第六章 五節 奴隷制度

 あの即位式から時が経ち、幼かったエルドは成長してまさに今、父であるイヴァンと互いの信念を賭けて剣を交えていた。


「フレイアは貴族共の下らぬ嫉妬に殺されたッ! これは、前国王の統治が甘かったことが原因でもあるのだッ!」


「くッ……がぁ!」


 能力を使いすぎたエルドはイヴァンの猛攻を防ぎ切れず、身体中に浅くはあるが多くの傷を負っていった。

 そしてイヴァンに弾き飛ばされたエルドは、倒れそうになるのを支えるために剣を地面に突き立て、片膝をついた。


「……だが、私が国王になってからは確実にこの国は良い方向へと進んでいる。飢えに苦しむ者は激減し、努力次第で這い上がれることで国民の向上心は格段に上がった」


「それは違うッ! 努力ではどうにもならないことをお前は強いているッ!」


 エルドは絞り出すように声を張り上げた。それをイヴァンは深く、暗い目で見つめ返した。


「……それは、この国における女の処遇について言っているのか? ……フン。あれは劣等種、この国の汚点だ。それをどうにかするのは、国王としての義務だ」


「それが……A地区の殲滅だとでも言うのか…………ふざけるなッ!」


「……そうか。いや、お前は勘違いをしている。A地区殲滅作戦というのは名ばかりだ。あれは、A地区という区画を排除するための建前に過ぎない。A地区の者たちは、余程抵抗しない限りは生かしたまま捕らえる」


「なに……?」


 エルドは、事前に聞いていたこととの違いに唖然としていた。それではイヴァンは一体何が目的なのか、その言葉の続きをエルドは待った。


「私は、この国に奴隷制度を設ける。A地区の連中は我が国最初の奴隷たちとなるのだ。手始めにB地区の民に飼わせ、使役させる。奴隷たちには荷役、農作業、家庭内労働といった雑務をこなさせ、民たちの負担を軽減する」


「なんだとッ! A地区の人たちも、この国の民だッ! ……ごほっ……がはっ……」


 エルドは血反吐を吐きながらもイヴァンを否定する。だが、イヴァンはなに一つ動じることも、悪びれることもなかった。


「A地区の連中は奴隷になるのだ。人でも、ましてや我が国の国民などでもない。……しかし、これは救済措置でもあるのだぞ。A地区の連中は今この時にも、惰眠を貪り、糞尿を撒き散らす穀潰しでしかない。だが奴隷になれば、個々に役割が与えられ、最低限の食事と寝床は所有者から与えられる。今よりもはるかに意義のある存在になれるのだ」


「……父上、貴方は間違っている。貴方はA地区の人たちの救済なんて望んでいない。貴方がしようとしていることは、復讐に囚われた……ただの、私怨だ……っ! ……ごほっ……はぁ……」


 エルドは、イヴァンを止めるには力で勝り、屈服させる他ないと意を決するが、その決意とは裏腹に体が思うように動かなかった。


「…………もう良い。お前の能力解析は既に終えている。直に『増胸剤』も完成するだろう……。お前はもう……用済みだ」


「……はぁ……はぁ…………」


 血を流し過ぎたエルドは、肩で息をしながら自身の体から床へと流れる血を見つめることしかできず、顔を上げる力も残っていなかった。

 それ故に、エルドの首目掛けて剣を振り下ろそうとするイヴァンすら、今のエルドには見えていなかった。

 だが、音は聞こえた。血が滴り落ちる音。それも、自身の体から流れる血の音ではなかった。


「ぐぁッ……! き、貴様……ッ!」


 顔を伏せているエルドは、自身から流れ出た血溜まりに反射して見える光景に目を疑った。

 そこには、横腹や口から血を流しながら、折れたダガーをイヴァンの背中に突き立てるアリスの姿が映っていた。

 そして、エルドはアリスと血溜まりを通して目が合った。



「前を見ろッ!」



 アリスの言葉が、亡き母との記憶を呼び起こした。

 それは、エルドが自身の能力が他人と違うことに対して感傷的な気持ちになっていたとき、母が掛けてくれた言葉だった。


『エルド、よく聞いて。人はね、良くも悪くも一人ひとり違っているの。他人より優れているところもあれば、劣っているところもある。それを羨むことも、妬むことも、誇りに思うことも自由だとお母さんは思うの』


『おかあさん……』


 フレイアは幼いエルドの頭を優しく撫でた。


『……だから、お母さんは誇りに思っているわ。今もこの国のために頑張っているお父さんも、困っている人を放っておけない優しいエルドも。……胸を張って歩く道は、前にしかない。だからね、エルド。どんな時でも、顔を上げて、前を見なさい』



 エルドは目を見開き、歯をくいしばって顔を上げた。

 そこには、血まみれのアリスがイヴァンに振り払われて宙を舞っていた。再び激情に駆られそうになるエルドだったが、吹き飛ばされながらエルドを見つめるアリスの表情は、ひだまりのように暖かな笑顔だった。

 それを見たエルドは、湧き上がっていた負の感情が消え去り、代わりに、血液のように全身を巡る熱い力を感じた。

 もうエルドに一切の迷いは無い。地に着いた膝に力を込めて立ち上がり、地面に突き刺した剣を引き抜いた。

 そして一歩、二歩と持てる力の全てを込めて踏み込み、力強く剣を握った。


「イヴァアアアンッ!」


「くッ! エルドォオオオッ!」


 互いの剣筋が交わった瞬間、衝撃波が王宮を駆け巡り、地を伝って微弱ながら国全体を震わせた。

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