第六章 四節 王妃フレイア

 イヴァンは幼少の頃、戦争で家族を無くしていた。

 それでもイヴァンは世を憎むことも、国に絶望することもなく、純粋な愛国心から騎士団へ入団した。

 イヴァンの身体能力は決して他者よりずば抜けて秀でていたわけではなかった。

 だが、イヴァンは愚直に修練と努力を積み重ねた。

 そんなイヴァンの姿を王宮の一室から眺めるひとりの女性の姿があった。それが前国王の一人娘、フレイアだった。

 フレイアは生まれつき体が弱かったが、寝室からよく抜け出しては、修練で傷だらけになるイヴァンの手当てをしていた。

 そんなフレイアにイヴァンが想いを寄せるまで、そう時間はかからなかった。

 充実した日々を過ごしていたイヴァンは、隣国との戦争において多大なる戦果を上げ続け、遂には国王直々に騎士団長に任命されるまでになった。

 そして、国王の許しを得てフレイアとの婚姻がなされた。


 幸せの絶頂のイヴァンとフレイアだが、その時間はそう長く続かなかった。

 隣国との終戦も間近というところで、イヴァンは兵士として致命的な傷を負ってしまった。前線に出ることができなくなったイヴァンは騎士団の指揮のみに注力したが、終戦後は騎士団を退役し、自己申告で技術開発部に移動した。

 そこでのイヴァンは国に貢献し続けなければと結果を追い求め、焦りながらも奮闘した結果、『国を囲う防壁』や『他国のスパイの侵入を防ぐゲート』を立案をした。

 貴族たちの間でも隣国との戦争で受けた傷はまだ新しく、自分たちの命や財産を守るためには防壁やゲートは必要だとイヴァンを支持する者が多く、国王も同意してこれが承認された。

 こうして徐々に功績を収め始めたイヴァンは、防壁の建造、ゲートの開発及び設置作業というような目まぐるしい日々が続いた。だが、それに伴ってフレイアとの時間は以前にも増して無くなっていった。


 そんな二人の間にエルドが生まれたが、そのすぐ後からフレイアの体は以前にも増して衰弱していった。

 イヴァンは当初、子を産んだ為の負担が原因だと思い込んでいたが、ある時王宮で行われたパーティーにて、他の貴族たちの会話を偶然耳にしてしまう。


「王妃様ったら、あの下品な胸でイヴァン様を籠絡してからというもの、部屋で一日中くつろいでいらっしゃるのですって」


「いいわよねぇ。何もしなくても、王妃っていう身分とあの胸をチラつかせてればいいだなんて」


「全くですわぁ」


 ありふれた低俗な僻みでしかなかったが、これを機にイヴァンはある仮説を立てることになった。


『フレイアの衰弱は肉体的なことだけではなく、精神的なことなのではないか?』


 それからというもの、イヴァンは騎士団長時代に忠実だった部下たちを使い、貴族や侍女たちを問い詰めてまわった。すると、イヴァンの仮説は悪い方へ的中した。

 どうやらイヴァンが騎士団長を退役したことで、イヴァンが次期国王候補で良いものなのかという批判が貴族内で出回り、国王の耳にも届いていた。

 だがそれは、貴族たちが次期国王の座を狙って意図的に起こしたものだったが、真偽を確かめる術を持たない国王は頭を悩ませた。

 そんな様子を見ていたフレイアは、夫であるイヴァンの立場が危ういと思い、方々の貴族へのご機嫌取りに赴いていた。

 貴族主催のパーティーへ赴き、調度品などの贈呈、会食、談笑……。そうした積み重ねとイヴァンの技術開発部での功績によって、主だった貴族たちからの批判は無くなっていった。

 だが、それとは裏腹に貴婦人たちからの反感はより増していった。フレイアに対してのあからさまな陰口、料理への細工、中には自身の夫との浮気を疑い、逆上して襲いかかろうとする者までいた。

 イヴァンに心配をかけまいとフレイアは侍女たちに口止めをし、誰の前でも気丈に振る舞っていたが、貴婦人らの行為はフレイアの心身を徐々に、だが確実に蝕んでいった。

 そうした無理が祟ってフレイアは床に伏せるにことになり、ようやくイヴァンは真相を知るに至ったのだ。

 イヴァンはすぐにフレイアの寝室に駆け込み、自分のせいで辛い思いをさせてしまったことへの謝罪と、貴族たちに対しての処罰を国王へ具申する旨をフレイアに話した。

 しかし、フレイアは優しく微笑みながら小さく首を横に振った。


「いいのよ、あなた。私は大丈夫。それよりも、今は大事なお仕事があるでしょう?」


「し、しかし!」


「……あなた。人はそれぞれ、持っているものも、欲しいと思うものも違うわ。あの人たちの欲しいものをたまたま私が持っていた、ただそれだけのことなの。だからって、辛くなかったと言えば嘘になるわ。……でもね、私はそれ以上にあなたの力になりたかった。これからあなたが作るより良い国を、お父様も、国のみんなも待ち望んでいるわ。もちろん、私や、エルドも。……もう、今の私にできることは何もないけれど、ここで……いつもあなたのことを想っているわ……」


 儚い笑顔と頬を伝う涙に、イヴァンはフレイアの手を強く握りしめ、ぎこちない笑顔に涙を浮かべ返した。


「……ああ! 待っていてくれ、フレイア! 必ず、君やエルドや、国のみんなが幸せに暮らせる国にしてみせる!」


 自身の心に刻みつけるように言うイヴァンには、先程まで湧き上がっていた黒い感情など微塵も残っていなかった。




 フレイアの一件から、イヴァンは防壁とゲートを国境だけではなく、国内にも建設しようと思い立つ。それは防壁とゲートで国内にいくつかの区画を作り、国民を区分けしようというものだった。

 これは国民同士が身体的特徴や身分の違いなどで生じる互いの劣等感を軽減することが大きな目的だが、もうひとつの目的は貧富の差を無くすことだった。

 今の貴族たちは、自身が他者よりも優位に立つことにこだわる者ばかりだ。故に、貧民たちに富を分けようものなら、貴族たちからの反感は想像に難くない。

 だが、貴族をひとつの区画にまとめてしまえば、他の区に住む民たちが貴族の目に届くことはない。そうすれば、民に富を分け、土地や職を与えることなどを国主体で行える。

 しかしこの計画は、イヴァンが国王になってからでないと不可能だった。だからこそイヴァンは、まず目先の案件である国境に建設中の防壁とゲートに注力した。




 ……そして、国境の防壁とゲートの完成間近、フレイアは、イヴァンと幼いエルドを残して、眠るように息を引き取った。

 その日イヴァンは、帰らぬ人となったフレイアの手を握りしめ、一晩中泣き通した。


「なぜだッ……! もう少しで……君が幸せに暮らせる国になるのに……! どうして……こんな……フレイア……!」


 懺悔にも似た悲痛の叫びが、人払いの済んだ静かな王宮の廊下に響き渡った。


「なんで君が……ッ! ……いや、そうか……アイツらか……。あの傲慢で、貧相な貴族たちが君を追い詰めた……。アイツらさえいなければ……そうだ。私にはできる……。この国を、本来あるべき姿にすることが……。フレイアと共に過ごす筈だった王国を、この手で……ッ!」


 心にこびり付いた底なしのドス黒い感情が再び湧き上がり、イヴァンの心全てを飲み込んだ。そこには歪んだ憎悪と、屈折した決意が複雑に混在していた。




 それからというもの、イヴァンはまるで人が変わったように貴族たちに対して友好的になった。

 フレイアが行なっていたようにパーティーへ積極的に参加し、貴族たちからの支持を得て次期国王の地位を盤石なものにしていった。

 しかしその裏では、騎士団への根回しや区分けするための防壁用資材の調達、ゲートのシステム改ざんなど、『胸囲の格差社会』を実現させるための準備を着々と進めていた。

 そうした中、ついに国王が天寿を全うし、国を挙げての葬儀が行われた。

 その数日後、悲劇の幕開けとも言うべき新国王イヴァンの即位式が催された。




『国民全てをAからFまでの地区別に分ける。男は能力、容姿、学力などから判断する。女は能力や学力以上に容姿、主に胸囲のサイズで判断する。この判断基準には財力や血統は考慮しない。これに逆らえば斬り捨てる。以上だ』

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