7:チンパンチ

 もう何年も前のこと。貴女のお父さんは昔チンパンジーだったのよ、とお母さんに言われたことがあった。悪いお猿さん達と地球の運命を賭けた長い戦いに身を投じていたお父さんは、当時戦場で知り合ったお母さんと結ばれて、わたしが生まれたのだと。小さい頃はともかく、流石に今ではそれが作り話だとわたしにも理解できる。チンパンジーが人間になって、あまつさえ人と子を成すなんて普通に考えてありえない。そう、思っていた。しかし今、ここにはお父さんの声で話すチンパンジーの姿があった。


「お、お父さん!?」

「加奈子っ!大丈夫かっ!」


 小さく頷いてお父さん(暫定)に無事であることをアピールする。というか今どちらかと言うとお父さんのせいで危なかったような気がするのだけれど。などと思ったその時、目の前の玉座に座っていた王様が急に立ち上がった。


「キ、貴様ハ"ゾッド吉岡"!?何故生キテイル!?」

「死にかけていたところを親切な人間に拾われてな。お前こそ、あの時の爆発で吹き飛んだかと思ったよ。なぁ、ダミアン博士?」


 鋭い目つきでにらみ合う二人、いや、二匹?はどうやら面識があるようだ。それも、かなり敵対的な関係であったことが伺える。でも、お父さんと異世界の王様がなぜ?わたしはその疑問を口に出した。


「ちょっと待ってお父さん、二人はいったい……」

「いいから加奈子は下がっていろ!」

「フフフ、ソウカ。マサカ貴様ニ娘ガ出来テイタトハ……少女ヨ、教エテヤロウ。私達ガ何者デ、過去ニ何ガアッタノカヲ!」


 王様、いや、ダミアン博士と呼ばれたニホンザルの語る内容はわたしの予想外のものだった。

 わたしのお父さんは何十年も前にアメリカ政府の行った生物兵器開発プロジェクト『ET計画』によって人並みの知性を得た世界初のチンパンジーだということ。かつてお父さんを含め天才チンパンジーが新たな地球の覇者となるべく人類侵攻を企てていたこと。そしてとある研究施設を巡ってお父さんとダミアン博士が過去に激闘を繰り広げ、相討ちになったこと。


「でも、それならなぜ二人とも……」

「『親切な人間に拾われた』と言っただろう?」

「人間に……あっ!」

「そうだ、母さんだよ。」

「瀕死ノ状態ダッタ私達ハソレゾレ人間トゴリラ軍ニ拾ワレ、協力関係ヲ結ンダノダ。」


 声のトーンこそ落ち着いているものの、両者共にその眼は獲物を前にした肉食獣のようにぎらついている。あまりにも突飛な話すぎてイマイチ理解が追い付かないけれど、二人、いや二匹の間に深い因縁があることはわかった。


「で、今じゃゴリラと仲良く共同研究か?」

「フン、コレモ一時的ナ物ニ過ギナイ。チンパンジート人類ヲ倒シタラ、当然次ハゴリラ共ダ。」


 そう言うと、ダミアン博士は女王の方をちらりと見……あれ!?いない!?さっきまではそこに立って二匹の様子を静観していた女王の姿が、今では全く見当たらない。気付けば女王だけでなくスプーキーも同様に姿を消している。しかしダミアン博士は特に驚いた様子を見せず、吐き捨てるように呟いた。


「アノ女、サッサト実験サンプルダケ退避サセタヨウダナ。先ノ研究所ノ時トイイ、チャッカリシタ奴ダ。」

「実験サンプル……?」

「恐らくここの住人はあの薬の被験体としてここに集められたんだろう。加奈子、お前もな。」

「そんな……」

「知ラレテシマッタ以上ハ仕方無イ。オ前達ニハ消エテ貰オウ。」


 そう言い終わらないうちにわたしの視界からダミアン博士が消え、背後から凄まじい音が響いた。振り向くと、お父さんが吹き飛ばされて塔の内壁に激突していた。


「うぐ……ッ!」

「フフ、機械ノ腕カラ放タレタ拳ハ痛カロ……ッ!!!」


 次の瞬間、今度はダミアン博士の身体が床に叩きつけられる。あまりにも強い衝撃により、床には彼の落下した地点を中心に大きなクレーターが出来ていた。


「可愛い一人娘にカッコ悪い姿は見せられないんでな。」


 地に伏したダミアン博士を見下ろしながらお父さんが笑う。普段とは全く違ったチンパンジーの姿をしていても、その声と表情は間違いなくわたしの父、吉岡俊郎のものだった。


「フン、ソノ余裕ガドコマデ持ツカナ?」

「お前こそ。吠え面かくなよ。」


 二匹はその場で静止したまま睨み合っていた。彼らから放たれた闘気で空気は重く張りつめる。空間を支配する静寂は、文字通り嵐の前の静けさであった。



「はぁっ!!」

「ヌゥン!!!」



 それから何秒か経った後。静寂は打ち破られ。壮絶な闘いが始まった。と言っても、わたしにはそれがどの程度のものか知ることができない。なぜなら。わたしには彼らの闘いが”見えない”からだ。時々残像らしきモノが視界にうっすらと映り、打撃音が耳に入る。しかし、それだけだ。人間の動体視力を遥かに超える超高速で動き回る彼らは、まるでそこには存在していないかのようにすら思えた。


◆◆◆


 不可視の闘いが始まってから、どれくらいの時間が経っただろうか。永遠に続くかのように思われた状況に、変化が現れた。


「ツッ……!!」

「はぁ……はぁ……」


 円形の部屋の中央部、床から数メートルの高さの地点に二匹の姿が現れる。どちらも体はボロボロになっており、今にも崩れ落ちそうだ。


「次で終わりだ……」

「良イダロウ」


 二匹は空中に留まったままそれぞれ必殺の構えに入る。ダミアン博士は腰を落とし、正拳突きの構え。一方お父さんは、弓を引き絞るように右腕を大きく後ろに下げ、力を溜めている。わたしはその姿を見てあることを思い出した。


「もしかしてその構えは!」



――チンパンチ。



 わたしのお母さんがお父さんの過去について語る時に数えきれないくらい口にしていたその技は、一見するとただの大きく振りかぶったパンチにしか見えないけれど、放たれたその拳は弾丸より速く、ミサイルより強いのだと言っていた。お母さんから聞かされてきた昔話が本当だというなら、きっとその技も……わたしは密かにお父さんの勝利を確信した。


「行くぞっっっ!!」

「終ワリダッッッ!!」


 再び二匹の姿がわたしの視界から消え、次の瞬間には凄まじい轟音と共に大量の土煙が舞う。激突の際に生じた衝撃波で壁が粉砕されたのだろう。それから少し経った後、そこに立っていたのは――









「フフフ、ヤッタゾ!!私ノ勝チダ!!!!」





――その光景に、わたしは目を疑った。

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