6章

フェンスの向こう側、茶髪をなびかせて太陽はゆっくりと俺を振り返った。

「それが、あたしの幸せだとしたら?」


真っ白だったワークが黒くなり、最後のページが赤くなったのは5時を回ったころだった。

「終わっ…たぁ〜〜!!」

俺が言うのと同時に滝沢は立ち上がって荷物をまとめ始めた。

「じゃあ、ごめんね。私もう行かなきゃ。」

「おう、ギリギリまで悪かったな。」

「ううん、お疲れ様!…太陽、明日ちゃんと寝坊せずに来るんだよ!?」

「ん〜?…ん〜」

太陽は机に突っ伏して半分夢の中にいた。

滝沢は苦笑いすると俺に手を振って図書室を出て行った。

「…ふぅ。」

窓から夕暮れがさしこみ、あんなにうるさかったセミも聴こえなくなって図書室はだいぶ過ごしやすくなっていた。

嬉しいはずなのに何故かひどく寂しく感じた。


夏が、終わる──。


「寂しい?」

太陽が、机に突っ伏したまま聞いた。

「…起きてんなら帰ろうや。」

「あたしは寂しいなぁ。」

太陽の顔は見えない。

今、どんな顔をしている?

今、どんなことを考えている?

沈黙が続く中、太陽の頭を眺めるしかなかった。

ただの気まぐれだった。

「…何やったん?」

「なにが?」

「ちゃんと考えてあるってゆーてたやろ。」

突然、太陽はバッと顔を上げた。

「…覚えてて…くれたんや!!」

今まで見たことのない晴れやかなその笑顔に心臓が跳ね上がった。

「お、おう…。まぁ、一応…?」

太陽は丸い瞳をいっそう丸く優しげに光らせて俺を見つめた。

「行こう。」


風に包まれた屋上へ出ると赤い太陽が沈んでいくのが見えた。

「…お前、これまずいやろ。」

基本的に屋上は生徒立ち入り禁止の上、きっちりと施錠がしてある。数々の生徒が壊そうとしても出来なかったものを太陽の馬鹿力でバキャッと音を立てて開いたのは驚異的ですらあった。

「ええやん。最後の夏の最後の悪ノリ。」

赤い太陽は眩しそうに言った。

「…最後、じゃないやろ。」

「…なんで。」

「また一緒の夏を過ごそうや。」

笑って言うつもりが少し声が震えてしまい空を見上げた。

──その時、フェンスが軋む音がした。

「…え。」

太陽の後ろ姿がフェンスの向こう側にあった。

「お、お前それはさすがにやめとけ!危ないやろ!」

まるで聞こえていないのか太陽はゆらゆらと揺れた。


「危ない?何が?」


それが酷く冷めた太陽の声だと気づくのに少し時間がかかった。

「…あ、危ないやろ。落ちたら…どうすんねん…。」

必死に出した声はかすれて風の音にかき消されそうだった。

「それが、あたしの幸せだとしたら?」

──誰なんだ、こいつは。

こちらを見ようとしない揺れる茶髪。

その背中を見て何を言っても無駄だと察した。

こいつは死ぬ。

状況は全く分からないがそれだけは分かった。

「…いつからそんなこと考えとったん。」

「中3になってからやなー。」

相変わらずこちらを見ずに太陽は淡々と話した。

「あたしなぁ、何にもなりたくないねん。

人間って望んで産まれたわけでもないのによくもまぁ生き方なんて探せるよなぁって思い始めたんがきっかけやった。」


低く、重く、でも明るい声だった。


「んで、気づいてん。あたしがなりたいのは中学生やった。大人になって色んなことを知ってまうんなら自分の人生は自分で決めろと言うんならあたしの人生はここ。中学生のまま、ここで、終わりにしようって。」


その時、気がついた。

こいつは、変わったんだ。

それは今この瞬間だったような、もっと前だったような、どちらにせよ目の前に居るのは俺の知らない太陽だ。


「…やめろ。」

考える前に口が動いていた。

「…お腹がすいたって言う人にはじゃあ、ご飯食べていいよって言うやろ。それが優しさやろ。それが優しさやっていうんやったら。」

太陽はやっと俺の方を振り向いた。

やっと太陽の顔が見えるとホッとしかけた俺は愕然とした。


「死にたいって言う人には、頑張ったねって言ってあげるべきやろ?」


太陽は笑っていた。




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