第六章 三節 国王イヴァン

 玉座の間の扉が重々しく閉じると、ガレンとジークハルトの剣戟は一切聴こえなくなった。

 この玉座の間の静寂の中では、エルドとアリスの呼吸が妙に響いた。そして、一切呼吸を乱すことなくエルドたちを見下す男が、玉座に腰を掛けていた。


「…………父上」


 バスト王国国王であり、実の父親であるイヴァンの元までたどり着いたエルドは、久々の親子の再開というような暖かい気持ちになど一切なれなかった。思うことはただ目の前にいる者の、身を竦ませるような威圧感と邪悪さだけだった。

 イヴァンは王でありながら常に漆黒の鎧を身に纏っている。その傍らには、数々の戦を共にくぐってきたと思われる物々しい大剣があった。

 イヴァンは暫く黙ってエルドとアリスを見下していたが、ようやく口を開いた。


「……戻ったのならば、もう下がれ」


 この玉座の間までたどり着いたエルドを見て発した言葉が、その一言だけだった。

 これだけの騒ぎを起こしても尚、イヴァンはエルドに対して『ただ戻ってきただけ』という感想しかなかったのだ。

 怒りと悔しさから剣へと手を伸ばすエルドの前を、アリスがイヴァンへ向かって歩き出した。


「お前がイヴァンだな。お前には言いたいことが山ほどある……A地区殲滅作戦のこととか、胸囲の格差社会なんていうバカな政策のこととか。……でも、今一番言いたいことは……謝れッ! エルドを道具みたいに扱ったことをッ! お前は王様以前に親としても最低だッ! このクズ野郎ッ!」


 アリスはイヴァンから放たれる威圧感に物怖じせず、威勢良く啖呵を切ってみせた。

 そんなアリスの背中を見つめていたエルドは、言いようのない気持ちが湧いてくるのを自覚した。

 自分の半分くらいの身長しかない華奢な女の子が、過去に自分が言えなかったことを言い、立ち向かうことができなかった相手に立ち向かっている。

 そんなアリスの姿を見たエルドの気持ちは、敬意か、羨望か、それとも……。


「……ジークハルトめ、賊を取りこぼすとはな……まあ良い」


 イヴァンはアリスの言葉に耳を傾けることなく、ただため息をこぼすたげだった。


「エルドよ。明日の掃討作戦にはお前も加わってもらう。それまでの間は待機していろ」


 イヴァンはそれだけ言うと、大剣を携えて玉座を離れてようとした。


「どこに行く気だ……?」


 アリスの問い掛けには一切答える気がないようで、アリスの方をチラリとも見ずにイヴァンは奥の扉へ向かって歩き出した。

 イヴァンのその態度は、アリスを激昂させるには十分だった。


「どこに行く気だって……聞いてるんだッ!」


「ダメだッ! アリスッ!」


 エルドの制止も聞かずアリスはダガーを引き抜き、イヴァンに向かって勢いよく突進した。

 元々素早いアリスに、今は更にエルドの身体強化が加わっているので、並みの人間では対処不可能な速度が出ている。

 アリス自身もそのことは自覚していたので、あくまで峰打ちを前提にした突進だったのだが、イヴァンの背後に飛びかかった瞬間、アリスはイヴァンと目が合った。

 そこで初めてアリスは自分の真横に大剣が迫ってきていることに気づいた。

 瞬時にアリスは、攻撃の為に振りかぶっていたダガーを自身の真横に持っていき、極力体を丸めて衝撃に備えた。


「がぁ……ッ……!」


 アリスのダガーは、その何倍もの大きさの大剣によって無惨に砕け散った。

 幸いにも、ダガーによって斬撃を防ぐことに成功していたアリスは大剣によって両断されることはなかったが、衝撃までは吸収することができずにダメージはその小さな体に届いた。そのアリスの肋骨からメキメキッという嫌な音が発せられたのをエルドは確かに聴いた。

 そのままアリスはイヴァンの大剣によって横薙ぎに吹き飛ばされ、数メートル転がったあと、倒れたままピクリとも動かなくなった。

 力無く横たわったアリスを見たエルドは、自身の底からドス黒い何かが湧き上がり、血管を伝って全身に巡るような錯覚を覚えた。


「……ッ!」


 瞬間、地面を抉るような踏み込みでエルドはイヴァンに斬りかかった。

 あまりの速さにイヴァンは目を見開き、アリスの時のようなカウンターを仕掛ける暇などなく、大剣でエルドの一撃をどうにか防いだ。


「……くッ! 舐めるなッ!」


 イヴァンは大剣を押し込み、エルドを吹き飛ばした。だが、エルドは着地と同時に再び地面を抉るような踏み込みでイヴァンに絶え間なく襲いかかった。

 エルドの猛攻には流石のイヴァンといえど防戦一方だったが、おそらく限界まで強化されているエルドの剣戟に対処できているイヴァンは、現役を引退しているとは思えないほど化け物じみていた。

 激しい攻防がしばらく続く中、エルドは過度の身体強化により全身に激痛が走り、イヴァンの力押しにエルドは鍔迫り合いを余儀なくされた。

 だが、単純な力比べにおいても身体強化されているエルドは押し負けているということはなく、あくまで拮抗状態が続いた。


「くッ……なぜだッ! なぜお前はA地区を殲滅しようとするッ! なぜ胸囲の格差社会なんて圧政を敷いたッ! 答えろッ!」


 イヴァンと一対一で睨み合う中で、ほんの少しだけ冷静さを取り戻したエルドは、アリスが聞けなかった質問を投げかけた。


「……フン。A地区は我が国の汚点だ。一度A地区を一掃し、この国をより高潔にする。ただそれだけのことだ。それ以外にお前が知る必要などない」



『駄目だ』



 そうエルドがそう思ったのも無理はない。

 最早イヴァンは理屈や大義で動いてなどいなかった。

 肝心の圧政について答えなかったことについても、イヴァンは何かを隠している。

 だがそれだけではない。イヴァンは決定的な何かが欠けて……いや、壊れている。

 イヴァンの言葉からエルドはそう感じた。

 そしてもうひとつ、エルドはイヴァンがこうなった原因に心当たりがあった。


「……母さんの死が、何か関係しているのか?」


 今は亡きエルドの母、そしてイヴァンの妻であり、前国王の一人娘。

 それが『フレイア王妃』だ。

 フレイアのことを持ち出した瞬間、これまで無駄な力を一切入れずに戦っていたイヴァンが初めて力んだ。

 その力んだ剣を受け、エルドは図星だと確信した。


「何があったかは知らないが、母さんはこんなこと望まないっ!」


「望まない……だと? 違うッ! あいつが……フレイアが望むとすれば、今のこの国なのだッ! もっと早くこうしていれば……フレイアは死なずに済んだッ!」


 イヴァンは自分自身の強い感情によって昔の思い出を蘇らせた。

 それは決して忘れられてはいけないことから、思い出したくもないことまてま全てだった。

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