白色の5分間

千羽稲穂

その白色は幽霊に見える。

 扉は重かった。

 中に入ると、木漏れ日が部屋に浸され、幽霊のような白く薄いカーテンがゆらめき、彼女にひらひらと扇いでいた。

 彼女はベットから起き上がってこちらを見つめてくる。安心して笑みをこぼしそうな、そんな何とも言えない表情だ。

 僕はそばにある椅子を引きよせ、彼女の前に座る。彼女は濡羽色の髪を一本一本指ですく。ちらちらと周囲を見回す。僕を見て、つばを飲んだ。


「今日は君に伝えなきゃいけないことがあって来たんだ」


 僕はあらかじめ決めていたレールをなぞる。

 昨夜からずっと考えてきたんだ、と。

 淡々、と。

 な、なに?

 無垢な彼女の瞳が潤む。窓から差し込む温かな日差しを肌で感じる。これからの門出を祝っているかのようだ。

「別れよう」

 彼女の目がくるくると回り出して、すぐに彼女はいろんなことをぶつけてきた。

 なんで? どうして? 私は嫌。あなたと別れたくない。何か悪いことした? 私、治すよ。あなたのためなら。

 どんなことを言ったって、僕の意思は揺るがなかった。だって、これは決まった事柄なんだから。僕は彼女のどんな有様を見ても何度だって言える。

「好きじゃなくなったんだ」

 口の端が苦かった。

 彼女は口を曲げ、悔しそうに俯く。黙った彼女の髪は垂れ下がり、簾が下がったようだった。僕はその表情を覗くことはせず立ち上がり、彼女に背を向けた。






 僕は思い出す。

「別れよう」

 そこは喫茶店だった。

 彼女がくるくると目に渦を浮かばせて、僕を見つめてくる。吐き出す言葉はどれも僕に未練を抱いているのが分かった。でも、僕はゆるがない。なかなか言うことを聞かない彼女に呆れ果てて、僕は俯く彼女の表情を見ず、立ち上がり席を後にした。


 ここで大きなブレーキ音。


 振り返る。

 彼女は車のテールライトに吸い込まれていった。喫茶店に大きな金属の塊が乱入する。


 そして彼女は白い部屋の中。





 彼女がベッドの上で倒れる音がした。

 僕は反射的に振り返る。

 彼女はベッドにぐったりと死んだように倒れていた。白色にまみれた彼女は棺の中におさめられたよう。彼女はそうして白に彩られ出棺される、かと思った。が、しかし、むくり、と生き返る。


 別れの5分前の亡霊の姿で。


 この病室に来た時と同じような表情を浮かべ、髪を一本一本指で丁寧にすく。突然喫茶店から白い柵の中にいるのだ。不安でたまらないのだろう。ちらちらと周囲を観察している。その中にいる僕を見つけると澄んだ声音で僕の名前を呼んだ。彼女は潤んだ瞳で縋るのだ。そんな僕はまた告げてしまう。


「今日は君に伝えなきゃいけないことがあって来たんだ」


 薄い幽霊みたいなカーテンが彼女に寄り添っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白色の5分間 千羽稲穂 @inaho_rice

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ