サイキの翡翠
目が覚め気付くと、目の前には広く、遠い景色が広がっていた。何も無い、ただ薄く緑色に光る世界だった。
音らしい音もなく感じた黒い暴風からは想像もつかないような、静かで、淡々とした、酷く広い空間だった。足元は水で満たされ、境の分からない、鏡面のような空間だ。
けれど、そんな景色の中心に、誰かの人影があった。佇むと言うのもやや違うような、どこか遠くを見据えているような影がそこに伸びている。その影は、俺が目覚めて、一歩を踏み出した瞬間に立てた、水の音に気付いたらしく、遠くを見たまま声をかけてきた。
「……怪我は、ありませんか?」
その音色に、驚いた。彼女は俺に聞き馴染みのある、よく通る女性の声をぶつけて来た。それは俺の身を案じているらしかった。
「あ、あぁ。」
「なら、良かった。」
「あ、アンタ、その声……」
気になって仕方の無い事を、そのまま尋ねた。本来ならば、今何が起こったか訊くとか、あれから助かっている事に感謝したり、俺以外の安否について訪ねたりするのが筋なのかもしれないが、今の俺には、半分くらい答えを既に想定しながら、その声を聞き止めることしか出来なかった。
「気付きましたか。」
その後ろ姿は、癖のある短い髪を生えるまま流し、古ぼけた装束に身を包み、剣を携え、左腕には、包帯を巻いていた。そして、やはり知っている声で話し掛けて来るのである。
「姿を見せるのは初めて、ですね。」
俺が彼女に近づくのに合わせ、彼女もこちらに向き直った。水面を移動する足の作った波が、静かな空間に消えていく。
彼女の髪は、特別明るくも暗くもない、ちょうど俺の髪のような茶色で、背も高くはない。切れ長の目尻で、歳は恐らく俺と同程度だろうか。とにかく、要素の全ては言ってしまえばよくある、普通の人間と言ってしまって差し支えないだろう。
……尤も、彼女の声が、俺の知らない声であったのならば、の話だが。
「そういう事になるのか……お前にとっては」
「……ええ、貴方がタイプツーと呼ぶ、その正体が、私です。」
その声は、狂いもなくあの忌々しいまでに口の悪い、我が相棒の物で間違いなかった。……まさかとは思ったし、信じ難いことだが、確かにその声は、彼女の口が開くのに呼応している。そして驚くべきはまだ残っている。彼女の持つ剣は形や細かな意匠さえ違えど、俺の持っていた四神刀、その覚醒前の姿によく似ている。黒く、しかし火を立ち昇らせるような姿に似ている。
そして何より、その目だった。
「驚いていますか。いや、無理もないけれど。」
開かれた彼女の瞳、それは間違いなく翠色に染まり、石のようにころころと輝いている。丁度、俺のそれと同じように。
「あのセルリアンが『翡翠』と貴方を見間違えるのもしょうがない、ということです。私と貴方はあまりにも似すぎている。そしてそれも、しょうがない事ですね。……もう、わかったでしょう。貴方も馬鹿では無いと、私はよく知っていますから。」
「……アンタが、そうだったのか?翡翠。」
彼女は頷いた。
伝説のように語られていた女、それは、俺の旅路の始まりからずっとすぐ側に居たのだった。
「でも、何で今になって出てきたんだ。今までだって機会はあったろ。」
「……この空間はまだ少し余裕があります。私の話、いつものように聴いてくれますか?」
俺はそれを受け入れた。
受け入れる他、無いだろう。
____私は、この島に初めて訪れた人間です。
この島は、何千年も昔に誕生し、ひっそりと波を受けていました。人が上陸することなく、海鳥が時たまに体を休め、植物を運び、火山の隆起が発生し、また静まり土地が広がり、この絶海の孤島は少しづつ作られて行きました。
この島は、ある時転機を迎えました。サンドスターという物質が地下から湧き上がり、火山から吹き出し、降り注いだのです。その物質は、様々な情報、__星の記憶と私は呼んでいますが。この地球で起きた栄枯盛衰の一部始終を全て記録した物質でした。はじまりに、この島の地理的要因や自然の状態などから、四神と麒麟様などが、イメージとして土着して行ったようです。
ある時、この島に流れ着いた人間が居た。旅を志し、不運にも海水に浮いてしまって。それが私……翡翠でした。旅の理由などありふれたものです。我々人間の探究心を舐めてはなりません。古代の人々とてそれは変わりません。
ゲンブも言っていましたよね、私はまだ確固たる身体を持たない神の皆に語りかけ、また動物の皆と話をし、この島で生きる事を選びました。
……この頃はまだ、フレンズという概念はなかったのです。
私が獣たちと手を取り生きるうち、ある存在が生まれました。
セルリアンです。
始まりは、人の手が加わった事によるイレギュラーを治す力と、それがやや行き過ぎた結果生まれた、濾過のされていないサンドスターが産んだ異常……。言ってしまえば、アレルギー反応のようなものだったと思います。
自浄作用、とでも言いましょうか。その力は、確かに島の状態を綺麗にしてくれました。長生きをしてしまう動物は減り、失った闘争本能を取り戻して。
……私は、それが許せなかった。
住み慣れ始めた新天地、築いた信頼、作った友が消えていく、それは気分などではなく、ただそうだったのです。……勿論、勝手な事を言っているのは、私の方であることなんてわかっているのですが。
私はセルリアンを倒し始めました。そして、セルリアンは増えました。当然と言えば当然ですよね、防衛機能を叩かれたのですから。
ただ……ただ増えるだけなら良かったのでしょう。ですが、それだけでは片付けられない問題が発生してしまいました。セルリアンを倒すということは、この島の身につけた自浄作用を刺激すること。つまり、彼らの進化を、誘発してしまった。四神の力を借り、刀剣を作り出して戦っても、その勢いを止めることには至らなかったのです――――――――。
「そして、戦いの中で私は悟りました。このままでは勝てないと。いや、どこまで力を尽くそうとも、未来永劫、脅威を排除することは出来ないと。ですから私は、この島を守るべく……セルリアンの中から生まれた強大な個体との戦いを経て、その個体と共に火山へ身を投げる事にしたのです。」
「……火山にか?」
「ええ。サンドスターはありとあらゆるこの星の記憶を吸収します、そして希釈して、解釈して、その要素を根付かせる……。故に、この島の動物たちが少女のようになるのは、元はと言えば、私があの火山で死んだからなのです。この島で戦う者が、私しか居なかった、守る術を持つものが私しか居なかった、それ故に起きた現象です。そして、同時に沈んだセルリアン、彼は今やこの火山、もっと言えば塔に縛られた存在ですが、その存在があるからこそ、この島は、セルリアンの量が多いのでしょう。」
他の世界と比べて、という事が言いたいのだと思う。確かに俺たちの世界はセルリアンの量が多い。が、しかし、原因と解決策の両者の大本が、ずっとそばにいたとは。信じられないような情報が続いたが、俺はそのすべてを正しく捉えられているのだろうか。
「……私は、この島の風景を、楽園を守りたかった。外部からの浸食も、内部で湧き上がる争いも、すべてに蓋をして、忘れるほどに平和な楽園を、ただそのままにしたかった。けれど、それは、いつまでも続く争いに、いつまでも、皆を巻き込み続ける事になるだけだった。……シキ、貴方だってそうです。ずっと黙っていて、ごめんなさい。」
……悲しみに満ちていた。
初めて見たが、けれどよく見たような気がするその姿。セルリアンにも、四神にも見覚えを感じられるほどに、我々は似ていた。俯き、次を思案し、顎を撫でるのも、歯切れ悪く謝るのも。
血を否定したくても、叶わない。
彼女の所作はまるで俺だ。
「貴方は私の一族の遠い子孫という事になり、ある意味合いではそう……私の、生まれ変わりのような。」
「けど、お前みたいなのを血の相性的にたまたま受け入れやすいだけで、あとはサンドスターが覚えてるだけのただの人間である事には変わりない、ってか。」
「流石、飲み込みは早い……。
しかし、皮肉というかなんというか…………。誰も巻き込まないように身を投げたつもりが、この世界の在り方を私が定義してしまう事になってしまうとは……。こうなってしまった以上、終わりが来ることも、無いのでしょうね。」
……終わりは、ない。
確かに彼女の言うように、この島が抱えた全ての狂いの発端は彼女とセルリアンの因縁にあり、その運命に巻き込まれた俺たちに、その因果から抜ける時、終わる時は来ないのかもしれない。
「ってなると……。あの一瞬見えたヤツを倒せば解決、なんて話でも無いんだな?」
「ええ。封印だけでは力不足のようでしたし、そもそも実現できるかどうか……そこは正直やってみなければ分かりません。その上、倒せたとしても、この島が記憶してしまった事が消える訳ではありません。
_____だから、いつまでも貴方を、」
「だからって、止める理由にはならないだろ?」
未来永劫、続くのだろうか?
俺は死ぬその瞬間まで、ただの人間で居られるのだろうか?わからない、全くもって不明瞭だ。今からそんな事を想像した所で、わかるはずもない。そんなレベルの長い時を、思慮に入れなくてはならない。あるいは、"彼女"たち、未来の皆さえも既に運命の渦中にあるのかもしれない。
「……っ。」
「いつまでも俺を、巻き込んでしまう、って?
今更じゃないか。
……元々俺には、生まれた意味合いなんて無かったんだ。捨てられて、雨の下で縮こまるだけの人生だった。何から何まで運命だって言うつもりはない、けれど、少なくともそんなどん底の運命から引き上げてくれたのは、他でもなく姉さんやアンタだよ。きっと俺がこうやってこの島に来て、名前も生きがいも見つけられたのは運命だったんだ。
例えそれが課せられた仕事、アンタが昔に撒いた種の尻拭いだったとしても……俺が、こうやって、節来 式として、ひとりの、なんでもない人間として生きていられる理由が存在してるのは……アンタのおかげなんだよ。」
「ですが、それは……」
「ああ、たしかに。たしかに、ネジュンを巻き込むことになるかもしれない。
そうだろ?
けれど、彼女のあの姿勢。あれならきっと、大丈夫だと思わないか?アンタだけで背負いきれないなら、俺たちが、新しくこの島で芽吹いた『節来』の血筋が、分担していかないか?」
生まれた新しい集団_____
言うなれば、親子、夫婦、相棒、そういうものを全てひっくるめてまとめて、いっこのラインに乗せてやる。
___節来という、家族に。
「___ふふ。」
「何だ?」
「いえ。___いや、貴方がそんな風に言うなんて…………いえ、これはもしかしたら…………そうですね、そうなのかもしれません。一人で抱えずに、皆でその苦労を少しずつでも分け合って、前に進む…………。貴方や、彼女がいう通り、なのでしょうね。ほんと、昔の自分自身に言ってあげたい言葉です。」
「ここでお互い言い合えて、良かったんじゃないか?ネジュンの言う、俺の未来がどんな風になってるのかは分からない、でも、きっと俺の事だ。恐らくアンタみたいに、自分の身を犠牲にしようとするだろうから、な?よかったって事にしておこうぜ。昔間違えたなら、今その分を直そう。」
「___はい。」
「ああ、ただ……
ひとつお前のやらかしっつーと、英雄になろうとしちまったのが、ちょっと良くなかったかもな?」
「……全くです。ま、それに……貴方も貴方で、未来じゃ無茶をしているようですし?」
「はは、そこまでわかるんだな……?」
「あとでしっかり教えてあげますよ。」
目の前にいる瞳に語り掛けるように、
差し出した手を握られながら。
契る。
普段とは逆、左の手を包むあの色は、今は人として生を受けた姿そのままに、俺の右手を包む。安心感、親近感、様々に混ざり合った感情を、その温度に味わった。
ゴールは、ひとつじゃない。_______
遥かな旅路、_______
君とこっそり手を繋いだのなら。_______
「……これは道しるべ、なのかもですね?」
「さぁ、な。」
拍手喝采の、未来へ。
「さぁ、待たせてしまってもいけませんね。」
「あの勢いだったからな。」
眼を開く、その時を。
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