第四話
そんな感じで約三週間が経った。
昼に眠り、夜に異世界製作を手伝う。そんな、とても現実からかけ離れた体験を続けた僕は、
「もう、異世界なんて夢物語な気がしてきたよ」
すっかり元に戻った白色の世界で、仰向けに倒れた僕は目を閉じて投げやり気味に言った。
幾多の地獄と理不尽と災害とその他、色々とよく分からないものを潜り抜けて出した結論がそれだった。
死ななかったのが奇跡である。
「ま、待て中也!! お前、私の二百年を無駄にする気か!?」
「むしろお前、よくもまあ二百年ももったよなあ……」
ふと、気付いた事があって、僕はぱちりと瞼を開ける。
「……ん? 待てよ? じゃあお前、一九世紀初頭から異世界製作始めたのか!?」
十九世紀初頭というと、そろそろペリーが来て幕末か、という時代である。
「お前、伊能忠敬が日本中徘徊し始めた時よりも前から作り始めたのか? スゲーなおい」
「んな訳ねーだろ!? あと、徘徊とか伊能忠敬に失礼すぎるからやめい。……これ始めたのは、そうね。二年前くらいだよ」
「は?」
どういうことだ、と咲耶姫を見る。彼女は本を手の内に顕わし、
「――この本の設定よ。この世界の時間、現実の年月に対して約百倍の速さにしたのさ」
「はあ、なるほど……?
それはつまり、
「あれ? じゃあここで百時間……四日ちょっと過ごしても、現実では一時間? なんかどこぞのメンタル&タイムの部屋みたいだな」
「ま、似たようなものだね。でも今は解除してる。そうしないとお前、百倍の速度で年取っていくぞ」
ああなるほど、確かにそれは困る。
――いや、困らないか?
「ただ、現実での夜――つまり、お前が寝ている間はこちらを昼にしている。半日ずらしているんだな。この白色の世界に昼夜の概念は無いが、作った方の異世界は現実と同じ昼夜にしてたからな」
説明をしながら、咲耶姫は空を向いてぶっ倒れている僕の横に座り、持って来た資料を読んでいる。
この荒野にも随分物が増えた気がする。
とはいっても、どれも僕の小説や異次元図鑑、専門書などだったが。
「……ねえ、中也」
ページを繰りながら、彼女はこちらを見ずに声をかけてくる。
「私は今までの二百年間で、色んな異世界を創ってきたけどさ」
「? ああ」
彼女らしくない、どこかしおらしい声だった。
思わず、紺色制服姿を見直してしまう。
「昼夜の調節からも分かる通り、私、創った異世界の時間を調整できるじゃない?」
「あ、ああ。いつもやってるな、それ」
咲耶姫は、世界にもよるが、設定した世界を創った直後ではなく四、五年ほど後にしてから僕をぶち込……投入している。
なぜなら、創った直後の世界では、当然設定どおり世界であるからだ。知りたいのは世界の推移であるため、ある程度進める必要がある。
例えば、エルフやドラゴンなど多種多様な異種族がいる中世風ファンタジー世界では、創った当初は平和なものだったが、六年も経つと全種族対抗の大戦争に発展していた。
逆に言えば、何も変化が無ければそれが成功ということなのだが。
「今まで幾つ世界を創ったかな。その中には上手くいくような世界もあったんだよ。二十年、三十年と時間を進めても平和だった世界が、ね」
「……へえ」
それは凄いが、しかし今その世界でない以上……
咲耶姫はこちらがどう予想したのかを察したのか、読んでいた専門書から顔を上げ、若干残念そうな笑顔をこちらに向ける。
「――うん。失敗した。私も興奮してね。どんどん時間を進めてみたんだ。目の前で超高速で回転してゆく、だけれどほとんど変化しない世界を見て、私は遂にやりとげたかもしれない、と思った。だけど、異世界の時間を百五十年くらい進めた時かな。急に視界が黒い雲で包まれてね。それが晴れた時には、世界はもう滅んでいた」
いやあ、流石にあの時はショックだったなあ、と笑う咲耶姫。
「…………」
「ショック過ぎて、一年くらい異世界製作をやめて寝込んだ。天岩戸もびっくりだね、ははははは」
全く笑えなかった。
彼女がどれだけ心血を注いで異世界を創ろうとしたのかは知っている。
「なんとなく、な? お前が来れば――変化があれば、何か、簡単にできるんじゃないか、って楽観的な思考があったんだけどね。うまくはいかないなぁ、やっぱ」
「……それは、」
悪かったな、と謝ろうとして、やめる。
何となく、今ここでその言葉を言う事は、彼女に対する侮辱になる気がした。
白い空を仰ぎ、僕は少女に一つの質問をする。
「なあ、神様。一つだけ訊きたい事がある」
「何?」
本当は、答えなんてなんとなく判っていた。
だが、そう、これだけはどうしても聞いておきたい。
「二百年もかけて、どうして異世界を作ろうとしてるんだ?」
二百年。
二百年、だ。
口にするのは簡単だが、神の身でもそれほど短くはないと思う。まして、その月日をだらだらと過ごすのではなく、異世界の製作にその全てを費やしている。
別に自分だけの領域を作って、現世でも眺めて悠々自適に過ごすのもアリだったはずだ。だというのに、何故。
「――やっぱ、気になるか」
だよなあ、と。
ほのかに儚い色を顔に浮かべながら咲耶姫は言った。
「そうだな……なあ中也。私は、私はな。察しの良いお前のことだからもう気付いているかもしれないが、元々は人間、なんだよ」
「…………それは……」
何となく、気が付いていた事ではあった。
「まあ、お前神様の割には人間味が強すぎるし」
「多神教はそんなものだけどね。ギリシャとか、北欧とか」
「らしいな」
神様は本から目を上げ、空を見る。
「中也、この世にはさ。いるだろう? 社会や世界……人の世そのものを相容れない人たちが、さ」
「ああ、いるな」
僕は確信をもって同意する。そういう人間は、イヤになるくらい良く知っている。
「二百年前、現実での二年前、私はそういう人達の一人を、助けようとしていたんだよ」
「……」
「もう、顔も思い出せやしないが……とにかく」
――救おうと、した。
「人の身にしては頑張ったと思うよ、本当に。でも、やっぱり所詮は人ひとりで、何もできなくて。で、失敗して、それでも何とかしようと思って――」
咲耶姫は、ふ、と手を上向きにかざし、白の本を顕現させる。彼女の神の力の源であり、彼女を神たらしめているもの。
「――そして、私は神様の力を手に入れた」
「…………」
「だけど、その頃には、もう救いたかった『誰か』はとっくに失っててさ……」
彼女はどこか自嘲気味に笑い、本を撫でている。
「なあ、中也。私はまだ未練がましく縋っているんだよ。『誰か』を救えるような世界を創ることを、ね。もう救う人を、目的をとっくに見失ってるのに」
そう言って、彼女は本を消した。
……成程。
そういう事か……。
僕が黙って納得していると、咲耶姫がこちらに苦笑を向ける。
「気づいていたんだろう、本当は。とっくの昔に昔に」
「まあ何となく。――少なくとも、誰かのために創ろうとしてるくらいは」
そしてもしかしたら目的と手段が入れ替わってるんじゃないか、とも。
「失望したか?」
「……いいや」
足を上げ、勢いを付けて一息に身を起こす。
「――協力するよ、今まで通り、な」
◇
「……全く」
少年が帰った後、神様はひとり、白の世界で息を吐いた。
「こんな、目的も半分見失って暴走している神にいつまでも付き合う馬鹿がいるとはな……」
彼が用意した、大量の資料の山に囲まれ、小説を読む。だが、彼女の意識は全く別のところにあった。
「人を、救うため」
世の中に相いれない人たちの、ひと時でもの逃げ場を、小説にあるような都合の良い『異世界』を、創る。
「ははは……」
だけれど、彼は一つ勘違いをしている。
自分は今や、そんな願いは薄れていて、もう、別の目的を持ってしまっている事。
「そういえば」
咲耶姫と自称する少女は、ふと気づいたように顔を上げた。
「――そういえば、そろそろ回数切れかな?」
彼に渡した、チケットの役割を持つメモ。あれには何となく回数制限を付けていた。確か、そろそろだった筈だが。
「どれ、中也が寝ている時にでも新しいのを持っていって――」
……いや。
と、咲耶姫は口元に小さな笑みを作った。
「あいつの部屋に乗り込んでみるか」
そしたら、どんな顔をするだろうか。
そんな事を思い、咲耶姫はゆっくりとその身を本の山に横たえた。
◇
咲耶姫が病室にやってきたのは、昼過ぎの午後二時ごろだった。
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