カレーハウス『プチ・デリー』は五方向に広がる地下街のほぼ中心部にあった。十坪ほどの店内は昼食時を過ぎてそろそろ客足が途絶え始め、カウンター席に二、三人の客が残っている他はすべて空席で、次の客を待ってきちんとテーブルセッティングされていた。

 芹沢と一条警部の二人は厨房の奥にある従業員の控え室で、三人のウェイトレスと一人のコックを前に話を訊いていた。昨日のうちに芹沢が頼んでおいたとおり、店長が従業員の全員を呼び出しておいてくれたのだ。

 ウェイトレスの一人は学生のアルバイトだった。あとの二人はフリーターで、ほとんど毎日この店で働いていた。昨日出勤していたのは学生とフリーターの一人、コック、そして西端千鶴の四人だった。

「──それで、西端さんは何時にお昼の休憩に入ったの?」

 一条が学生に訊いた。

「十一時頃だったと思います。いつも十二時少し前頃から忙しくなるんで、その前にまず一人が休憩にはいることになってますから」

「休憩の間に、誰かと約束があるようなこと言ってなかった?」

「さあ、特に聞いてませんけど──」

「あなた知らない?」

 学生の言葉を全部聞き終わらないうちに、一条はその隣に座った若いコックに振り向いて訊いた。

「知りません」コックはむっとした表情で答えた。

「じゃあ、彼女が休憩に入る前に来たお客の中で、彼女と話していた人物はいなかった? オーダーを取る以上に長い話を」

「そんなに気にして見てなかったのもあるけど……なかったと思います」

 そう、と一条は溜め息をついた。そこで今度は芹沢が訊いた。

「特に昨日だけのことじゃなくてもいいんです。最近、西端さんに誰か新しい知り合いや友達ができたとかいうような話をお聞きになったことはありませんか? そう──横浜あたりから来た人物と」

「さあねえ……」

 コックは呟くと、三人のウェイトレスに振り返った。「自分ら、知ってる?」

「──あ、そう言えば」学生が他の二人を見て言った。「一週間ほど前、西端さんに会いに男の人が来たね」

「あ、そうそう」

 無造作な感じのショート・ヘアーを明るい茶色に染めたウェイトレスが頷いた。

 一条はバッグから天満の宝石店に問屋を装って現れた男のモンタージュ写真を取り出し、彼女に見せた。

「それ、この男じゃない?」

「ううん、ぜんぜん違う」

 残りの化粧っ気のないウェイトレスが言った。「もっと若かった」

「詳しく説明していただけませんか? どんな男で、何と言ってきたか」と芹沢。

「一週間ほど前。確か……土曜日でした」学生が言った。

「えっと──二十二、三歳。西端さんと会う約束してるからって言うて。夕方近かったと思います」茶髪が受ける。

「ああ、思い出した」とコックが口を挟んだ。「でも千鶴ちゃんは確かその男のこと、最近ミナミで知り合うたようなこと言うてたけどな。横浜の男なんて言うてなかったけど」

「そう。それにその人、関西弁やったし」

「何か特徴を覚えてらっしゃいませんか?」

「あんまり背は高くなかった。中肉中背。あ、前髪のあたりだけが金髪で──顔はサングラス掛けてたから、よく分かりません」

 手帳にメモを取りながら芹沢は訊いた。「それで、その男と西端さんはどうしました?」

「店の奥のテーブルで、三十分近く話してたかな」

「でも、あたしには最近知り合った相手って感じには見えへんかったけど」学生が言った。

「と言うと?」

「すごく喜んで、親しそうにしてました。何て言うか──久しぶりに会ったって感じ」

「そういや、高そうなペンダントもらってたもんね」

 芹沢と一条は素早く目を合わせた。そして一条がバッグからもう一枚写真を取り出すと、ウェイトレスたちに見せた。「これだった?」

「あ、そう、これやわ」と茶髪が頷いた。「千鶴ちゃん、あれから毎日着けてたもんね。よっぽど気に入ってたんと違う?」

「その日以降、その男はここに現れましたか? 電話とかでもいいんです」

「いいえ、あれっきりでした」と薄化粧が首を振った。

「昨日にしても、何も言うてなかったし」とコックが言った。「ただ、昼休みに入るあたりからちょっと元気がなかったから、具合でも悪くなってそのまま早退したんやと思ってました」

 あたしらも、と昨日出勤していたウェイトレスが口々に言った。

「そうですか」

 芹沢は溜め息混じりに頷いた。山蔭留美子の場合にしろ今度の場合にしろ、若い連中のバイト先での人間関係は実にあっさりしたものだなと思った。自分の学生時代には、良くも悪くもバイト先の繋がりはこんなに希薄ではなかったように思う。自分の場合はそれが煩わしかったものだ。僅か五年ほどの間に、バイトもただのビジネスになってしまったらしい。


 それから二人はウェイトレスの二人を連れ、署へ戻って西端千鶴を訪ねてきたという男のモンタージュ写真を作成した。そして彼女たちを再びカレーハウスまで送り届けたあと、今度は山蔭母娘のマンションへ向かった。母親に会って留美子の所持していたアクセサリー類を見せてもらうためだ。

 車の助手席で腕組みしながら、一条は芹沢に言った。

「あの女の子たち、わたしにはまるで素っ気ないけど、あなたにはずいぶん愛想良かったわね」

「そうだっけな」

「まあ、あなたイケメンだものね」

「お世辞は要らねえよ」

 芹沢は前を見たまま、つっけんどんに言った。一条は肩をすくめた。

「──こっちの女の子の中には、標準語を話す男に弱いのもいるんだよ。そのくせ、標準語の女は嫌いなんだ」

 そう言うと芹沢は一条を見た。「特におたくみたいに高飛車なのはな」

「悪かったわね。それにしても、露骨だったわ」

「俺にはあんたの偉そうな態度の方が露骨に思えるけど」

「偉そうなって──」

「そういう態度は署の中だけにしといた方がいいぜ」芹沢は言うとすぐに首を傾げた。「いや、これからも現場でやって行くつもりなら、むしろ署の中だけではやめとくんだな」

 一条は納得できないとでも言うように首を振り、窓の外を見た。

「──騒がしい街ね。横浜や東京とは違う騒がしさ──そう、ここは人間が騒がしいのよ」

「この街の連中は、飾るのが嫌いなんだ。みんな本音しか認めねえ。相手に対しても自分に対しても、気持ちを剥き出しにするんだよ。そりゃあストレートだぜ」芹沢は愉しそうに言った。

「あなたはそれに合わせられるのね」

「最初は抵抗あったさ」と芹沢は苦笑した。「……今でもあるかな」

「あなたはどうして大阪に? 学校が関西だったの?」

「いや、東京」そう言うと芹沢は一条に振り返った。「おたくは? 東大法学部ってやつか」

「そうよ」

「……やっぱり。そりゃそうだよな」

 芹沢は前に向き直りながら独り言のように呟くと、思わず溜め息をついた。

「それが何か?」

「いいや、別に」

「あなたの話よ。大学は東京で──出身はどこなの?」

「福岡」

「関東じゃないのね」

「悪いかよ」と芹沢は一条を一瞥した。「尋問はそれくらいにしてもらえますか、警部」

「……分かったわよ」

 そう言うと一条も短い溜め息を吐いた。


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