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「──で、その目撃者は何て?」
西日の射し込む刑事部屋で、植田課長はハンカチで額の汗を拭いながら、前に立っている鍋島に訊いた。
「目撃者ではないんです」と鍋島は答えた。「ただ、被害者らしき人物の声を聞いたとだけ」
「ああ、そうか。で、何て言うてたって?」
「若い女の声で、『逆恨みもええとこやわ』って」
「確かに、西端千鶴が殺されたとされる時間にそのトイレから聞こえてきたんか?」
「ええ、そのおばちゃん──証言者のことですが──毎日同じ時刻に犬の散歩で公園に来るそうです。昨日、あのトイレの前を通りかかったのもいつもと同じ十一時頃やったって」
「逆恨みか」と課長は俯いた。「西端千鶴が言うたってことやな」
「だと思います」
「彼女が、直接誰かに恨みを買うようなことをしたわけではないということか」
「はっきりとは分かりませんが、その言葉が真実だとすればそういうことでしょうね。 でも、どっちにしろこれでただの通り魔殺人ではないってことがはっきりしました」
「そうやな」
そのとき、一条と芹沢が部屋に入ってきた。そしてそのまま早足に鍋島たちのところへやって来た。
「どうやった」と課長は訊いた。
「例のペンダントは、やはり直接ある人物からプレゼントとして受け取ったそうです」
「ある人物って?」と鍋島が訊いた。
「正体は分からねえ。けど、宝石強盗と考えていいだろうな」
鍋島にそう答えると、芹沢は課長に向き直った。「先週の土曜に西端千鶴を訪ねてきたそうです」
「先週の土曜というと、盗まれた宝石が大阪で見つかったのと同じ日やな。例の、蓉美堂に現れたのと同じ人物か?」
「いえ、別の人間です。ウェイトレスにモンタージュの作成に協力してもらいました」
一条が答え、課長の前にモンタージュ写真を差し出した。
「若いな」写真を見て課長は言った。「犯人グループは四人やそうや。そのうちの一人は犯行直後に仲間にひき殺された。残りは三人、そのうちの二人がこれで分かったわけや」
「この男が犯人グループの一人だとすればですけどね」
「もう、大阪を出てるんと違うか」
「でも、通り魔殺人との関係を否定しきれない以上、まだこの街にいる可能性はあると思うんですけど」一条が言った。
「あ、そや。西端千鶴は殺される前に、相手に向かって『逆恨みや』って言うてたらしいんや」鍋島が芹沢と一条に言った。
「本当か、それ?」
「ああ。半日聞き込んで、今日の成果はそれだけ」
「じゃ、やっぱり通り魔殺人じゃなかったわけだ」
「なあ、こういう推理はどうや。このモンタージュの二人が残りの一人と何らかの理由で仲間割れをして、その残りの一人が西端千鶴を殺したんや。つまり、西端千鶴とこの若い方の男は恋人同士か何かで、彼女はそれで逆恨みされた」課長が言った。
「確かに、ペンダントももらってるし」と一条は呟いた。「でも、それじゃ先に殺された山蔭留美子の方はどうなるんです? 母親に会ってきましたけど、盗まれた宝石もなかったし、強盗との関連も見当たりませんでしたよ」
「そうか、そっちがあったか」
「二件の殺人は同一犯と見てまず間違いないしな」鍋島が言った。
「この推理には無理があるか……」と課長は溜め息をついた。
「でも、宝石強盗を単独事件として捜査するのは効率がいいとは言えないかも知れませんよ。手を広げるのは本部との兼ね合いで面倒やけど、関連があると考えられる以上、うちの人間だけでも合同でやるしかないでしょう」
「よし。係長と島崎が戻り次第、その線で打ち合わせをやろう。捜査本部の方には、引き続いてワシの方から話をつけとく」
「そのことなんですが、捜一には話を通してあるんですか」
芹沢が少し声を低くして言い、鍋島と一条も興味深げに課長を見つめた。
「強盗との関連か?」
「ええ」
「まさか。言うわけないやろ」
「課長……」芹沢はちょっと呆れたように溜め息をついた。
「あいつらに邪魔されるわけにはいかん」課長は強く言って三人を見回した。「ええから、しばらく待機しとけ」
三人はそれぞれに頷き、その場を立ち去った。芹沢はコーヒーを入れに行き、鍋島はデスクに戻った。一条はきびきびとした態度で連続殺人の捜査資料が積み上げられたデスクへと向かった。
「──昼間おまえのところに来た客、誰だったんだ」
湯気の立ったカップを持って席に着いた芹沢が、鍋島に訊いてきた。
「真澄の見合い相手」鍋島は答えた。
「真澄って──誰だっけ」
「麗子の従妹」
「ああ、京都のお嬢さんのことか……へえ」
芹沢はにやりと笑った。「で、おまえに何の話だって?」
「真澄に今でも好きな男がいて、それが俺やないかって」
「まさかおまえ、そうだって白状したんじゃねえだろうな」
「言うかよ、そんなこと」と鍋島は即答した。「とことん否定した。完全否認や」
「だよな。その男、それを理由にお嬢さんに断られたってのか?」
「いや、結婚するらしい」
「だったら今さら何が言いてえんだ。お嬢さんに忘れられねえ男がいて、それをおまえに何とかしてもらいたいとでも言うのか」
「それ以前に、気になってしゃあなかったみたいや。それだけ真澄に惚れてるんやろ」
「惚れてるか。なるほどねえ」
芹沢はちょっと白けたように笑ってこめかみを掻いた。「でも、それがおまえだってよく分かったな」
「──真澄が、麗子に何かと俺のことを訊くそうや。そのくせ、麗子は答えたがらへんらしい。それで麗子に確かめたら、気になるんやったら本人に会うて訊いてみろって言うたらしい」
「おまえの彼女がそう言ったのか? その男に」
「ああ」
「……三上サンらしいな」と芹沢は苦笑いした。
「おまえもそう思うか」
「何となくな」
「実際、そんなことなんにも知らんかったんや。まいったで」
「三上サンも気が気じゃなかったろうぜ。おまえ、ちゃんとフォローしといてやれよ」
「あいつがそんな女やと思うか? 真澄の心配することはあっても、俺の心配してるとこなんか見たことないわ」
鍋島は笑いながら言った。
「そう言うけど、結構デリケートなんじゃねえのか」
「まさか」
そう言った瞬間、鍋島ははっとした。そしてこの前、夜中に麗子が自分を訪ねてきたときのことを思い出した。
そう言えば、あのとき麗子は自分に何か言いたくてアパートの部屋の前でずっと待っていたようだった。結局彼女は何も話さなかったが、今から思うと少し様子がおかしかったような気もする。
「──おい、どうしたよ」
鍋島は顔を上げた。「──いや、別に」
芹沢はカップを抱えたままデスクに肘を突き、鍋島を一瞥すると言った。
「十年来の親友だか何だか知らねえが、いつまでも友達扱いしてんじゃねえぞ。自分の女にした以上、きっちりそういう扱いしてやるのがルールってもんだろ。じゃないと女なんて生き物はすぐに不安になっちまって、よその男に相談に乗ってもらうのなんて言いながら、気がつきゃそっちとデキちまってるってのがオチだぜ」
「……分かってるよ」
鍋島はぼんやりと言った。
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