第七章 バラード──Ballade


 翌朝鍋島が出勤すると、署の玄関ロビーで芹沢の出迎えを受けた。

「ちょっと話がある」

「なんやいきなり。刑事課うえででけへん話なんか」

「できねえからここで待ってたんだ」

 そう言って芹沢はロビーの隅っこの長椅子に鍋島を誘った。

 面倒臭そうに長椅子に座った鍋島を見下ろして、芹沢は立ったまま言った。

「──今日の事情聴取、俺は島崎さんと組ませてくれ」

「あぁ、その話か」と鍋島は頷いた。「要するに、一条と一緒にはやりにくいってことなんやろ」

 鍋島にはすべての事情が飲み込めていたのだ。

「……分かってくれてるんなら、話は早ぇ」

「ま、俺も、けしかけるようなこと言うたかなって反省もあるし」

 鍋島は笑って言った。

「おまえに乗せられたって言うつもりはねえよ」芹沢も笑った。

「話はそれだけか」

「もうひとつ。おまえと彼女は娘の方を頼むよ。俺と主任でおばちゃんの方を受け持つから」

「せやな。あの娘、一条には素直に喋るやろしな」

「いや、そういうことじゃなくて……彼女、おばちゃんに対する恐怖心がまだ全然抜けてねえみたいなんだ」

 そう言うと芹沢は鍋島の隣に腰を下ろした。「……ゆうべ、何度もうなされてた」

「そうか」

「そんな状態なのに、みすみす面と向かわせることもねえだろ。いくらおばちゃんが逮捕直後にコロッと態度を変えて猫みてえにおとなしくなったとは言っても、事実殺されかけたんだからな」

 芹沢の言葉に、鍋島は真顔で頷いた。

 芹沢は鍋島に振り返った。

「トラウマなんてもんを一度しょいこんじまったら、そっから先がどれだけ厄介かってこと、おまえも俺も骨身に染みて分かってるだろ」

「……ああ」鍋島は自分の足下を見つめた。

「主任には俺から言っとく」

「分かった」

 そう言うと鍋島は立ち上がり、芹沢に振り返ることなく先に階段へと向かった。


 刑事部屋に着くなり、鍋島は今度は一条に呼び止められた。

「鍋島くん」

「あ、おはようございます」

 鍋島の改まった挨拶を訝しがりながらも、一条は間仕切り戸の彼のところまで来ると言った。

「……ちょっといいかしら」

 そう言うと一条は鍋島を向かいの会議室に誘おうとした。

「あの、警部」

 一条は振り返った。

「今日は俺と組みたいって話なら、それでいいですよ」

「……え?」一条は眉を寄せた。

「そうなんでしょ?」

「……そうだけど」

 一条はますます困惑した表情になった。「……鍋島くん、あなたもしかして──」

「ああ、必要のないことは言わない」と鍋島は一条の言葉を制した。「俺と警部で、丸山美登利の話を聞く。今日はそういうことで。ね」

「……分かったわ」

 一条は事情を察し、ほっとしたように頷いた。


 そして、二つの部屋で同時に取り調べが始まった。

 事前の打ち合わせ通り、三件の殺人を計画した首謀者の丸山美登利は鍋島と一条が担当し、殺人の実行犯でもある辻悦子つじえつこの取り調べには芹沢と島崎が当たった。

「──何もかも、親父のせいや」

 美登利は吐き捨てた。制服姿で、椅子に背を預けてふてくされて腕を組んでいる。昨日までの明るく素直な彼女からは想像もできない豹変ぶりで、少年課に補導されてくる不良少女と同じような冷めた目をしていた。

「どう言うことや、説明してみ」

 壁にもたれている鍋島が言った。

「健を見殺しにしたから」

「あなたと飯田健はどう言う関係?」一条が訊いた。

「恋人同士」

「恋人って……」鍋島が言って、思わず笑みを漏らした。

「何が可笑しいんよ」

「ああ、悪かった」鍋島はちらりと一条を見た。「いつから?」

「あたし、去年の春休みから親父の店を手伝うてたんや。店、あんまり儲かってなくて、スタッフを雇われへんようになったし。健は店の常連やったんや」

 美登利は頭の良さが顔に出ているせいか、大人っぽく見えないこともなかった。それに近頃の子供は発育がいい。化粧をして、流行りの洋服でも着れば、十七、八歳には見えそうだった。

「親父が健を強盗に誘たんや。去年の九月頃、あたしが健とつき合ってるって知った親父は、言うことを聞かんとあたしとのつき合いは認めへん、中学生とつき合うなんて条例違反やぞって脅して。健はちょっと気の弱いとこがあったし、親父の言うがままに会社を辞めて横浜についていくことにしたんよ」

「それは、強盗の片棒を担がされるって分かってて?」

「もちろんよ。親父は行く前からそのつもりやったわ。他にも、健と同じように店の常連で、長いこと横浜の大きな宝石店に勤めてて二年ほど前に大阪に戻ってきた工藤達彦と、親父の麻雀仲間の藤川っていうおっさんを仲間に入れて」

「きみはいつの段階でそれを知ったんや?」

「最初から知ってた。親父らが店の奥でひそひそ話してるの、いつも表で聞いてたし」

「……まさか、お母さんも?」

「知るわけないやん。あんな、男に頼って生きるしか能のない人が聞いたら、それこそ慌てまくって仕事の邪魔やと親父も思たんやろ。内緒にしとけって、あたしもくどいほど言われてた」

「親父らはいつ横浜へ?」

「この前オフクロも言うてたやろ、去年の十一月や。めぼしい宝石店を見つけて、入念に下見するのに半年は時間が掛かるって言うてた。そやし決行は六月になったんやろ」

「──で、きみの犯行についてやけど」鍋島は言った。「飯田健が死んだと知ったのはいつや?」

「……健は、最後まで怯えてたんよ。あたしの親父の命令やから聞くけど、ほんまはこんなことしとうないって──それで、大阪を発つ前の夜にあたしに言うたの。犯行の日が決まったら連絡するけど、その日から一日経っても自分からの連絡がなかったり、捕まったっていう報道もされへんかったら、自分の身に何かあったと思ってくれって。そして、そのときにはある人に連絡してほしいんやって」

「それが辻悦子ね」

「そうよ」と美登利は頷いた。


 隣の取調室では、その辻悦子が涙ながらの供述を続けていた。

「──健ちゃんは、あの子が施設にいる頃からずっと知ってたんです」

 悦子は言った。「私の勤める博物館が施設の近くで、よう職員さんに連れられて来てましたから。特に恐竜が大好きやったみたいで、中学生になってからも毎日のように」

「あなたと知り合ったのはその頃ですか」芹沢が訊いた。

「確か──小学五年生の頃やったと思います。実は私もその頃、女手一つで育てた息子を病気で亡くしたものですから……健ちゃんとだぶってしもて。健ちゃんも私に知らないなりにも母親のイメージを重ねてたんでしょう。よく懐いてくれました。学校が休みの時は、二人でお弁当を持って出かけたりして──親子のまねごとをしてるうち、本当の息子のように思えてきたんです。就職して初めてのお給料で財布をプレゼントしてくれたときは、自分が育てたわけでもないのに、涙が止まりませんでした。優しい子でした」

「彼が死んだと知ったのはいつ?」

「強盗事件のあった二日後です。勤め先に連絡が入って……女の子の声でした」

「丸山美登利か」島崎が穏やかに言った。

「ええ。健ちゃんとつき合うてたって言うて──健ちゃんからも、そんな女の子がいるってこと、ちらっと聞いたことがあったんです。就職してすぐ、アパートの近所に行きつけの喫茶店ができて、そこの娘さんと知り合うたって」

「それで、美登利は何と言うてきた?」

「横浜に行った健ちゃんからの連絡が途絶えたって。それで、もしかしたら死んだかも知れんって。私はそれはもう、びっくりしました。健ちゃんがしばらく横浜へ行ってるのは知ってましたが、てっきり仕事やと思てましたから。それで、彼女とはその翌日に会う約束をしました。そのときです。彼女からすべての話を聞かされたのは」

 そう言って悦子はまた涙を流した。三人の女性を惨殺し、一条まで狙った大女には似つかわしくない、さめざめとした泣き方だった。


「──あの三人に、あたしやオバサンと同じ思いをさせてやろうと思たのよ」

 美登利が言った。「二人でさんざん泣いたあとで、迷わずそう思いついた」

「どうやって、三人の女性を捜し当てたの?」一条は訊いた。

「意外と簡単やったわ」美登利は得意げだった。「藤川には十九年前に別れた女との間に子供がいて、その娘が藤川を探し出して逢いたいって言うてきたんやって、あのおっさんは横浜に行く前にあたしに言うてきた。『美登利ちゃん、ワシの娘、大学目指して受験生やってるんやで。あんたみたいに賢い子になったんや』って。それで、横浜での仕事がうまく行ったら逢う約束したんやって。そのときは店も暇やったし、あたしは藤川の相手をしてその娘の話聞いてやった。まさかそれがあとでこんなことに役に立つとは思てへんかったけど。名前は山蔭留美子って言うて、そのときは高校三年やった。で、あたし思い出したの。確か夏の府内のバドミントン大会で準優勝した学校のキャプテンやった生徒と同じ名前やったって。ほら、あたしもバドミントンやってるから、高校の試合もよく見に行ってたし。それで犯行のとき、高校へ行って卒業アルバムで進路先を調べたのよ。同じバドミントンをやってる無垢な中学生が、おたくの高校に憧れの選手やった人がいて、その人の進路先が知りたいって言うたら、教頭先生は喜んで教えてくれたわ」

「そこから大学へ行って調べたのね」

「ううん、オバサンが仕事の関係で六甲女子大の人を知ってて、その人のルートから名簿を手に入れてくれたわ。それであたしがまずは彼女の家を何日か見張って、彼女と母親の生活パターンを把握した。母親が夜の仕事をしてるのを知って、今度は学校が早く終わった昼間に家を訪ねた。何しろ、あとで通話記録を調べられる可能性のある電話は使えへんかったからね」

「どういう話をしたの?」

「『あたしの父と藤川さんが仕事仲間で、藤川さんが父を通して留美子さんに逢いたいって言うてきた』って」

「彼女はあなたのことをすぐに信じたの?」

 美登利は頷いた。「藤川から聞いてた、小さい頃の彼女に関する情報を話したら、どれも心当たりがあったみたいよ」

「それで早く会いたいって言ったのね」

「向こうも自分の母親には内緒にしたかったみたいで、バイトのあとでこっそり逢いたいって言うたわ。こっちにしたらその方が都合が良かった」

「でも、どうやってあの時間まで引き留めたんや?」

「彼女とバイト先のデパートの前で待ち合わせをして、それからキタの東通りの居酒屋でたっぷり飲ませた。もちろん、あたしはソフトドリンクしか飲んでないからね。彼女、自分の父親に初めて逢うってんで、ちょっと興奮してたみたいね。あたしが『景気づけに』って勧めたら、『そうよね』ってどんどんジョッキを空けた。それで一時半頃まであちこち連れ歩いて、彼女が相当酔っ払ってしもてから、オバサンと待ち合わせたところへ連れて行って彼女を引き渡した。オバサンは自分を藤川の現在の妻と名乗って、藤川のいる場所へ案内すると彼女を騙して、それであそこへ連れて行ったのよ。彼女が帰宅途中に通り魔に襲われたように装うために」

 いっちょまえに役割分担か、と鍋島は思った。

「そんな時間まで、きみもよう外出できたな。オフクロさんは?」

「あの日は職場の偉いさんの家族が亡くなって、泊まり込みで葬儀の手伝いに行ってた。そうでなかったら、もっと早くにオバサンと交代するつもりやったわ」

「西端千鶴のときは?」

「あれは偶然やった」美登利はすぐに答えた。「土曜日の放課後、塾へ行くまでの時間潰し……ううん、ほんまは翌日の山蔭留美子の計画の最終下見に、梅田へ出かけた。そこで偶然、達彦を見かけたのよ。やっぱり自分らだけおめおめと戻ってきてるんやと思った。そのときには健の身元が判明したってニュースも流れてたし。それを考えると腹が立って、いつの間にかあいつを尾けてたわ。そしたらあいつ、カレーハウスに入って女と親しそうに話してるんや。あたしは、山蔭留美子が済んだら次はこの女やと思った」

「後日、彼女を呼びだしたのもあなたなの?」

「ううん、オバサンよ。あたしは学校があったから、オバサンが近いうちに一人でやるって」

 そう言うと美登利は苦笑した。「白昼堂々、あのオバサンもようやるよね」


「……カレーハウスに行って、彼女に耳打ちしたんです」

 悦子は言った。「そのペンダントは実は盗品やから、お昼休みに南天満みなみてんま公園に来てくれたら高く買うって」

 盗品には違いないが、千鶴もどうしてそんな話に簡単に乗ってしまうのだろうと芹沢には理解できなかった。そんな品なら警察に届けやしないか。いや、頼まれてもいない正義感を出して身内を裏切るより、買うと言ってきた人間に高く売った方がよほど得をするというものだ。特別悪質な人間でなくても、そのくらいのことは普通に考えるものなのかも知れない。

「彼女に『逆恨みもええとこやわ』って叫ばれたときにはひやっとしました。でも、誰かが気づいてトイレに入ってくるようなことはありませんでした。あそこはそういう場所だと、目星をつけていたとおりでした。それで私は犯行のあと、血の付いたレインコートとブーツを脱いでトイレを出ました。それは後日、博物館の焼却炉で燃やしました」

 芹沢は頷いた。血さえ付いていなけりゃ、普通のオバサンだ。

「あんた、被害者の足に必ず深い傷をつけておくけど、あれは何か意味があるんか?」島崎が訊いた。「それともあんな儀式的な痕跡を残して、いかにも猟奇的な殺人鬼の仕業に見せかけようとしたんか?」

「あたしの足と同じようにしてやろうと思ったんです」

「え?」

「二十歳のとき、暴漢に襲われて傷つけられました」

 悦子は机を見つめたまま言った。「何なら、あとでお見せします」

「……いや、ええ。な」

 島崎はいやなことを訊いてしまったという感じで眉をひそめた。


「──田中耀子のことは以前から知ってたの?」一条は訊いた。

「知ってたも何も、あの女はまるで遠慮なしやったもの」

 美登利は怒りを露わにしていった。「オフクロでさえ知ってたんやから」

「強盗のことは?」

「あの女が知ってたかってこと? うん、そうみたいよ。あたしが彼女を呼び出そうと電話したとき、『お父さんがしくじったの?』って訊いてきたから。それであたし、咄嗟に『うん、今こっちに逃げてきてて、あんたにだけ逢いたいって言うてるから、大阪港に来て欲しい』って言うた。そしたらあの女、『あら、ええわよ』やて。あたしは今に見てろって思った。あたしとオフクロから親父を奪ったくせに、勝利者気取りなんやもん。あんな親父やけど、オフクロはほんまに頼りにしてたのよ」

「で、耀子は港に来たってわけか」と鍋島。

「殺されたってことは、そういうことよ。何しろあたしは山蔭留美子を連れ回したとき以外は夜は家を出られへんかったし、全部オバサンに任せたから。あたしはもっぱら誘い出し専門やったというわけ」

「……昨日わたしを狙ったのも、計画的だったのね」

「そうよ。この前あんたらがうちに来て護衛の話をして帰ったあと、すぐにオバサンと連絡を取った。あんたがあたしと間違えられて殺されたら、きっとあんたらは警察はこれ以上あたしを護衛したところで犯人が近づいてくることはないと考えるやろうと思ったから」

「でも、わたしと芹沢刑事の二人だと、ちょっと無理だとは思わなかったの?」

「そう、そこが大変やったわ」美登利は小さく笑った。「あたし、あんたに言うたでしょ? あんたら二人がずいぶん仲がいいって。そう言うたら、きっと意識してつい二人が離れるんやないかと思たのよ。刑事っていつも二人で動くって聞いてたし、まさかあんなに簡単にあんたが一人になるなんて思わへんかったわ」

「恐れ入ったわ」と一条は溜め息をついた。「でも、言っとくけどあのとき彼が車を離れたのは偶然よ」

「そうなん」

 美登利はそんなことはどっちでもいいと言いたげな顔で一条を見た。

「──あの刑事、軽口ばっかり叩いて見かけ倒しの能無しかと思たけど、最後の最後で抜かりのないとこ見せてくれたわ。もうちょっとであんたを殺れたのに」

 とんでもない女や、と鍋島は思った。もはや美登利を子供として見ることができなくなっていた。

「残念だったわね。わたしもそうそう見くびられてばかりじゃいられないから」

 一条は腕組みをしたまま美登利を睨みつけた。

 美登利はペロっと舌を出して肩をすくめると、今度は挑戦的な眼差しで一条を見て言った。

「そう言えばあのオバサン、柔道経験者らしいね。昔、そうとは知らない変態に襲われて、逆にその変態を殺しちゃったんやて?」

「正当防衛よ」一条はぴしゃりと言った。「しかも、直接の死因はその変態の持病である心臓疾患によるものよ」

「どっちでもええわ、そんなこと。とにかく今回はその時の経験を生かしてくれたんやし、ありがたかったわ。おかげであたしは直接手を下さずに済んだし、未成年やから大した罪にはならへんでしょ?」

 そう言うと美登利は楽しそうに笑った。「ラッキー。あたしの勝ちやわ」

 虫酸が走るとはこのことだと、一条は目の前の悪魔を見据えながら思った。




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