第2話 佐久間と私

「青く見えるんだ」

 佐久間は私にだけ、そう告白した。本当かどうかは知らなかったが、佐久間には視界全体が青みがかって見えるという特性があった。知り合って間もないうちからそんなことを聞かされたものだから、てっきり誰にでも言っているのだろうと思ってしまったが、話を聞けば私にだけ言ってくれていたらしい。中学高校と同じ学校に通っている間、何度か奴のノートを見せてもらったことがあったが、なるほど教師の指摘したアンダーラインの色とはどれもがちぐはぐだった。そのくせ、自前のボールペンなどには色を記したラベルを貼るなりの工夫もしていなかったので、最初私は、それは佐久間の虚言なのではないかと思っていた。


「なぜ青い鳥なんて探すんだろうな」

 佐久間が私に聞いてきたことがある。私が「幸せの象徴としての表現でしょう?」と答えると、

「じゃあ俺は毎朝幸せ者だな」

 と笑った。私と奴にしかわからないジョークで、私は秘密を共有していることに少しだけ喜びを感じていた。

「青いバラは奇跡の象徴でもあるようだけれど」

 と告げると、

「じゃあ俺は奇跡の体現者だな」

 とも言って、私たちは大いに笑いあった。

 いつだって私たちが語り合うのは学校の屋上だった。高校では屋上が閉鎖されていたが、佐久間はどこからか鍵を手に入れてきて、ひとまず私たちの語らいの場は確保された。私たちは部活もしないで、放課後の赤く染まる空の下で飽きもせず語り合った。

「この景色も、おまえには赤く見えるんだろ」

 ふと思い出すかのように、奴は私に時々こんなことを話した。

「佐久間には青く見えるの?」

「うん、そうかもしれん」

「なにそれ」

「いや、わからんもんよ、人間の目って」

「自分にはわかるでしょう?」

「お前と俺で見えているものが違うなら、自信がなくなってくるよ」

「……」


 佐久間は色彩感覚以外は、言ってしまえば平凡な男だった。しかしその言葉にはやはり独特のものがあった。いつか夢の話をしたとき、

「夢の中でも青色なの?」

 と聞くと、ハッとした顔になり、

「もしかしたら、あれがセピア色ってもんなのか!」

 と私に詰め寄ったりもした。私が、たぶん、と答えると、

「そっかぁー、お前と同じものを見れる日もあるかもしれんなー」

 などと言って満面の笑みを向けてくるのだった。私はぽかんとしてしまったが、それ以来眠る前に奴の笑顔がちらついて眠れなくなってしまったので、佐久間がそのときのことを夢で思い出したなら、奴の企みは成功したことになるのだろう。


 ある日、私は教室で固まったことがあった。クラスメイトと談笑する佐久間の背後に立った瞬間、何を思ったのか私は固まってしまった。昼休みの教室では、あるものは忙しそうに動き回り、あるものは友人と会話を楽しんでいる。そんな中、たった一点のアクセントを加えるかのように私は微動だにしなかった。図書委員のアンケートの催促をしに席を立っただけの私にとってこれは意外な身体反応だった。

 佐久間の背中が視界の中心にうつった。彼はこちらに気づかず友人と話を続けている。

 私は一歩前に出て、佐久間の背面にぴたりとついた。身体が陰になって、佐久間が話をしている友人からは来栖の様子が伺えない。私はそっと姿勢を落とし、膝を曲げた。私の膝は佐久間の、ちょうど腿の上にあたり、佐久間は「おぉっ!」と声を上げて姿勢を崩した。そのまま後ろに傾く重心を、私は早めに両手で支えた。制服のシャツ越しに、私は引き締まった身体のラインを感じた。

「えっ、えっ、なんだよおい」

 佐久間は体勢を整えると、振り返って私に呼びかけてきた。佐久間の胸元を見つめていた私は、ゆっくりと顔を上げると、上目づかいのままニヤリと笑みを浮かべた。先ほどまで佐久間と会話していた友人が笑いをかみ殺している。もしかしたら私の接近を知っていてなお黙っていたのかもしれない。私はそのままそっと佐久間の脇を抜けると、教室を出た。口元から笑みが消えない。私は廊下を歩きながらじっと両手を見つめ、ゆっくりと胸にあてた。私なりの、精いっぱいの仕返しだったのだろう。私は当時のそのエピソードをそう、解釈している。


 正直に言うならば、当時の私は佐久間の奴に惚れてしまっていたのだろう。私は一度、意を決して奴をテーマパークに誘ったことがあった。高校二年の夏だ。佐久間は快くオーケーしてくれた。

 年頃の男女が、いつだって寄り添うように学校生活を送っていれば誰からともなく噂にするものだ。でも中学でも高校でも、私は奴にちゃんと触れたことはなかった。私の周りで女友達たちが、どこどこのだれだれと寝ただの、だれだれとかれかれが付き合ってだの別れてだの、話をしている輪にも入れなかった。私は究極、佐久間さえいればよかった。びっくりするほど純真だった。

 私も男勝りなところがあって、最初は女友達といて、どちらかというと男友達と連んでいる方が気楽だった。そうすると次第に女友達は離れていき、男友達はやたらと近づいてきて、男友達からも距離をとろうとしたら、結果として身近には佐久間しかいなくなった。

 最初こそ佐久間との二人きりを心地よく思っていた私だが、ふと意識し始めると奴の姿はかなりの頻度で私の目を捉えた。たとえ佐久間が男友達と話している時、私に気づいていない時でさえ、私は奴のことを目で追うようになっていた。私の心は高揚してしまい、もうどうすればいいのかわからなくなった。屋上での語らいの時間が至福になるどころか、気まずいような、勝手にぎくしゃくとした時間に感じるようになってしまった。

 テーマパークに誘ったのは、そんな自分の心に問い直すためだった。テーマパークの乗り物に乗っている時も、昼食を食べているときも、ずっと奴を見ていた。ほかのものには目もくれず、ずっと佐久間という男を見ていた。

 噴水を見て、奴は私に語りかけた。

「水って何色なんだろうっていつも思うんだ」

「どうして?」

「誰に聞いても曖昧な答えだからさ」

「あなたには何色に見えるの?」

「青に決まってるじゃないか」

「だったら青なんじゃない」

「じゃあキリスト教徒はみんな真っ青なんだな」

「きっとね」

 結果わかったことは、私が実に嫉妬深い人間で、佐久間の奴が好きで好きで仕方がないということだった。

 佐久間が時折、すれ違う女性に目をやったりして、そのたびに私は、学校で佐久間が女生徒と会話している時に感じる、何か熱いものを強烈に感じるのだ。そして思い返せば、それはたとえ佐久間の会話相手が男であっても感じる者だった。現に私は、佐久間がテーマパークの乗り物や着ぐるみに目をやっている時にすら、その情熱を感じるのだ。

 私は、初めて嫉妬というものを自覚した。

 テーマパークの終演、私は帰ろうとする佐久間の服の裾をつまんで制止し、自分の好意を伝えた。佐久間は私の右手とうつむく顔を交互に見て、はは、と笑った。私は恥ずかしさで蒸発してしまいそうな気分だった。

「俺もお前のこと、好きだよ」

 奴の言葉で胸が張り裂けそうなほど高鳴る。

「でも、もうちょっと待ってくれ」

「俺にはお前が青く見えるんだ」

「お前だけでも青くなくなったら……」

「がんばるよ」

 それ以来、私と奴は今まで通りの付き合いをしながら、しかし私だけどこか一歩近づいたような、寸止めを食らったような関係になった。

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