第3話

 モザイク模様を描く景色が闇に奪われてしまう前に、わたしたちは見晴らしのいい岩場を見つけ、そこで野営することにいたしました。

 白髪の狩人いわく夜が明けてから再び山をのぼり、かつて竜を見たという天頂付近を目指すとのことです。

 秋から冬へと変わりゆく山では乾燥した葉や枝に困ることはなく、狩人は慣れた手つきで獣避けの焚き火を用意いたします。


「竜を探すというなら、まずは山の気を内に取りいれなければならぬ」


 狩人はそう言ってパチパチと爆ぜる火の中に、採れたての山の幸をくべていきます。

 岩場に向かう道すがら彼に指図され、名も知らぬ実や茸を集めさせられたのですが……それはただの夕食というだけでなく、今回の目的を果たすために必要なものだったようです。

 やがて彼は火のとおった山の幸を木の枝に刺し、わたしに手渡しました。


「わかりやすく言うなら、フユゴモリのようになれということだ。お前からすればあの獣は相当に臭かろうが、山のものたちからすればお前のほうが臭い。とりわけ香りの強い木の実や茸を選んでおいたから、これを食えば多少はましになるだろう」

「つまり今後はわたしも、あの異様な体臭を放つことになるわけですね……。しかしこれを食べたあと、フユゴモリのように山の気にあてられてしまわないのですか?」

「この程度なら心配はいらぬ。むしろ多少はあてられておいたほうが、都合はよいとも言えるがな。山に受けいれられたのならば、俺たちもまた、山を受けいれなければならない」


 白髪の狩人をそう言って山の幸の串焼きにかじりつきます。

 わたしも彼にならって口をつけますと、なんともいえない苦みが広がって、思わず吐きだしそうになってしまいました。

 その様子をニヤニヤと眺めながら、狩人は言いました。 


「竜狩りとはかくも過酷なものだな。宮廷育ちのお嬢さんとあっては、なおのことに」

「わたしは淑女である前に騎士ですよ、狩人。いかなる試練にも耐えてみせましょう」

「野鼠がまき散らした糞の味がする茸を食し、異様な体臭を放って険しい山をゆく。そうして存在するかどうかもわからぬ竜を探すのだ。不毛な道を進むことが騎士であるというなら、なるほど、王に剣を捧げるというのもうなずける」


 闇に浮かぶ火に照らされて、狩人の白髭もほのかに赤く染まりつつありました。

 彼は翡翠色に澄んだ瞳でわたしを見つめると、山そのもののように問うてきます。 


「お前はなぜ、騎士になる道を選んだ。女であれば、ほかに生き方もあっただろうに」

「……憧れたからです。父の背中に」

「しかし望まれていたのは、剣を持つことではなかったはずだ。気位の高い男のもとへ嫁ぎ、よき妻、よき母となる。それこそがお前の父が思い描いていた、娘の幸福なのではないか」


 突きつけられた問いに、わたしはなにも答えることができませんでした。

 これほどハッキリと言葉にされたわけではありませんが、あのとき騎士の道に進むことをお認めにならなかった父の嘆きは、まさに今、狩人が告げたとおりのものでしょう。


「さては父に認められたいがための、竜狩りでもあるわけか。だとすれば、これほど回りくどい道もあるまい。パンを得るために、水車を作ろうとするようなものだ」

「ならば、ほかにどうすればいいのです。あなたの言うとおり、女の身で騎士になるためには、屈強な男ですら数日で根をあげてしまうほどの厳しい修練を乗り越え、不断の覚悟をもって数多の戦果を重ねなければなりませんでした。しかしわたしは道ゆく民の罵詈雑言も、貴族たちの冷笑も、格式と伝統を重んじる王都評議会の規定ですらも、心の剣でもって打ち破り、ハン=シイこそが王都の騎士の象徴だと――筆頭騎士であると認めさせたのです」


 ただ、父を除いては。

 興奮のあまり息が詰まり、その言葉は口から出てきませんでした。

 しかし狩人には伝わったのでしょう。


「万事がうまく進み、竜の角を得たとして……それでも認められなかったとき、お前はどうするのだ。筆頭騎士となっても首を縦に振らぬ父であれば、ありえる話ではないか」


 白髪の狩人はそこで、食べ終わったばかりの串で頭上を指します。

 そしていつもの皮肉めいた調子で、


「それとも今度は、夜空に浮かぶ星でも集めてくるつもりか。お前が憧れた背中とやらはずいぶんと遠いものだな」

「ですが、示せと言ったのはあなたではないですか。ならばわたしは己は騎士であると認めさせるために、揺るがぬ証拠を示しましょう。竜狩りでも足りぬというのなら、次はあの瞬く星々を得るために、さらなる頂を目指すほかありません」

「愚かな女だな、シイよ。記憶の中にしかないものは、いかようにも大きく、果てしなき存在になりえよう。そして本来視るべきものを、遠ざけてしまうのだ」

「そこまで言うのであれば、教えてください。わたしはなにをすればいいのですか。父から認められるために、なにを示せばいいというのです」


 鼻息を荒くして逆に問いかけると、狩人は呆れたようにため息を吐きました。

 彼はしばし考えこんだあげく、静かに語りはじめました。


「自分で考えろと言いたいところだが、案内人を引き受けたわけだしな。迷える子羊のために、竜の角にまつわる小話を披露しよう。キデック卿の娘であるお前なら、さぞかしよい教訓になるのではないか」

「待ってください。あなたは……父のことをご存じなのですか?」

「王都の民が知りえる程度には、な。俺の世代であれば誰もが知っている話さ」


 この男がおいくつなのか知りませんが、齢五十にさしかかった父と同じ、あるいはそれ以上の老齢のように見受けられます。であれば現役時代の父の逸話も聞いたことがあるのでしょう。

 わたしはその小話とやらに、並々ならぬ興味を持ちました。


「お前は貴族どもの嫌がらせと唾棄していたが、竜狩りのお役目はキデック卿の偉業になぞらえたものでもあろう。若かりしころの彼も、即位したばかりの先王に竜の角を献上したことがある。それくらいはお前とて知っているのではないか?」

「はい。しかし父は、実際に竜を見たわけではありません。王都よりはるか西にある砂漠地帯で、太古の時代に朽ちた竜の、石と化した角を掘りおこしたのです」

「そうだ。ゆえに此度お前に与えられた役目は――生きた竜から角を狩り、ほかならぬ父の背中を越えよという、王国議会からの試練でもある」


 狩人がそこでひとつ咳払いをしたので、わたしは自分の知っていることを話しました。

 

「幼きころに父から聞いたことがあります。竜の角とは、権威の象徴である。古くよりそれを手にしたものは、大いなる叡智と加護が与えられると」

「うむ。だからこそキデック卿は、即位したばかりの王に竜の角を献上した。当時のフズムは今ほど安定しておらず、早急に貴族どもをまとめあげなければならなかった。そのためにまず、権威の象徴となるものを必要としていたのだ」

「だとしたら、わたしもやはり同じことを成さねばならないのでしょう」

「ハハハ。そうやって貴族どもを担ぐわけか。父のように」

「どういう意味です?」


 眉をひそめて問うと、狩人は翡翠色の瞳でじっと見つめてきます。その透きとおったまなざしの奥には超然としたものが宿っており、わたしは思わず身構えてしまいました。


「キデック卿が献上したのは、竜の角ではない。あれは砂漠地帯を越えた先の密林に棲む、象と呼ばれる動物の牙だ。いわば真っ赤な偽物というわけだ」

「嘘です! まさか父が……」

「安心しろ。亡き先王も共犯者であるし、今ではほとんどの貴族がその事実を知っておる」


 信じていたものに裏切られた気分になって、わたしは呆然としてしまいます。

 しかし狩人は、こう言いました。


「あのとき求められていたのは、あくまで国をまとめあげることだ。ならば象の牙で代用したところで大差はなく、むしろ物事の本質がよく視えていたともいえる。お前も貴族や民に騎士として認められたいのであれば、竜狩りの役目を果たせばよかろう。しかし父に認められたいのであれば、ほかにも示すべきものがあるのではないか」

「それは……なんなのですか。わたしにはまるで、わからないのです」

「視よ、聴け、そして識れ、シイよ。お前は過去と向きあい、己と向きあい、この山と向きあうことになる。あるいは竜とまみあえたとき、答えは得られるやもしれぬ」


 三年ほど他人と口を聞いてこなかったという狩人は、話し続けて疲れたのでしょうか。最後に思いがけず優しい声で、こう言いました。


「わからぬのなら休め。それもまた、心に静謐をもたらすだろう」

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