第15話 タマ、走る。そして転ぶ
二時間目が終わり、休み時間のこと。
「う~っ次は体育か……って、体育ぅ!?」
健一が声を上げた。すぐに晴人が健一の席へ飛んでくる。
「健一、どうした?」
「どうしたもこうしたもあるかよ。次、体育だぜ」
「そうだな」
「よく落ち着いていられるな。体育ったら男女別々なんだぞ。タマが何かやらかしたらフォローのしようが無ぇ」
健一の言葉を聞いて晴人は微笑んだ。
「晴人、笑ってる場合じゃ無いだろ」
「いや、すまんすまん。お前がそこまで考えてくれてると思うと嬉しくなってな」
「どういうコトだよ?」
「タマがお前の隣の席になったから授業中のフォローは頼んだが、隣に座ってないんだったらしょうがないだろ。俺がなんとかするよ」
「バカ言え。体育だって授業のうちだろうが。俺も協力するぜ」
「健一、お前ってヤツは……」
「バカ野郎、何を今さら言ってんだよ」
美しい二人の友情。だがしかし、すぐに現実に引き戻される。
「……どうしよう?」
顔を見合わす晴人と健一だが、どうしようったってどうしようもない。すると
「タマちゃん、着替え行こ」
と、由紀たちがタマを誘いに来た。タマが返事をする前に晴人はタマに耳打ちする。
「おいタマ」
「何かにゃ?」
「お前、わかってんだろうな?」
「心配しなくっても大丈夫にゃ」
「えっ?」
タマの口から心配無いという言葉。一瞬ほっとした晴人だったが、続く言葉にに打ちのめされる事になる。
「私の運動能力を見せつけてあげるにゃ」
「……いや、違うだろ。できるだけ目立たない様にしてくれ」
「え~っ、せっかくよく動ける身体ににゃったのに……つまんにゃいな」
無理も無い。おばあちゃん猫だったタマがよく動ける若い身体を手に入れたのだ。身体を動かしたくてしょうがないのだ。そんなタマを脅す様に晴人がプレッシャーをかける。
「学園に居られなくなっちまっても良いのか?」
「わかったにゃ」
それを言われたら返す言葉も無い。タマは力なく答えるしか無かった。
「よし、じゃあ行ってこい。くれぐれも目立つ様なコトすんなよ」
「……はぁい」
しょんぼりしながら着替えに行ったタマの背中をこの上なく不安な顔で晴人は見送った。
女子が体操服へ着替える時、ほとんどの学校では男子を追い出して教室で着替えるのだろうが、そこは豊臣学園。女子更衣室が設けられている。もちろん男子にはそんな上等な設備は無く、教室での着替えとなる。だからと言って『これって男女差別じゃないか?』という声が上がる訳でも無い。それどころか一部には女子に半裸を見せつける機会だと喜んで、女子の姿が見えるうちに早々と着替えようとするバカも居たりするから困ったものだ。
「おっ、タマちゃん来たね」
既に着替え始めていた女子生徒の視線がタマに集まる。制服に包まれた羨ましい程豊かな胸と細いウェストに興味津々なのだろう。そんな視線を知ってか知らずかタマはおもむろに制服の上着を脱ぎ、シャツのボタンに手をかけ、シャツを脱ぐ。ブラに収まった形の良い胸が姿を現すと一同の溜め息混じりの感嘆の声。
「にゃ、にゃにかな?」
「良いな~、タマちゃん」
「ホント、そんなに大きいのに垂れてないし」
「なんと言ってもその大きな胸と細い腰のコントラストよね~」
「そうかにゃ?重くて邪魔にゃんだけどにゃ」
「……それは持てる者にしか言えないセリフよね。私たち持たざる者には……」
もちろんタマには全く悪気は無いのだが、やはり大きな胸を持つのは憧れなのだろう、『持たざる者』達の落胆の声を受ける事になってしまう。
「そういえば、智香さんもそんにゃ事言ってたにゃ」
溜め息混じりに漏らすタマだった。
「って、そんな事言ってる場合じゃ無いよ」
「あっ、もうこんな時間!」
「ヤバいっ早く着替えないと」
お約束通りの展開に必要以上に時間を取られ、大急ぎで体操着に着替えてグラウンドに向う女子生徒たち。
「集合~」
体育教師の声で背の順番に並ぶ。
「転校生の武田は初めての体育だな」
「はいにゃ!」
「おっ、元気が良いな」
「頑張るにゃ!」
「おお、その意気だ。んじゃ、今日は寒いから持久走といこうか」
「ええ~~~~~~っ」
嫌そうな声を上げる女子。そりゃそうだろう。この寒い中を延々と走り続けなければならないのだ。かと言って暑い中延々と走り続けるのも辛い。要するに持久走なんぞどの季節にやっても辛いものでしかないのだ。誰だ、こんな鬼の様な種目を考えたヤツは? 万死に値する。
「じゃあグラウンド十周!」
体育教師の声で持久走が始まった。豊臣学園のグラウンド一周は200メートル。十周だと2キロ。時間にして十分前後の持久走だ。
男子生徒はと言うと、女子からちょっと離れた所で集まっていた。晴人はチラチラと女子の様子をうかがっている。
「女子の方チラ見ばっかりして。このムッツリスケベ」
「バッ……そんなんじゃ無ぇよ……って、なんだ淳二かよ」
「女子っていうか、タマちゃんの事見てたんだろ。大丈夫、お前だけじゃ無いから」
周囲を見回すと、淳二の言う通り、周りの連中の半数以上がチラチラとタマの事を見ている。
「まあ、あのプロポーションじゃ無理も無ぇわな」
さり気なく健一が割り込んできた。
「だが、俺はどっちかって言うと手のひらサイズって言うか、小ぶりで形の良い胸の方が好きなんだよな」
「まあ、人それぞれ好みがあるからな」
目配せしながら微乳好きをアピールする健一に晴人は話を合わせると「俺はは好きな女のなら大きさは関係無いな」と淳二が上手いこと乗ってきた。なんとか健一の助け舟のおかげでお気楽なおっぱい談義に話をすり替える事に成功、晴人がタマを心配して見ていた事はうやむやに出来たのだった。
「よ~し、お前等並べ~」
もう一人の体育教師の声で男子は男子で整列する。
「女子が持久走やってるから、とりあえず筋トレでもやっとくか。まず腕立てからな」
男子が腕立てをしている周りを女子がランニング。幸いタマの行動を見る事は出来る。体育教師の号令に合わせて腕を曲げ伸ばししながら晴人の目線はタマを追っていた。
タマは軽快に走っている。だが、時間が経つにつれタマの足どりが重くなってくる。無理も無い。ただでさえキツい持久走、見た目は若いとは言っても年老いた身体で寝てばかりいたタマの体力の消耗が激しいのは当然だ。もちろん疲れているのはタマだけでは無い。グループで最初にバテ始めたのが綾、そして結衣。スポーツ万能の順子といつも元気な由紀はまだ軽快に走っている。
「順子ちゃんも由紀ちゃんも凄いにゃ」
疲れきって離れていく綾と結衣。順子は由紀を置き去りにして先頭を走っている。タマは頑張って由紀の後ろに着いて走るが、体力はどんどん削られ思考能力も低下していく。
残り三周。フラフラ走るタマの前に由紀のポニーテールが揺れる。由紀はいつもは肩まで伸ばした髪を下ろしているのだが、体育の時は邪魔になる為ポニーテールにしていたのだ。目の前で揺れるポニーテールに狩猟本能が刺激され、タマはうずうずし出した。
「ダメダメ、あれは由紀ちゃんの髪の毛にゃんだから」
自分で自分に言い聞かせ、落ち着こうとするタマ。しかし疲れきっているタマはネコの本能を抑えきれず、手がネコパンチの動きを始め、自分の意思とはうらはらに由紀との距離がだんだん詰まってきた。腕立てが終わりスクワットをしながらタマの姿を追いかける晴人の顔が不安に歪み、いつでも走り出せる様に身構えた。
タマが背後に迫ってきたのを気配で感じたのか、由紀は少しペースを上げた。ポニーテールが大きく揺れた。その瞬間
「うにゃ!」
タマは小さな叫び声と共にポニーテールめがけて飛びかかってしまった。晴人はダッシュで駆け寄ろうとするが、間に合う訳が無い。だが晴人は走った。
由紀はタマの声に思わず振り返った。由紀の目に映ったのは襲いかかるタマ……では無かった。由紀が見たのは派手に転んだタマの姿だった。
「タマちゃん、大丈夫?」
転んだタマを心配する由紀。それに対し、駆け込んで来た晴人はと言うと転んだタマでは無く、由紀に言葉をかける。
「由紀、大丈夫か?」
由紀はきょとんとした目で晴人を見ると不思議そうな声で言った。
「晴人君、何言ってるの? 転んだのはタマちゃんでしょ」
『タマが由紀のポニーテールに襲いかかろうとした』と言う訳にもいかず晴人が困っているとタマが起き上がって
「……うん、大丈夫。ごめんね、由紀ちゃん」
しょんぼりしながら言った。
「良いのよ。別にタイム取ってた訳じゃ無いし」
「でも……」
『飛びかかっちゃって』という言葉がタマの口から出る前に
「ダメよ、無理して走っちゃ」
由紀の口から優しい言葉が出た。由紀はタマが無理して走って限界を越えてしまった為に転んだと思ったのだった。
「由紀ちゃん、優しいにゃ」
「バカ。これぐらいで何言ってるのよ。あっ、膝擦りむいてるじゃない!」
「これぐらい大丈夫にゃ」
「女の子の身体に傷が残っちゃったら大変でしょ。せんせー、保健室行ってきます」
由紀がタマの手を取り歩き出すと
「あ、俺も行くよ」
晴人も一緒に行こうとしたが、体育教師に襟首を掴まれた。
「お前はこっちだろ」
筋トレの列に戻された晴人に容赦の無い言葉が浴びせられた。
「俺の授業を抜けようなんて随分と上等じゃないか。腕立て百回追加な」
晴人は腕立て伏せをしながら思った。
――俺と健一だけじゃ無理だ。女子の協力が必要だな……――
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