、どうだった?」


「どうだったって?」


「どうせ『タマのお目付け役に女子を加えたい』ってな事を言いに行ったんだろ?」


「な、なんでわかるんだ?」


「それぐらいわからいでか。で、どうだったんだ?」


「おっけーっちゃあ、おっけーなんだが……」


 晴人は言葉を濁したが、建一はすぐ、晴人が口篭った理由を理解した。


「バレたら退学か」


「ああ」


「どうしたもんかねぇ……」


「とりあえず、順子にでも相談するしか無いだろ」


「だな」


 本当は四人みんなに話をしたかったのだが、『バレれば退学』という高いリスクを背負わせる事になってしまう。まずはお姉さん的存在の順子に相談してから由紀と結衣と綾に話すかどうか決めようと二人は考えたのだった。


 次の日の放課後、晴人と健一は順子を呼び出した。


「私だけに話とは何があったと言うんだ? 二人して私にえっちな事しようとでも?」


 順子は最初にボケをかましてみたのだが、晴人はそれに乗って来ず、真剣な顔を崩さなかった。


「バカ言うな。マジメな話があんだよ」


「ほう……マジメな話ねぇ……タマちゃんについてかな?」


「さすがは順子。話が早いや」


「まあ、最近の君君達を見ていると大体検討は付くからな。で、タマちゃんが何か?」


 順子は『由紀と結衣と綾抜きで』と言われた時点でタマに関する話だろうと予想していた様だ。晴人は外堀から攻めるべく、順序立てて話し出した。


「タマって、猫みたいだろ」


「ああ、猫っぽいな。仕草だけでも猫っぽいのに言葉の端々に『にゃ』を使用する徹底ぶり。ある意味尊敬する」


 結衣はタマの猫っぽさを好きでそういう風に振舞っているのだと思っている。もちろんそう思うのが普通なのだが、残念ながらタマは普通では無い。晴人はゆっくりと順子に尋ねた。


「別に徹底している訳じゃ無く、それがタマの自然な姿だとすれば?」


「幼い頃からの積み重ねで身に染み付いてしまったってことかな?」


 順子の見解は、あくまで一般論でしか無い。いや、それが正しい物の見方だろう。しかしそれは相手が普通の人間であればの話。晴人は首を横に振った。


「……いや、そうじゃない」


「では、どういう事かな?」


 順子には晴人の言っている意味、言いたいことがわからない。もっともこれでわかったら驚きなのだが。


「智香さんトコの猫の名前、覚えてるよな」


「たしか、タマだったな」


 晴人の簡単な質問に軽く答える順子。おそらく女子寮でタマの事を知らない生徒はいないだろう。晴人は頷くと次の質問に移った。


「最近、見たか?」


「……そういえば見てないな」


 何か訴えている様な晴人の目を見て順子の頭には一つの考えが浮かんだ。それは口に出して言うのもはばかられる様な現実離れした話。しかし、敢えて順子はそれを口にした。


「晴人君、まさかタマちゃん、武田珠紀が猫のタマだとか言い出すんじゃないだろうな?」


「そのまさかだったら?」


 晴人が真顔で質問を質問で返した。順子はここで晴人が「んなわけ無いだろ!」と突っ込んでくるのを期待していたのだが、その期待は見事に裏切られた。


「正直期待外れだな。残念だよ、君はもっと面白い冗談を言える人間だと思っていたのに」


「いや、それがマジなんだって」


 つまらなさそうに溜息を吐く順子。すると何を思ったか、いきなり健一が身を乗り出し、事の次第を説明し始めた。


「……ってな訳だ。わかってくれたか?」


「三流ラノベでありそうな話だな。二十点ってところか。まあ、建一君にしては上出来だが、それじゃ一次選考も通らないな」


 説明を終えた健一に順子は辛辣な評価を下した。おそらく建一の説明を与太話だとしか思えないのだろう。


「うっせぇな、俺が作った話じゃ無ぇよ。紛れもない真実だ」


 そう言った建一の顔はいつもの彼の顔では無かった。建一がごく稀に見せる真剣な表情、この顔をしている時の彼に嘘は無い。さすがの順子も戸惑った。


「……晴人君、そうなのか?」


「ああ。俺が説明しようと思ってたんだが、健一にしてはなかなか上手い説明だったんで聞き入っちまった。全て真実、武田珠紀は智香さんトコの猫のタマだ」


 晴人も建一と同じく真剣な表情で言う。たとえ今日が四月一日だったとしても嘘だと疑える顔では無い。しかし事が事なだけに結も慎重にならざるを得ない。こんなファンタジーを信じろと言う方が本来どうかしているのだから。順子は考えた末に言った。


「俄には信じられないな……智香さんトコに行って確かめても良いかな?」


「ああ。もちろん」


 寮母室ではタマが一人で退屈そうにしていた。


「タマ、智香さんは?」


「お買い物に行ってるにゃ」


「そっか。じゃあちょっと待たせてもらうぜ」


「えっ、私じゃ無くって智香さんに会いにきたにゃ?」


『タマに会いに来たのでは無い』晴人の言葉に少し寂しそうなタマ。晴人はその寂しげな顔に気付かなかったのか、追い打ちをかける様にタマにとっては冷たい言葉を言ってしまう。


「ああ。大事な用があってな」


「私より智香さんの方が良いんにゃ……」


「いや、そういう事じゃないだろ」


 泣き出しそうなタマをなだめているうちに智香が買い物から帰ってきた。晴人達が来ているのに気付いた智香は穏やかに声をかけた。


「あら、三人でどうしたの?」


「あの、タマちゃんの件なんですが……」


 順子はストレートに話を切り出した。驚いた顔を向ける智香に晴人は大きく頷いた。


「学園長には相談済みです。」


 智香は晴人の『相談済』と言う言葉で順子もこの件に巻き込んでしまうのだと理解し、それだけしか言葉が出なかった。


「智香さん、本当なんですか?」


「ええ。本当よ。タマちゃんは私が飼っていた猫のタマ」


 詰め寄る順子に、智香はそれを認めるしか無かった。本来なら順子を巻き込まない為にも全てを否定し、晴人と建一に「何をバカな事を言ってるの」とでも言ってその場を収めるべきなのだろうが、最初に取ったリアクションがマズ過ぎた。あんな顔をしてしまった上に言葉に詰まってしまっては……それに順子の目。彼女の目は覚悟が決まっている目だ。そんな目で訴える順子に嘘をつく事は出来なかった。たとえ妙な事に巻き込んでしまうとしても。


 タマをまじまじと見る順子。晴人がタマに声をかける。


「タマ、耳と尻尾出して良いぞ」


 タマの頭にかわいいネコ耳が顔を出し、お尻にはの尻尾が二本フリフリしている。


「タマちゃん……コレって……」


 おそるおそるネコ耳に手を伸ばす順子。それはカチューシャなどに付けられた物では無く、しっかり頭から生えている本物のネコ耳だ。続いて彼女はお尻の尻尾に手をやろうとした。


「智香さんもそんな感じだったよな」


「そうだったわね。まあ、今でも夢なんじゃないかって思ったりするけど」


 その様子を見て晴人達が少し前の事を懐かしむ様に話す。尻尾も本当にお尻から生えていると確認した順子が口を開いた。


「タマちゃん、猫の姿にはなれないのか?」


 晴人と健一、そして智香はぽんっと膝を叩いた。


「その手があったか!」


「俺達、ネコ耳と尻尾で満足しちまってたからなぁ」


「本当。そうすれば恥ずかしい秘密なんて暴露されずに済んだのに……」


 思い思いの事を言う三人。だが、タマは小さな声で言った。


「……それはイヤだにゃ」


「えっ?」


「なんで?」


 詰め寄る晴人たちにタマは小さな声で答えた。


「また人間の姿になれにゃくなっちゃうと嫌だもん。せっかく人間の姿になれたのに……」


 今にも泣き出しそうなタマの顔。ネコ耳と尻尾を隠すぐらいなら失敗しても人間の姿は保っていられない事は無いが、猫の姿に戻ってしまえば次にまた今の姿になれる保証は無い。それが怖かったのだ。タマの目から涙が零れそうになった時、順子が明るい顔で言った。


「……わかった。信じるわ」


「順子ちゃん!」


「順子、信じてくれるのか」


「ええ。ネコ耳も尻尾も本物みたいだし、それに……」


「それに?」


「タマちゃんにそんな顔されたらね」


 タマが猫又だと知ったショックは大きいが、正体は自分も可愛がっていた猫のタマだと言うことだし、第一、猫又となったタマと既に友達になってしまっている。友達にそんな顔をして欲しくないという思いが大きかったのだ。タマは思わず順子に抱きついた。


「順子ちゃん、順子ちゃ~ん……」


 喜びのあまり順子の名を連呼しながら泣き出したタマを優しく抱きしめる順子を温かい目で見ていた晴人と建一と智香だったが、晴人がまた真剣な顔になった。


「……で、順子、ここからがお前にとって重大な話なんだが」


「何かな?」


「実はタマが猫のタマだという事は秘密なんだ」


「そりゃそうだろうな」


「だが、お前はその秘密を知ってしまった」


「知ってしまったって、君達が一方的に私にバラしたんだけどな」


「そうなんだが、それを言い出すと話が進まねぇ」


「まあいい。それで?」


「タマの秘密を守るのに協力して欲しい」


「なるほど。それで健一君が授業中に手を上げるという暴挙に出たりしてたわけか」


「ああ、そうだ。協力してくれるか?」


「協力してくれるか? って、そこまで聞かせるって事は、完全に私に協力させる気だったんだろう?」


「いや、無理にとは言わん。なんせ……」


 淡々と会話を続けていた晴人と結衣だったが、ここに来て晴人の口調が重くなる。そう、例のペナルティの事を結衣に告げなければならないのだ。


「もしバレたら退学だからな」


「そうか、バレたら退学か……って、ええっ?」


 軽く流しかけた順子だったが、流石に退学という言葉にはびっくりした様で声が裏返った。


「そう、退学。ちなみに智香さんは免職だ。もちろん、協力出来ないというのなら、それはそれでしょうがない。ただ、この事は胸にしまっておいてくれ」


 退学がかかっているのだ、無理強いは出来ない。しかし順子はあっさり答えた。





「考えるまでもないじゃないか、要はタマちゃんが普通の学園生活を送れる様にっていう学園長の考えなんだろう?」


「ああ、まあそうだな」


「半分は面白がってたけどな」


「もちろん協力するとも」


 あっさり協力する事に同意した順子に智香が心配そうに問いかける。


「順子ちゃん、本当に良いの? バレたら退学なのよ」


「ええ、大丈夫ですよ。うまくやりますから。そこの二人と違って」


「どういう意味だよ?」


 声を揃える晴人と健一に順子は少し難しい顔になって言った。


「でも、一つだけ条件がある」


 条件? まさか順子の口からそんな言葉が出るとは思いもしなかった晴人は戸惑った。順子ならイエスかノーかはっきりしていると思っていたのだから。


「条件? 順子らしく無い事を言うもんだな。まあ良いや。で、条件ってのは?」


「綾だけには秘密にしておく事」


「綾だけ?」


「そう。綾だけには」


「なんで? お前ら仲良いんじゃなかったのか?」


「女の子には色々考えというモノがあるのだよ。とにかくそれが条件だ。それが受け入れられないのならこの話は無かった事にしてもらおう。大丈夫、タマちゃんが猫だって事は聞かなかった事にしておくから」


 順子が言うと晴人は少し考えた上でその条件を飲む事にした。


「……わかった。綾にだけは秘密にすれば良いんだな」


「ああ。由紀と結衣には協力してもらっても構わないけど」


「なんで綾だけ?」


「さあ、何故だろうな?」


 晴人の疑問に複雑な笑みで答える順子。


「でも、それじゃ綾だけ除け者みたいになっちまうな」


 健一の言葉に順子の顔が一瞬曇った。


「そうだな、じゃあやっぱり私だけで良いか。それとも私だけじゃ心配かな?」


「いや、由紀に協力してもらう方が心配だわ」


 順子の言葉に健一が本音を漏らした。確かにお調子者の由紀に知らせるのは不安だ。


「それもそうだな。じゃあ順子、よろしく頼むぜ」


「承知した。だが、くれぐれも綾には……」


「ああ、わかってるよ」


「順子ちゃん、よろしくお願いしますにゃ」


「そういうこと言わないの。私達は友達なんだからな」


 めでたく順子が協力してくれる事になった。これで男女別の授業や行事もなんとかなるだろう。『考え』というのが気になるが、順子の事だから決して悪い様にはしないだろう。晴人はそう信じるしか無かった。





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