「──ほんま、けったクソ悪い女や。俺はああいうのが一番むかつくんや」

 車の助手席で煙草を吹かしながら、鍋島は苛立った声で吐き捨てた。

「おまえだけじゃねえ、俺だって相当頭に来てるさ。あんな女と一緒にやらされる島崎さんと係長が気の毒だ」

「何やおまえ、顔が可愛かったらそれで充分やて言うてたんと違うんか」

「あそこまで生意気だったら、もっと可愛くなきゃ納得できねえよ」

「よう解らんな、おまえの基準は」

「何が解らねえんだよ。こっちの事件だってそうだろう。殺られた女の子、結構いい線行ってたじゃねえか。それがあんなに無惨に殺されるなんて、かなり性格が悪かったとしか考えられねえよ」

「本気で言うてるんか、そんなこと」と鍋島は笑った。

「冗談に決まってるだろ」と芹沢は投げやりに言った。「気分が悪りぃんだよ」

「やろうな。顔が可愛いから性格が悪いなんて、ブスで僻みっぽい女子高生の考え方や」

「はは……ん、おまえ、自分の女が超のつく美人だから、そんなこと気にしてるんだろ」

「そんなこと──」

「心配しなくても、おまえの彼女は性格良さそうじゃないか。ちょっと気は強そうだけど」

「……もうええ」と鍋島は煙草を消した。


 昨夜の遺体確認の時、山蔭留美子の母親は娘の変わり果てた姿を見て愕然とし、そのあと半狂乱になり、最後は放心状態となってしまった。

 近郊に身内は誰もいないらしく、鍋島と芹沢が母親を署からマンションに連れて帰り、答えうる限りの簡単な質問をして引き揚げるときも、娘を殺されたその哀れな母親を気遣って訪ねてくるものは一人もいなかった。


 そして今、二人はもう一度母娘のマンションを訪ねることを命じられた。留美子の遺体は今日の昼過ぎに自宅に戻されており、今頃通夜の準備で忙しいかと思われたが、捜査本部も事件解決には最初の二十四時間から三十六時間がもっとも大切な勝負時だと考えていたので、迷惑なのを承知で話を聞くことにしたのだ。そして、それには昨日最初に母親の応対に当たった刑事の方が彼女の心が少しでも和らぐだろうと、鍋島と芹沢の二人を差し向けたのだった。

 時刻はあと十五分ほどで四時になるところで、夕方のラッシュ前で車はそれほど混んではいなかったが、マンションのそばまで来ると周辺の道路は違法駐車の車両で溢れていた。芹沢は署に戻ったら真っ先に交通課に言ってこの付近一帯を残らず取り締まらせると息巻いて迂回し、少し離れたところに車を停めてマンションまで歩いた。

 マンションの三階の部屋は朝とは様子ががらりと変わり、今夜七時から近くの会館で行われる通夜の準備を手伝いに来た近所の知人や葬儀屋たちでごった返していた。二人が玄関に現れたとき、ちょうど前の廊下を通り掛かった葬儀屋の社員が足を止めた。

「はい、何か?」

 銀縁の眼鏡を掛けた社員は、極めて冷静な口調で言った。

「お忙しいところを申し訳ありません。西天満署刑事課の者ですが」

 鍋島は警察バッジを広げて言った。

「ああ、警察の方」

 社員は軽く頷き、部屋の奥に振り返りながら言った。

「……奥さんにご用ですね?」

「ええ。こんな時にご迷惑だとは思うんですが、良ければお話を伺いたいんです」

「ちょっとお待ちください」社員は廊下を奥へと引っ込んだ。

 二人は黙って玄関に立っていた。時折前を横切る喪服姿の知人たちは、二人を見て怪訝そうな表情になったり、逆に丁寧に頭を下げたりして通り過ぎていった。

「──あの、すいません」

 廊下の奥から出てきたのは、さっきの社員でも母親でもなく、被害者と同じ年頃で、黒いミニ丈のワンピースを着たノー・メイクの背の高い少女だった。

「はい?」と鍋島は顔を上げた。

「あの、お母様は今、ちょっと伏せっておられて……こんなときですし、お話はご遠慮いただきたいと──」

 少女は申し訳なさそうに言って二人を見た。

「そうですか……」

 鍋島は芹沢に振り返った。こう言うとき、つい情にほだされて押しが弱くなってしまうのを彼は自分でもよく分かっていた。だからいつも冷静な芹沢に判断を仰ごうとしてしまうのだ。

 そんな鍋島の気持ちを知ってか知らずか、やはり芹沢は落ち着きを含んだ声で言った。

「失礼ですが、ご親戚の方か何かですか?」

「いえ、留美子ちゃんの同級生です」

「じゃあ少しお話を伺いたいんですが。お手間は取らせませんから」

「え、はい──」

 少女は周囲を見渡すと、再び二人に向き直った。「それじゃ、私はもう帰りますから、外で」

「お願いします」


 マンションを出た三人は、少女が地下鉄の駅へ行くと言うので南に向かって歩き出した。

「──一度家へ帰ってから、他のお友達と一緒にお通夜へ来るつもりなんです」

 少女は俯いたまま言った。

「留美子さんとは仲が良かったんですか?」鍋島が訊いた。

「ええ。実は受験の時に席が隣同士で──受かるといいねって話してたら、運良く二人とも合格して。クラスも一緒になったし。それからずっと仲良くしてました」

「昨日は彼女にお会いになりましたか?」

「いいえ、会ってません。日曜でしたから」

「じゃあ彼女が昨日バイトでどこのデパートに行ってたかは知らない?」

 と今度は芹沢。

「土曜に電話で話したとき、ミナミへ行くって。でもデパートの名前までは」

 と少女は首を振った。

「──心斎橋しんさいばし大丸だいまるか、難波なんば高島屋たかしまやか」鍋島が呟いた。

「バイトって、何のバイト?」

「日曜とかに時々、デパートのおもちゃ売場でイベントやってるでしょう。あれです。あれでいろんなデパートへ行くんです」

「ってことは、メーカーかイベント会社に雇われてるってこと?」

「ええ、メーカーです」

 少女は頷き、少しだけ明るい眼差しになって言った。「次の質問はこうでしょう?『そのメーカーの名前は分かりますか?』──違いますか?」

「ええ、そう」

「それはよく覚えてるんです。『ラ・コルーニャ』っていう会社です。高級レストランみたいでお洒落でしょって、留美子ちゃんが言うてたから」

「外資系かな」

「さあ、どうかな。でもゲームソフトとかそんなんじゃなくて、縫いぐるみの会社みたいでした」

 そう言うと少女は哀しい顔をして首を振った。「こんなことになるんやったら、昨日のこともっと詳しく聞いとけば良かった……」

「きみが責任を感じることはないよ」

「ただ、デパートの閉店時間はたいていどこも八時か九時やろ。それから後かたづけをして帰っても、そんな遅くにはならへんはずや」

 玩具メーカーの名前を手帳に書き込みながら、鍋島は言って芹沢に振り返った。

「バイト仲間と飲み会にでも行ったんかな」

「デートってのも考えられる」

「彼女、つきあってた男性はいましたか?」

「いなかったと思うけど……」

「遊びは派手な方だった?」

「いいえ、全然」少女はきっぱりと言った。「彼女、生まれてすぐにお父さんを亡くして、それからずっとお母さんと二人暮らしやったそうです。親戚とかとも縁が薄くて、二人きりで一生懸命生きて来たんやて言うてました。せやから大学に入ったからって他のコみたいに派手に遊んだり、彼氏作ったりって、 そんな浮き足だったことに夢中になるタイプと違いました。ケータイかて、大学入ってバイトも始めたからお母さんとの連絡用に持つようになったって」

 鍋島は得意げな顔で芹沢に振り返った。「ほらみろ。やっぱりおまえの基準はおかしいんや」

「……だから冗談だって言ったろ」

「何ですか?」と少女は怪訝そうに二人を見た。

「いえ、こっちの話」と鍋島は小さく笑った。「そしたら、彼女が誰かにつけ回されてるなんてことを聞いたことはありませんでしたか? つけ回されてるとまでは行かなくても、その気のない相手に言い寄られてるとか」

「さあ。聞いたことありませんし、そういうこともなかったと思います」

「そうですか」

「あの、すいません、私はここで」

 地下鉄の入口の前で少女は立ち止まり、二人に向き直った。

「あ、どうぞ。どうもありがとう」

「失礼します」

 少女はぺこりと頭を下げると、二人に背を向けて階段を軽い足取りで下りていった。

 残された二人は少女の姿が階段を左に折れて見えなくなるまで、入口に立ったまま見送った。


「一応信用できそうだな」

 来た道を戻りながら芹沢が言った。

「ああ。嘘ついたって母親に裏を取ったらバレることやからな。今のところ、そうする理由があるようにも感じられへんし」

「だったら怨恨の線は薄いってことか」

「断定するにはまだ早いけど、自分から恨みを買うようなコではないみたいやな」

「ストーカーの事実がない場合は、通り魔ってことか」

「それにしたって、何であんな時間にあんなとこ歩いてたんやろ。地下鉄かてとうに終わってる時間や」

「あの時刻に現場近辺で女の子を降ろしたってタクシーがないか照会したけど、それもなしだって捜一の班長が言ってたな」

「どっかから歩いてきたんかな」

「一人でか?」

「まさか。夜中の一時とか二時や。おまえやないけど、それこそ殺されたって文句は言えへんぞ」

「やっぱり誰かと一緒だったってことか」

「その誰かってのが犯人や」

 鍋島は煙草を咥えながら言った。「若い女の身体にナイフを突き刺す感触がたまらなく気持ちええっていう変態野郎」

「思いがけずヤバいことに巻き込まれたのかも知れないぜ」

「ああ、それもあるかな」と鍋島は頷いた。「けど、それやったら何らかの形で助けを求めようとした形跡が残っててもおかしないぞ。ケータイかて持ってたんやし」

「そういや、ケータイの分析は終わったのか」

「そろそろやろ。どうせ戻ったら会議で、そこでその分析結果をもとに一つ一つの可能性を確認していくって仕事が割り当てられるんや、俺ら所轄には」鍋島は煙を吐いた。「地味な仕事やで」

「係長たちのことを考えてみろよ。あっちよりマシだぜ」

「……そうやったな」鍋島は思い出したように顔をしかめた。

「──あの、すいません──! 刑事さん!」

 後ろから声を掛けられて二人が振り返ると、地下鉄の入口から飛び出したさっきの少女が、こちらに向かって駆けてくるところだった。

「あれ、どうしたの?」

 芹沢が微かな笑みを浮かべて言い、二人は少女に向かって舗道を戻りだした。

 少女は二人の前まで来ると、肩を大きく上下に揺らして荒い呼吸をした。

「あ、あ、あの、あたし──」

「落ち着いて。何か言い忘れたことでもあった?」

「はい、思い出したことがあったんです。それを言いに──」

「どんなこと?」

「留美子ちゃん、電話で言うてたんです。あたし、何のことか意味が分からへんかったから適当に聞き流して──それですぐにその話が終わってしもたんです」

「彼女は何て言うてた?」

「──『もうすぐ、逢いたいと思てた人に逢えるねん』って」

「誰のことか分かる?」

「いつ逢うって?」

 少女は首を振った。「それは分かりません。ただそう言うてただけで……あたしが曖昧な返事をしたから、それきりでした」

 期待の大きさに比べて話の内容があまりにも漠然としたものだったので、鍋島と芹沢は大きく息を吐き、顔を見合わせた。しかし少女が不安げな眼差しで自分たちを見つめているのに気づくと、取り繕うように咳払いをしたり肩をすくめたりした。

「ありがとう。とにかくお母さんに訊いてみるよ」

「すいません、かえって余計なことを」

「そんなことないって。あ、そうだきみ、まだ名前聞いてなかったよね?」

中山なかやまです。中山万里子まりこです」

「中山さん。他にまた思い出したことがあったらいつでも連絡してきてよ」

 そう言うと芹沢はジャケットの胸ポケットから刑事課の電話番号が刷られた自分の名刺を取り出して万里子に渡し、にっこりと笑いかけた。

 こういうときの彼の笑顔は効果絶大だった。鍋島は今さら芹沢の恵まれた容姿を羨ましいとは思わなかったし、彼が仕事で見せる笑顔はかなり高い確率で中味のないうわべだけのものだと知ってもいたが、それでもときどき、いったいこの爽やかさは何なんだと、その完璧なまでの清々しさに嫉妬することがあった。

 少女もやっと笑顔になった。そしてもう一度深く頭を下げたあと、振り返って駅へと戻っていった。

「──関係あると思うか、今の話」

 少女の背中を見ながら、鍋島が言った。

「さあな。あんまりこだわらねえ方がいいと思うけど」

 芹沢は投げやりに答えた。さっきの笑顔はもう消えていた。


 それから二人は車に戻り、番号案内で万里子の教えてくれた『ラ・コルーニャ』という玩具メーカーの電話番号を調べて問い合わせた。しかし応対に出てきた人事部の社員は、学生アルバイトの担当者が今日は研修で一日ホテルに缶詰になっており、六時半頃にならないと戻らないのでその時間に掛け直して欲しいと返答してきた。芹沢はこれが殺人事件の捜査で、急いで知りたいことがあるのでできれば研修の行われているホテルを教えてもらえないかと食い下がったが、社員は冷たく、

「──申し訳ありませんが、そういう事情でしたらなおさらお電話ではお答えしかねます」

 と言い張って譲らなかった。きちんとした手続きを踏んで出向いてくるなり、それなりの筋を通せと言いたいのだろう。二人は諦めて一旦署に戻ることにした。五時から捜査会議が開かれることになっていたのだ。

 予測していたとおりの会議のあと、二人は船場せんばにある『ラ・コルーニャ』を訪ねた。六時半をまわっていたし、夕方の電話が伝わってもいたらしく、研修から戻っていた担当社員は刑事たちの来るのを待ってくれていたようだった。その社員──彼らと同じ年頃の女性だった──は、日曜は難波の高島屋でイベントがあり、デパートの閉店後一時間ほどで仕事が終わったあと、アルバイトの学生たちはその場で報酬をもらって九時には全員帰っていったと証言した。山蔭留美子もその中の一人だったが、そのあと彼女がすぐに帰途についたのか、それとも他の誰かと一緒にどこかへ行ったのか、まるで分からないということだった。

 そして留美子以外のアルバイトの学生たちの名前と連絡先が知りたいというこちらの要求をあらかじめ予測していたのか、彼女はすでにリストを手許に用意していた。おかげで二人はすぐにその三人に電話を掛けることができた。一人は旅行へ出掛けていて捕まらなかったが、残りの二人は今から一時間後に会社の入っているビルの一階にある喫茶店に来て欲しいという彼らの頼みを聞き入れてくれた。

 しかし、時間通りにやって来た二人はともに留美子とはバイトが終わった直後にデパートの前で別れたと言い、彼女がそれからどうしたのかは知らないと言った。

 結局、何も分からなかったのだ。

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